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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

荒井健

2018-12-23 08:41:44 | 日記
1956年

かねて近鉄から入団をうわさされていた早大荒井健投手(22)は、十七日午後一時半から近鉄球団事務所で正式契約した。同選手は高松一高から早大に進学、本格派投手として活躍した。昭和二十六年高校夏の大会には、準決勝で平安に敗れたが、弱冠二年生で主戦投手として高松一高の上位進出の一翼を担った。早大在学中はあまり芽が出なかったが、練習時には各打者とも打てぬほどの球威をもっている。同選手は東映からも狙われていた。同選手は1㍍71、65㌔、右投右打で、ウィニング・ショットは大学時代にマスターしたスライダー。このほか外角にきまるシュートはかなりの威力がある。

大北近鉄代表談 数少ない投手陣に荒井君が入ったのはうちにとって大きなプラス。本人は大学時代あまり活躍しなかったが、本格派投手の少ないうちに、同君の入団をみたことは喜ばしい。こんごとも荒井君の活躍を期待したい。

荒井選手談 東映からも話はありましたが、芥田監督はじめ今村さんなど、母校の先輩がいる球団だけになにかにつけて心強いし、監督さんの人格面に願するところがあって近鉄入りを決意しました。まず一所懸命頑張るだけです。
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長倉大宝

2018-12-23 08:27:28 | 日記
1957年

近鉄パールズは二十六日中津高の長倉大宝捕手(18)と大阪阿倍野の同球団事務所で正式に契約したと発表した。同捕手は身長1・73㍍、体重68㌔、右投右打で高校在学中、四番で3割4分1厘の高打率を記録。長距離打者ではないが、強肩としぶとい打棒に定評がある。ほかに日鉄二瀬から勧誘されていたが、先輩の今村マネージャーを頼って近鉄入りしたもの。
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酒井敏明

2018-12-23 08:21:58 | 日記
1955年

酒井敏明(21)=桑名高ー早大、右投右打、5尺8寸5分、20貫、東京六大学の花形プレイヤー。早大優勝の功労者の一人として活躍したのは有名。本人の希望で中日入りが実現したもの。打率も秋季リーグ戦では0・233でベスト・ナインに選出、六大学選抜軍の捕手として近くフィリピンに遠征する。とくにヘッド・ワークにたけている点、中日捕手陣には大きなプラスとなろう。
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1956年中日退団選手

2018-12-23 08:17:30 | 日記
1956年

新チームへの脱皮をつづけている中日ドラゴンズでは八日、名古屋市中区の球団事務所で原田選手を筆頭に名古屋地方在住の十七選手と来シーズンの再契約を完了した。契約は平岩代表との間に終始スムーズに行なわれ、わずか四時間で終ったが、どの選手も来年への決意を顔にみなぎらせ、なかには涙を流して「今年は不振で申訳ありません。来年こそは心機一転、天知新監督の下で思い切って働きたい」と語る選手もあった。また新婚早々の石川克投手も東京から来名「来年は必ずカムバックして、今年の不調を返上します」と語っていた。加藤進コーチは今年から再び現役選手として契約。来シーズンは代打要員として第一線で活躍するものとみられる。これでドラゴンズの再契約選手は、さきに東京で完了した西沢ら五選手を加え二十二名となった。このほか地方在住選手の空谷、大矢根、岡嶋らには書類を発送、書面契約を行なう。なお球団では同時に第二次整理選手十四名を発表した。八日再契約した選手および整理選手はつぎの通り。

「再契約選手」投手=徳永、石川克、伊奈、中山、田原、石川緑
捕手=加藤、河合、酒井、島津
内野手=井上、丹羽、早川
外野手=原田、山崎、本多、戸田
「整理選手」カッコ内は就職先
移籍 太田敏外野手(東映)
自由契約選手
投手=吉岡(CBC)伊藤健(未定)高山(自営)尾崎(ダイハツ工業)水谷(東海理化電)奥原(同)
捕手=山本(東海理化電)佐々木(千多加KK)
内野手=千葉(未定)兼子(ダイハツ工業)伊藤正(東海理化電)
外野手=田代(自営)
任意引退選手 船津投手(リッカーミシン)

平岩代表談 構想通りすべてが順調に進んでいる。私の手で一応すっきりした形のチームをつくり上げ、天知監督に引き継ぎたい。天知監督も「来年はキャンプでベテラン選手をウンとたたき上げる」とはっきり言明されているので、とにかくファイトに満ちたチームが実現できると思う。整理選手についてはなお一、二名検討中のもあるが、大幅な第三次整理などはいまのところ考えていない。補強の点もこれで一段落したので、あとは天知監督と相談のうえ、新チームの内容をつくり上げたい。その発表は十五日以降となる見込みだ。
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難波昭二郎

2018-12-23 07:56:17 | 日記
1957年

関西六大学の強打者関大の難波昭二郎三塁手(23)は、かねて巨人入りを伝えられていたが、五日午後一時東京会館別館会議室でボーナス選手として正式契約を行なった。難波選手は1㍍72、75㌔、右投右打、二十九年高槻高から関西大学に進学と同時にその強打ぶりは注目されていたが、昨年神宮球場で行なわれた大学選手権に外野手として出場し、当時の早大、日大のエース木村(現南海)島津(現熊谷組)らを打ち込んでから一躍全国的に知られるところとなった。昨年、本年と連続出場した大学選手権で通算3ホーマーしたのをはじめ、関西六大学リーグでは通算9ホーマーを放って同リーグの新記録を樹立するなど、東の長嶋にたいする西の難波としてプロ球界から激しい勧誘をうけていた。同選手は高校時代遊撃手、大学に進んでからはほとんど三塁手(昨年一シーズンだけ外野手)をつとめたが、吉田のような華麗さこそないが、堅実味豊かな守備力を持ち合わせている。大学時代を通じての打率が2割8分、三十一年春ベストテンの四位にランクされたのが最高というから、打率面からみれば抜群の選手とはいえないが、彼の魅力はなんといっても一触即発の豪快な打棒である。巨人は立大の長嶋も九分どおり掌中に収めたと伝えられるが、もし長嶋獲得が成功すれば長嶋、広岡、難波という最高の大型内野陣が実現されるわけである。

難波選手の話 ほとんどの球団から誘われてずいぶん迷いましたが、兄や大学の監督さんの意見も採り入れてよく考えたあげく、伝統を誇る巨人にお世話になろうと決心がつきました。いまになってみると、やはり落着くべきところに落着いたという気持ですね。ボーナス選手という特別の配慮に報いるためにも、川上さんはじめ諸先輩に指導を願って一所懸命やろうと思っています。

渡辺代表の話 今シーズンは公式戦、日本選手権を通じてあのように苦しみ、新人補強の必要を痛感させられた。とくに投手と内野手をとりたいと思っていた。その第一号としてこの難波君がきまったわけで、ボーナス選手として契約しました。ほかにも大物選手の交渉を進めているし、首尾よくいけば来年は見違えるように充実すると思う。
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小林昭則

2018-12-23 07:18:48 | 日記
1985年

帝京のエース小林昭則投手が変化球の持ち味を存分に発揮して広島商打線から10三振を奪い、3安打に完封した。ストレートは三割に抑え、あとはシュートとカーブを巧みに混ぜた。シュートは、胸元で浮き、あるいは沈む。カーブの曲がりも大きくよく落ちた。握りのせいか、ストレートとみえても、ベース付近でストンと落ちることがあるから打者は打ちにくい。このミラクル投法に広商打線は的を絞り切れないまま打席で泳がされた。外野へ飛んだのは安打の3本だけ。フライも内野への3本という結果が、小林昭の功投を示している。
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