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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

八浪知行

2018-12-06 23:26:36 | 日記
1952年

西鉄の新人八浪知行外野手はさいきん二本の殊勲打を記録して注目された。六月廿二日対毎日八回戦(後楽園)の九回二死後代打に起用されてレフトホーマー、同廿七日対阪急八回戦(西宮)では五打数四安打、延長十回の熱戦に終止符を打ったのは彼の三塁打だった以下は後半戦に上位進出を狙う西鉄のホープ八浪選手の横顔

熊本県といっても福岡県より、有明海にそそぐ菊池川のほとりの玉名郡玉名町に昭和五年七月、七人兄妹の三男坊として生れた、小、中学時代は野球などもってのほかという戦争にわざわいされてボールを握ったことさえなく、球生活の第一歩は熊本工業に進んでからのこと。「大先輩川上さんに負けないようにというのがそのころのぼくたちの合言葉でした。部員はたった十四、五名でしたが、練習また練習の毎日で、昭和廿五年春の選抜野球大会に九州地区代表として出場できたときの嬉しさは今でも忘れられません」一回戦は尼崎高を15-9と大破して勝ち進み、八浪選手が勝利投手となったが、準々決勝で高知商に5-3で敗れた、しかしこの二試合を通算して打数九、安打五を記録同大会の打撃賞を獲得した、そして美しいスウィングが買われて廿六年卒業と同時に西鉄に入社した。「熊工のときも投手、捕手、外野となんでもひきうけてやっていたんですが、二軍に入って捕手をやれと命じられました。一生懸命やりましたが、捕手というポジションは一朝一夕でマスターできるものでないということがよくわかりました。やればやるほどそのむずかしさがわかってきて、スクンでしまうんです」結局一年間二軍で芽が出ずもうプロをやめようと思ったそうな、西鉄の方もやめようという八浪選手を別にとめもしなかったという。それでも好きな野球があきらめきれず心機一転を狙って去年のシーズン終了後、甲子園で行なわれた巨人軍の新人公募テストをこっそり受けてみたところ見事に合格「よし!俺でもやれるという自信がこのときから湧いてきました、そしてぼくの生きる道はバッティングだと眼が開けたんです、三原さんも外野手になれといってくれました、もう迷うことなく頑張って行けますよ、どうせ打撃人になるなら先輩の川上さんに負けない位の打者になること、それがぼくの夢ですよ」
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