プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

迫田七郎

2018-07-21 23:02:55 | 日記
1965年

東京・永田オーナー自慢の種が、また一つふえた。永田さんは誇らしげにこんなことをいう。「銭のかかった選手が働くのはあたりまえや。しかし、うちには銭がかかっていないのに、いい選手がいっぱいいる」ナイター開きの一戦で活躍した西田がそうだが、この日好投した迫田もそのうちのひとり。迫田は一昨年秋、テスト生として東京に入団した。テスト日、一通の紹介状を持ちボストンバッグをさげてグラウンドにきたニキビづらの少年があった。それが迫田だった。身長1㍍75、体重70㌔。一見、ひ弱そうにみえるが、なかなかシンのある男だ。入団一年めの昨年はイースタン・リーグで12勝4敗の好成績を上げて、同リーグの優秀選手となった。公式戦にも12試合に登板している。勝ち星に恵まれず、この夜の1勝がプロ入り初勝利でもあり、また初完投であった。真田コーチの秘蔵ッ子で、ことしは同コーチ直伝のカーブに威力を増し、この春のオープン戦では23イニング投げて無失点というすばらしい成績。評論家の間でも評判がよかった。チームの中では七ちゃんという愛称で呼ばれ人気がある。入団二年めだが、昨年研修を受けているので、ことしは新人王の資格がある。濃人コーチが山崎を候補にあげれば、真田コーチは「いや新人王は絶対にうちの投手陣から出しますよ」と迫田の活躍に期待をかけている。小山、坂井についで迫田が一本立ちし、三人の柱をつくるというのが同コーチのことしの青写真。この日の迫田はその期待にりっぱにこたえたわけだ。「きょうはシュートがよかった。しかし八回のピンチにヒヤリとしました。だが醍醐さんのおかげですよ」とけんそんする。さる十八日夜の対南海戦でもよく投げており、この日の勝利は決してフロックではない。ラーカー、張本といった東映の強打者を相手にしても「特別に左に対してにが手だという意識はありません」と少しも臆するところがなかった。鹿児島の照国高出身で「故郷のおふくろから早くりっぱな投手になっておくれという手紙がよくきます。ことしは東京にも遊びにくるといっていましたが・・・」とこれで母親も自慢話ができるといいたそうな迫田だった。
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迫田七郎

2018-07-21 22:42:02 | 日記
1965年

ちょっと見れば、スマートな好青年、東京オリオンズの迫田七郎投手が12日の対阪急戦で4勝めをあげ、ハーラー・ダービーの二位にのしあがってきた。防御率も二位。本堂監督も「いまの迫田はもっとも安定している」とベタほめ。このままいけば、荒巻、権藤正、宅和、稲尾、権藤博につづいて、九州から六人めの新人王が誕生する可能性が大きくなってきた。迫田は12日の対阪急戦で右ももにほうたい巻いて登板した。その前の対南海戦で肉ばなれを起しているのだ。バックの失策がつづいたが、自責点2の好投で阪急をくだして4勝めをあげた。サツマハヤトらしい根性の勝利である。これで4勝1敗。うち完封勝ち2をふくんでおり、防御率は1・37で三浦につづいて二位。南海をのぞく各球団から勝ち星をあげたわけだ。@南海の打線はいいですねやはりこわいです」と語るが、4月18日にはバックの貧打から2-0と敗れているだけにこんどこそはの気迫がじゅうぶんにうかがえる。今季好調の原因は「スピードがましたこと。タマのキレがよくなったこと。シュートがインコースにきまる」こんご改善する点については「ストレートが外角低めにビシッと決まるコントロールをつけていく」-と、自分のピッチングをこう分析して反省する。まだニキビがかわいい好青年だ。真田コーチはこの迫田を高く買っている。「タマが自然に変化する。シュート、スライダー、カーブのコントロールがいい。もっともいいのは、性格はおとなしいが、ピッチング度胸のよい点だ。どんな打者にもチビらず勝負に出る。ことしは絶対迫田に新人王を取らせるよ」と絶対に力を入れた。

永田会長も迫田にベタボレのひとり。四月の開幕直前にこう語った。「ボクが監督ならオリオンズのオープニング投手は迫田にするね」オープン戦で23イニング三分の二投げて自責点なしという。12球団最高の成績を買ったものだろうが、それ以上に、迫田は契約金なし、一昨年秋テスト生として入団した点が永田会長にしてはかわいくてならぬのだろうーとは関係者の話。昨年はリリーフで12試合に登板して自責点なしの一敗。永田会長の命令で迫田を先発させようとしたが、雨でゲームが流れたこともあった。イースタンリーグで12勝4敗、ベストナインに選ばれた成績を評価されたからだ。ゲームのない日は合宿で寝ころんでラジオを聞くだけというまじめな青年。オールスターごろに鹿児島県垂水市にいる両親を招いて親孝行をする予定だ。「でもおかあさんは来ないだろうから、おとうさんだけかな」とつぶやいていたが、オールスターに迫田が選ばれると、おかあさんも上京するかもしれない。
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糸数勝彦

2018-07-21 22:14:13 | 日記
1977年

ぬれ手ぬぐいでさわればジュッと音がするくらいに燃えさかっている木村に比べると、糸数の方はいささかおとなしい。「二年やってみて、野球のむずかしさがわかりました」と言う。昨年の夏にとりつかれた内臓疾患は完治したが「コントロール、球威ともあと一歩。上体の突っ込みが早過ぎたのが、投げ込みのおかげで何とか直りかけてるところで・・・」と正直そのもの。「巨人戦ではいいところだけが出ました。カーブとシュートがよく決まったので・・・。ウエスタン・リーグの成績は18試合に登板して3勝6敗。うち2勝が完投勝ちだ。うまくペースに乗ればスイスイと一試合を投げ切ってしまう。しかし救援ではよくない。この一年でそんな結果が出た。「素直でセンスもある。将来は大きく伸びる素材」と三浦コーチは期待しているが、先輩格の大屋、木村にややリードを許している感じは否めない。沖縄の星には、もっと欲を出してほしいものだ。
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田辺修

2018-07-21 00:32:00 | 日記
1965年

田辺が初完投を完封で飾った。徳島県の美馬商工高という野球では無名の学校を出たプロ三年生だ。左足を伸ばしたまま勢いよく上げる投球モーションが特徴でタマも速い。ただ制球にちょっと難があるのだが、この試合ではコーナーいっぱいによく投球が決まっていた。「自分ではカーブがかなりよかったと思う」という。足を振るのは「リズムを取るのと打者のタイミングを狂わすためで、野口コーチに教えられて始めた」そうだ。初完封。

岩本監督が目を白黒させてニガ笑い。「驚いたよ、田辺のやつ・・・。ほんとに驚いた。シャットアウトなんだからな」信じられないといった表情だ。田辺もキョトンとした顔。報道陣の質問攻めには「ハー、ハー」とたよりない返事でこれまた他人ごとのようだ。しかし、初めての完封に「九回を投げるのはシンドイですね」としみじみとした表情で語る。初完封の感想については「信じられません」と小さな声で語った。
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