プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺純志

2021-02-02 14:58:19 | 日記

1976年

 

八日午後一時から大阪・梅田の球団事務所で、ドラフト第五位の東洋紡岩国・渡辺純志内野手(24)=177㌢、72㌔、右投げ右打ち=の入団発表を行った。背番号は未定。ドラフト指名選手の入団発表は、一位の益山投手(帝京大)に次いで二人目。同選手は東洋紡岩国でトップバッター、ベース一周14秒台の俊足。ノンプロ通算打率は3割3分、都市対抗戦には四十六、四十七年の二回出場。チャンスメーカーのタイプ。 渡辺選手の話 守備面では自分なりに自信を持っています。バッティングにパワーをつけ、早く一軍に上がるようがんばる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三本政之

2021-02-02 14:24:20 | 日記

1974年

ドラフト外新人の森山隆男投手(18)=175㌢、67㌔、右投げ右打ち、北陽高=と、三本政之捕手(21)=168㌢、66㌔、右投げ右打ち、大経大=の入団発表を球団事務所で行なった。三本捕手は近畿大学リーグで活躍し、ことしは春秋ともにベストナインに選ばれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前川光春

2021-02-02 14:09:25 | 日記

1974年

 

丸尾編成部長と山本スカウトは午後一時、ドラフト五位指名の前川光春内野手(18)=熊本一工=の自宅(熊本市長州町)を訪問。父親貢さん(42)、母親久子(39)を交えて指名のあいさつをした。前川自身はプロ入りの意思があるもようだが、すでに日立造船への就職が内定しており、明確な返答は得られなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥田直也

2021-02-02 14:05:00 | 日記

1974年

 

中日の中川代表は、市内中区栄の球団事務所に奥田直投手を呼び自由契約をいい渡した。同選手は十一月四日から行われていた秋季練習中に蒸発、郷里の大阪に帰ってしまっていた問題児。球団では無断欠勤を重視して自由契約という厳しい処分をとったわけ。奥田は「練習を休んだのは肩が痛かったので、大阪で治療していたのだ。でも球団に報告しなかったのは悪いと思っています」と意外に厳しい処分にがっくりしていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田弘

2021-02-02 13:53:49 | 日記

1977年

ドラフト指名六選手のうち、投手がただ一人、野手重点が目立ったことしのライオンズの新人補強、他球団が投手に偏りをみせたこともあって、異彩を放っているが、ライオンズにはそれなりの理由がある。その一つが昨年ドラフト六位、池田弘投手(鷲宮製作所)の期限切れ直前の滑り込み入団。ことしのドラフトで近鉄が一位指名した「柳川商の久保以上」(毒島スカウト)という実力に期待は日ごとに高まっている。トレードで日本ハムに移った佐伯をほうふつさせる右の本格派、181㌢の長身。日南商から鷲宮製作所に入って四年目のことし、メキメキ頭角を現した。山本良材投手(阪急がことし六位指名)と交互にマウンドに登ったことしの成績は、16試合に投げて12勝2敗、114回で被安打109本、62奪三振、30与四球、24自責点、防御率1.89と立派な数字だ。「長身から投げおろす真っ直ぐはもちろん、大小二種類のキレのあるカーブが武器。スライダー、シュートもひと通り持っているしとにかく楽しみな投手です。ことし各球団から指名を受けた投手の中で、真っ先に第一線に出てくるのは、やはり池田でしょう」ルーキーに厳しい目を向けることで有名な毒島スカウトが押した太鼓判。池田本人も「ポッと出の高校生や大学生と比べられる方がおかしい」と胸を張って、期待はふくらむばかりだ。日南商ー鷲宮製作所とたどったコースは不遇。高校時代は県予選のよくて二回戦までだったし、社会人になっても在籍四年間で、都市対抗とスポニチ大会出場が一度あるきりだった。だから、社会人のベストナインに選ばれたこともなければ、賞をもらったこともない。無名の中の無名選手。「だけど、無名だからプロではやりやすいと思うんです。それに無名のぼくには貧乏人のド根性というやつがあります」と、マユひとつ動かさず、それでいてさらりと池田は言う。球界に久しく絶えていたハングリー・ガッツが、ライオンズには頼もしい。「契約金はオヤジに全部やったんです。家をたてるのが一家の夢だったから」実家は広島がスプリング・キャンプを張る宮崎県日南市大字平野、天福球場のすぐ真下。ふた間きりの借家で五人の子供を育てた父親・重光さん(54)の苦労はおして知るべしだろう。「中学で野球をやってきたときはグラブは借り物、ユニホームは買ってもらえず、一年間タイツで過ごした」そんな池田にあこがれのプロ野球の生活はかけ足でやってくる。二十二日に会社を円満退社した。実家でキャンプを待つばかり。もちろん、日南海岸の梅ヶ浜で、ランニング主体の個人練習に取り組む作戦だ。輝かしい未来に向かって池田は言い切った。「外木場さんが目標です」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松岡高信

2021-02-02 13:09:46 | 日記

1974年

 

太平洋がドラフト4位で指名した大院大・松岡高信投手(22)184㌢、75㌔、右投右打の入団が一日内定した。同日、重松スカウトは広島県福山市南町の福山パークホテルで本人、相談相手である福山在住の元西鉄・神原隆彦氏と会い、初の入団交渉を行なった。この日、球団側が提示した契約金五百万円、年棒百八十万円(いずれも推定)で折り合いがつき、入団が決まった。松岡は関西六大学リーグでは外野手として出場していたが、神原氏が肩の強さと184㌢という長身に目をつけ投手転向を勧めた。ことしの秋季リーグが終わったあと関西六大学リーグの入れ替え戦(対神院大)社会人野球の日本新薬とのオープン戦で二度マウンドに上がり、計6イニングを投げた程度で投手としての経験は皆無といっていいほど。しかし、重松スカウトは「投手としては未知数だけど、フォームに悪い癖がないし、将来楽しみ」と投手としての可能性を認めていることから数年先が楽しみな選手だ。本人も「一年目はじっくり体を鍛え、投手としての経験を積み、二年目からなんとかマウンドに上がれるようになりたい」と早くも闘志を見せていた。

 

松岡選手の話 投手で指名された以上投手としてがんばりたい。

 

重松スカウトの話 試合で投げたのは見ていないが、フォームに悪い癖がないし、体格もいいからファームでじっくり鍛えれば将来有望な選手だ。

 

太平洋に型破りな選手が入ってくる。さきのドラフト会議で四番目に指名され「プロは子供のときからの夢でした。太平洋にいきます」とひとつももったいぶらずにプロ入りを表明した松岡高信投手(大阪学院大)だ。子供のときからバットマンの道を歩んできて、プロ入りを機会に投手へ転向しようというのである。投手から打者に変わって成功した例は巨人の王をはじめいくつもあるが、その逆をいくのは極めてまれなこと。並の選手ならプロに誘われただけでためらうのに、未知の分野に挑戦しようという松岡「周囲の人たちにおだてられ、自信がつきました」と不安感などさらさらもっていない。それどころか「これぞわがチームの秘密兵器」とほくそむのは太平洋球団だ。尼崎で育った松岡は小学校に入ることから野球に熱をあげ、以来今シーズン終了近くまでずっとバットマンで通してきた。ポジションは一塁か外野。投手の経験は一度もない。四十五年、春の甲子園大会では北陽の一塁手として決勝まで進み、箕島とわたり合っている。今季も打率は3割近くを記録した。以上が打者松岡の簡単な経歴だが、大阪学院大の竹内監督は球の速さ、肩の強さに打者としてはもったいないような非凡さを見抜き、投手への変身をすすめた。大学まで野球をやってくればプロの世界がどんなに厳しいものかは竹内監督、松岡だってよく知っている。この常識破りの方向転換が通用するものかどうか、十月二十日は福山市に出かけて元西鉄捕手の神原隆彦氏、さらに今月十五日には福岡市百道のライオンズ寮で江田コーチ、和田二軍監督らに将来性をたしかめてもらった。テストの結論はいずれも「おもしろい。これならいけそうだ」ということになった。身長184㌢、体重75㌔のすらりとした体格で、右投げ右打ち、22歳。猛練習で疲れきって入団してくる高校出と違って、使い減りしていない鉄砲肩がなによりの魅力。球にスピードがあり、遠投では百㍍をオーバーする。みがけば光る鉄腕だ。投球練習を始めてまだ一ヶ月しかたたない。球種はストレートのほかに、ストレートと変わらぬスピードの、スライダーのような感じのカーブに似た、打者が目をまわしそうなややこしい武器があるという。今月六日、ノンプロの日本新薬との試合で5イニング投げ、許した安打は3本、失点0。さらに十一日は関西六大学の入れ替え戦で最終回の1イニングだけ登板、これも失点なし。いずれもストレートの一本ヤリで、それもど真ん中に投げ込んだという。投手だからといって人種が違うわけではあるまい。また、生まれつき宿命づけられているのでもなかろう。固定観念にとらわれないこの勇気ある身の振り方は、ひとつのテストケースとして非常に興味深い。竹内監督は「もし、松岡が投手で成功したら、投手の発掘、育成の考え方が大幅に変わってくるだろう。投手でないためにスカウトの目に止まらなかった松岡のようなタイプの野手はまだいくらでもいるはずだ」と同選手の今後を注目している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳山文宗

2021-02-02 12:31:05 | 日記

1976年

クラウンが二巡目に指名した立命大の徳山文宗外野手は、京都市上賀茂にある同大野球部合宿でくつろいでいた。クラウン指名の報を入れると「えっ、ほんとうですか?知りませんでした」クラウンという九州のチームに指名されたことが意外だったようだ。しばらく沈黙したあと「ライオンズは考えていませんでした。もちろん事前に打診はありましたが・・・」大学時代の本塁打は4本と決して長打者ではないが、つねに三、四番を打ちコンスタントに三割台をマークしていた自分のバッティングを「在阪球団でためしたかった」というのが本音だ。「でも、プロでやる気はありますよ。不安はありますが、入れば努力したい。しなきゃいけないでしょう」「今後、クラウンに入団するかどうかは両親、知人に相談してからにしたい」というが、条件しだいではクラウン入りがすんなり決まりそうだ。

 

クラウンがドラフト二位で指名していた徳山文宗外野手(22)=身長179㌢、体重70㌔、左投げ、左打ち、立命大=の入団が決まった。クラウンの浦田チーフスカウトと青木渉外相当重役は十五日午後五時半から大阪市北区堂島三丁目のグリル・セレクトで本人に兄・哲男さん(31)同大学の中尾監督、木下コーチをまじえて交渉を行なった結果、契約金二千万円、年棒二百四十万円(いずれも推定)で了解点に達した。なお、正式入団発表は年内に行われる予定。徳山がクラウンに入団する際の唯一の渉外は就職が内定していた河合楽器を説得することだったが、この日午前十時に本人が浜松市内の河合楽器を訪れ、同社にクラウン入団の了解を得たため問題はなくなった。青木重役は「十五日までに会社に了解を得ておいてくれと言っていたのだが、こちらの希望通りになった」と喜んだ。浦田スカウトも「本人と会うのは二度目だが、初めての条件提示を一発で受けてくれた」と順調に事が運んだことに満足していた。「いい選手になる。将来一、二番を打てる打者になる」と浦田スカウトがほれこむ徳山は、関西六大学で3シーズン連続ベストナインに選ばれるなど実力は十分。プロ入り後の課題はバッティングといわれるが、三年の春には一試合七打点を記録したこともある。外野を補強したいクラウンとしては足、守備共に一軍の選手並みの力を持っているので願ってもない人材だ。徳山本人はやや緊張気味に「プロに入ってもやれる自信はあります。目標は左の王選手です」と、でっかい抱負を語った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡本圭右、米谷延夫

2021-02-02 12:13:56 | 日記

1974年

 

南海がドラフト3位で指名した岡本圭右投手(18)180㌢、70㌔、左投左打、兵庫三原高と5位指名の大昭和富士の米谷延夫捕手(24)176㌢、70㌔、右投右打の入団が十日それぞれ決定した。岡本は山下スカウトが、米谷については伊藤スカウトが交渉にあたった結果、条件面でのおり合いがつき、入団が決定したもの。岡本は中央球界では知られていないものの、左の本格派。左投手の少ない南海では貴重な存在となりそうだ。また米谷は長打力こそないが、シャープなバッティングは社会人野球界では定評がある。なお正式な入団発表は二十三日に行われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋谷誠司

2021-02-02 12:04:10 | 日記

1961年

 

セ・リーグ国鉄スワローズは八日午後二時、東京丸ノ内の球団事務所でノンプロ日本通運の渋谷誠司投手=弘前高=と正式契約したと発表した。180㌢、72㌔、左投げ左打ち。同投手のプロ入りについては東映と前後して国鉄から統一契約書がコミッショナーに提出された。このため渋谷投手には二重契約の疑いがもたれたが、東映側の契約書は不備(本人のサインがない)なうえ、本人は国鉄入団の意思が堅かったので、国鉄側に正式契約として発表したもの。問題となった東映の契約書は渋谷投手の実兄庄司さんの代筆。これを書いた理由を庄司さんは「印刷したものに朱線などで消した跡があり、契約書とは思わなかった」といっている。なお同日午後五時半、国鉄北原代表は大川東映社長を椿山荘にたずね、同投手の国鉄入りについての了解を求めた。同社長もこれを了承、渋谷投手の国鉄入団問題はこれで解決した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡本一光

2021-02-02 11:53:40 | 日記

1969年

 

左の岡本は、内角速球とカーブが武器。投手経験が浅いのが気になる。控えに一年生が二人いるが、岡本一人で投げきろう。

 

甲子園初出場で優勝した昨年のチームは、攻守にバランスがとれていたが、ことしは投手で四番を打つ岡本のワンマン・チーム。ややスケールが小さくなったが、岡本は練習試合で投げ込み、マウンドでのかけ引きを身につけ、自信を深めている。打撃も鋭く、チャンスは絶対にのがさない。他の打者もよく練習を積んでおり、しぶとくタマに食いさがる。守備も穴がない。「連続甲子園出場」が合い言葉。戦績は26勝7敗。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢崎健治

2021-02-02 11:44:03 | 日記

1965年

 

広島カープは一日、広島市民球場内同球団事務所で矢崎健治投手(19)の入団を発表した。同投手は十月末、同球団のテストを受け採用されたもの。巨摩高出身、178㌢、70㌔、右投げ、右打ち。矢崎は巨摩高時代には遊撃手として活躍、その堅実な守備ぶりと強肩が高く評価されていた。広島球団には右投手として、テストを受けて見事パス、入団が決まったもの。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林敦美

2021-02-02 11:30:26 | 日記

1984年

 

4月まで投球禁止令が出された野中とは違って、こちら超スピードで一躍ローテーション候補になっているのが、ドラフト2位の小林敦美投手(22歳=リッカー)自主トレに参加して、その出来上がった体力に、上田監督が一目惚れしたという次第だ。自主トレ4日目に行なわれた20分間走では、昨春の12球団対抗リレーマラソンで最優秀選手になった金本や、チームのトップランナー榎田と互角の争いを演じる頼もしさ。なにしろ阪急陸上部といわれるほど走れ走れのヤング勇者、速いことはいいことだというわけではないが、まず脚力で「即戦力OK」となったわけだ。「社会人はやっぱり体が出来上がっている。エエ走り方をしとるな。小林は当然、即戦力として期待してる。彼が加わってくれれば、競争が激しくなるし、その相乗効果が大きいんだ」と上田監督。「年末には一人で30㌔走ってましたからね。これぐらいは・・・。走るのはそう好きじゃないけど、プロに入ったからには、まず、どんなことがあってもついていかなくては・・・」と、ハンサムなマスクからは想像もできない根性の弁。年末のリレーマラソンV2の即戦力で終わることのないよう、今後の頑張りに期待したい。

 

山口高志二世の剛速球王から五色の変化球のクラゲマンかー勇者のルーキーは多士済々だ。まず、山口二軍コーチから「悪いところまで僕とそっくり」と二世を襲名した小林敦。シート打撃で2安打投球を見せたのにつづいて、紅白戦(2月18日)でも好投。オーバーハンドからの剛速球が日ごとに威力を増し、はや開幕一軍当確の勢いだ。紅白戦では、立ち上がりに「ロボットみたいに硬くなって」(小林)1点をとられたが、2回以降はピタリと抑えて、結局、5回を2安打1失点。「まだまだコントロールが甘い。でも、内角の球は打たれなかったでしょう。これで外の低めへ決まるようになれば・・・」と、反省のなかに自信もちらり。紅白戦で小林敦と投げあったのが、ドラフト外入団の谷。1月24日にようやく入団が決まり、合流してからまだひと月というホヤホヤの新戦力だが、こちらも4回を、松永に浴びた本塁打の1点だけと、早くも合格点。なにしろストレートというのがほとんどなく、スライダーにカーブ、シュート、ナックルと変化球のオンパレード。「ピッチングがうまいな。中継ぎなら100パーセント使える」と、梶本ヘッドコーチも太鼓判。若手の伸び悩みに頭を抱えていた首脳陣も、2人の台頭でグッと明るくなった。 上田監督は試合中よりも試合後の方が気がかりだった。

 

「オイ、大丈夫か、アイツ。ちゃんとしゃべりよるか」不安な視線はマイクが突きつけられテレビカメラのライトが当たるお立ち台に注がれていたが、心配ご無用。プロ入り初勝利を完封で飾ったルーキー・小林敦は、熱投の汗や冷や汗をゴッチャにして堂々とインタビューにこたえた。これを見た上田監督。ベンチに座って、さあ立て板に水。「二度目の先発でこれだけやってくれればありがたい。本当に待望久しかった。投手コーチからかなり良くなったと聞いていたが、まさか完封とは。スタミナが心配だったが、走り込んでついたようだ。これからまだまだ良くなるのではないかな。もうローテーション投手の一人として考えていいだろう」5連勝で貯金12。勢いを止めず新人では五十二年、佐藤以来のシャットアウトを演じた小林敦に対するほめ言葉はキリがない。プロに入って変えたスリークォーターからキレのいいストレート。カウントを取れるようになったカーブとのコンビネーションも良く、打たれた安打が6で三塁はだれも踏んでいない。「きょうは1回に4点も取ってくれたし、5回まで何とかゼロに抑えてやろうと思ってました。あとは流れに任せただけです」と小林敦は始めて自分の周りにできた報道陣の輪に、最初は戸惑いを見せた口ぶりだったが、とぼけた男の本性が徐々に出て「ボクみたいなのが完封したらプロ野球界は滅亡するんじゃないですか」小林クン、その逆です。次々に新しい投手が出てくるから球界は栄えるのです。リッカーでは中西(阪神)の控えだった右腕。それが深夜、合宿の近くを黒装束でランニング。福本に「あそこに泥棒がいる」と間違えられたこともある地道な努力が実を結んだ。「ローテーションの谷間」なんて言葉は、もう通じない。

 

1985年

怒られ役№1は、文句なしに小林敦美投手だ。3月16日の西武戦でオープン戦三度目のマウンドに上がったが、2回ももたずにKO。「キャンプで一体何をしとったんや。まったく成長が見られん」(上田監督)とついにファームいき指令。もっとも、キャンプ中の紅白戦からオープン戦と最多登板してきた小林敦。叱られるのが一番多いのも、期待度№1の表れ。

1985年 今年の勇投陣の目玉にと期待も大きかった小林敦投手。キャンプ中の紅白戦。オープン戦と最多登板したものだが、案の相違して、出れば出るほど内容が悪くなり、あえなくファーム落ち。「期待外れとさんざんいわれました。事実だから、しょうがありません」第二の今井と上田監督から命名された、おとぼけ青年もさすがにシュンとしていたが、名誉ばん回を期して、ファーム落ちと同時に武庫川べりでランニングを再開。じっくり下半身から鍛え直している。山田の左ヒザに不安があるだけに、野中とともに「どうしても出てきてほしい投手」(上田監督)本人も「いつまでもグズグズしてられません」

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林敦美

2021-02-02 10:43:29 | 日記

1984年

 

南海の10代トリオの活躍が話題になっているが、負けてはならじと、14日のロッテ戦(西宮)で先発に大抜てきされたのがルーキー小林敦だ。社会人出身(リッカー)とあって、10代というわけにはいかないが、一軍最年少の22歳。若タカ、ショック?でチャンスが早くやってきたものだ。エンジンのかかり方が遅い方で、そのため「ブルペンで多めにほうらした」(上田監督)という配慮が実り、立ち上がり連続三振の上々のスタート。4回まで1安打、5回二死から四球を出し、ボークを演じたあげくタイムリーを浴びるなど、若さも暴露したが、1失点で勝利投手の権利を確保して山沖にバトンタッチ。その山沖が乱れて待望の白星はならなかったが、「よう投げた。あれぐらいやってくれるなら、これからもドンドン使っていくよ」とおホメの言葉を頂いてニッコリ。「初回は足がふるえましたけど、2回以降は何とか。まだまだこれからです」(小林敦) ベテランぞろいの勇者投手陣に、やっと若きヒーローが誕生した。

ことしドラフト2位でリッカーから入団した小林敦(22歳)がその男。5月28日の日本ハム戦(西宮)でプロ入り二度目の先発。打線のすばやい援護射撃にも恵まれて、身上の剛速球をビシビシ。「どこまでもつか」という周囲の心配をよそに、とうとう9回を投げ切り、プロ入り初勝利を完封で飾ってしまった。その小林敦、試合後の談話がまた大物の風格だった。「ボクなんかが完封したら野球界は滅亡するんじゃないですか」とケロり。「ブラントに投げた球(8回)はド真ん中。あれは打たない方が悪い」と相手をこきおろす始末。リッカー時代は、中西(阪神)の控え。知名度でも雲泥の差があったが、プロ1勝で球道を抜いた。「1年生にはどこのだれにも負けたくない」の負けん気と、1日8㌔のランニングを欠かさぬ努力、大物小林敦の前途は洋々だ。めざせ新人王!

 

期待のルーキー小林敦、原因不明の右肩痛でドッキリ!投手回転が苦しくなる夏場。一本立ちの期待がかかっていた小林敦が、突然右肩をはらして大騒ぎ。6日の日本ハム戦の先発予定が、急きょ変更されたのだ。「前日までブルペンでビュンビュンほうってたんだ。それが次の日になっておかしいといってきた。なんでやわからん。それにしてもトロいな」と上田監督もおカンムリ。ナゾの右肩痛というわけだが、後日、本人が明らかにした原因は、なんとハリ治療だった。というから不思議な話。その真相はー。四度目の先発に万全を期そうと、前夜初めてハリ治療を受けた。「生まれて初めてなんですよ。どんなものかと思って、みんなやってますからね。すると次の日に肩がパーッとふくれあがってきて、自分でもびっくりしました」張り切るのはいいけれど、慣れぬことはしない方がいいみたい。「ハリでハレたなんて、だれも信じてくれない。階段から落ちたんだろうとみんなにいわれて・・・。でも反省してます。ハイ」とシュン。ハレは2日でとれて10日から無事投球練習も再開。なんにしても重症でなくてよかったね。ホント。

「野球より走る方がゼニになる」と、カール・ルイスのようなことをいっているのが小林敦美投手。本戦の方は、ことしわずか1勝で、アップは80万円どまりだったが、12日に入るや、走りに走って商品かせぎに大変身。まず1日、名古屋・名城公園で行なわれた12球団対抗リレーマラソン。勇者5人衆は日本ハムに敗れたが、アンカーをつとめた小林敦は、5分43秒で区間賞の「4万円相当の皮製品」を獲得。翌2日、横浜球場で行なわれたプロ野球運動会では、400㍍と1500㍍に出場し、ともに優勝をかっさらって見事、努力賞に輝いた。「いつも練習で走ってますけど、走って賞品をもらえるなんて最高」と勇者のマラソンマンはニッコリ。来年はボールの方でも笑ってほしいネ。

 

速球、変化球とも水準以上の即戦力投手。阪急はことしのドラフトで、社会人または大学生の本格派投手獲得を第一にかかげていたが、1位指名した高野を抽選負け、野中を指名したため、「高野に匹敵する大型投手を」(藤井編成部長)と、小林を指名した。小林は阪神が1位指名した中西と並ぶリッカーのエース。バネのある体をいかした投法で、速球をビシビシ決める。「来季、すぐに一軍入りして活躍できる可能性が高い」と、上田監督は大きな期待を寄せている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする