1958年
昨シーズン二度登板した。最初は五月二十三日の対近鉄戦、初の公式戦で上って2/3回で五安打をつるべ打ちされた。二回目は茅ヶ崎での対大映戦の時だった。西鉄の投手陣が手薄となり、やむなく飛行機で呼び寄せられた。この時も1回1/3でノック・アウトされた。これ以外昨年は登板の機会に恵まれなかった。しかしウエスタン・リーグでは四勝無敗、シーズン終ってのオープン戦ではなかなかの腕前を見せた。今年はキャンプの時から目をかけられ、内野手の城戸とともに第一線に引上げられた。すでに二十一日現在十六試合に出場、完投一、勝利二、敗戦零、失点十二、自責点十、防御率2.00の成績である。村山の球はかなり速い。だがコントロールに欠けている。ことに低目へのコントロールがない。配球も単調だ。これでは下位球団には時々通じても、上位球団には無理だ。試合数が多い割に、期待通の成績が挙げられない原因だ。川崎コーチは「本人はシュートやシンカーをものにしたいといっているが、低目へのコントロールがつかなければダメだ。私はこのことは一さい抜きにして、コントロールを良くすることに重点を置いて指導している」といっていた。コントロールさえつけば、速球には見るべきものを持っているのだ。今以上の成績を収めることも不可能ではない。村山のこれからの課題だ。本格派投手として大成する要素は十分あるのだから。戸畑高校時代は北九州随一の好投手との評判だった。しかし村山のワンマン・チームで中央に進出する機会に恵まれず、全国的にはそれほど名の通った存在ではなかった。南海あたりが引抜きの手を出したといわれているが、地元、先輩滝内選手の線から西鉄に決った。良く寝る子だそうだ。乗り物に乗ってはねむり、映画館に入ってはねむり、暇さえあれば眠っている。口の悪い某投手が、村山の起きているのは「野球をやる時と、メシを食うときぐらいだ」と大げさにいっていた。性質は至っておとなしく、真面目。毎日の投球練習での一球一球を込めてやっているという。愛称はポーキー、テレビ漫画のポーキーに似ているからだそうだ。身長1・74㍍、体重67.5㌔、二十歳。
三原監督の話 スピードのあること、高校時代から多くの試合に出ているので、場なれしてピンチに動じない試合度胸十分なことが村山の長所だろう。短所はまだ二年生だから挙げれば切りがない。球が素直過ぎるというのが最大の欠点だろう。要するにいやな形の投手でないことだ。
村山投手の話 調子はまずまずだ。試合に出してもらえるので毎日が楽しい。この期待に応えるよう一生懸命やりたい。球が速いというがまだ十分でない。もっと球速を増したい。それにシンカーをものにしたい。