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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松室武

2018-04-14 23:35:37 | 日記
1967年

南海ホークスは十八日、午後三時、大阪なんば、大阪球場内の会議室で、広島カープから移籍した大和田明、竜谷大・松室武、岐阜商・坂(ばん)英男の三人の外野手の入団を発表した。大和田は、手薄な外野陣の補強のため、金銭トレードで獲得した。身長1㍍76、体重76㌔、右投げ、右打ち。松室は、昨年、ドラフト会議で指名したが、あとで卒業までもう一年残していることがわかり、交渉権を放棄したいわくつきの選手。三十八年の九月、近大から竜大に編入学したが、これが関西六大学の野球規約にふれ、選手資格をはく奪された。竜大ではその後、コーチとして野球部に籍をおいた。そのため、ここ五年間は、硬式試合に出場していないが、岡村スカウトは「直球だけなら10本打てば8本、スタンドにたたき込むだろう。とにかくパンチはすごい」という。身長1㍍75、体重76㌔、右投げ、右打ち。坂はことし春、甲子園球場のセンバツ大会に出場した。百㍍11秒5という俊足の持ち主。バッティングは、伊藤スカウトが「下半身がしっかりしている。若いときの広瀬のような打者だ」と太鼓判を押している。身長1㍍76、体重70㌔、右投げ、右打ち。

松室外野手の話「待望の南海にはいれてうれしい。ことしはほんとうに長い一年だった。公式戦には出場できなかったが、春、秋のリーグ戦前のオープン戦には出してもらったので試合のカンはそうにぶっていないと思う」
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1968年 南海入団選手

2018-04-14 23:01:02 | 日記
1968年

南海ホークスは二十四日、大阪球場内の球団事務所で、近大・藤原満内野手(22)、星林高・東出康博内野手(18)、大阪電気通信高・中礼政博(ちゅうれい・まさひろ)投手(18)、西野田工・真部繁敏(まなべ・しげとし)投手(18)、津商高出、細谷保雄捕手(20)、早大・市原稔内野手(23)と正式契約したあと、入団を発表した。藤原は南海がドラフト会議で四位に指名した攻守走三拍子そろった遊撃手。初め四国電力に就職が内定していたが、南海の強力な勧誘に翻意、入団に踏みきった。右投げ右打ち、身長1㍍77、体重77㌔。東出はことしの春の選抜野球、夏の高校大会で三塁手として三番を打ち活躍した。南海はドラフト会議で八位に指名、交渉をつづけていた。右投げ右打ち、1㍍78、78㌔。中礼、真部の両投手、細谷捕手、市原内野手は去る一日、南海が中モズ球場で行なった新人採用テストの合格者。中礼は右投げ右打ち、1㍍74、74㌔。真部は右投げ右打ち、1㍍82、70㌔。細谷は右投げ右打ち、1㍍72、70㌔。市原は来年早大を卒業するが、野球部にははいっていなかった。右投げ右打ち、1㍍71、67㌔。背番号はいずれも未定。
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渡部司

2018-04-14 21:46:42 | 日記
1969年

中日・法元スカウトは二十四日午後零時三十分、兵庫県相生市石川島播磨重工相生工場を訪れ、中日がドラフト会議で第二位に指名した渡部司投手(19)=175㌢、74㌔、右投げ右打ち=とその関係者に指名あいさつを行なった。この日は第一回の会見のためあいさつの域を出なかったが、渡部投手は同夜さっそく宮崎市大字内海の両親の許へ電話して中日との初交渉を報告。また渡部の周囲にもプロ入りについて強い反対意見を持つ人がいないため、今後の交渉でスムーズに中日入りが実現しそうな雲行きだ。
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久野剛司

2018-04-14 20:02:32 | 日記
1966年

プロ1年目、何もかもが目新しく、吸収出来るものは全て吸収してやろうと思い、大張り切りでシーズン開幕を迎えた。デビューは4月18日、甲子園での対巨人3回戦である。リリーフ投手として登板、2/3イニングを投げ無安打、1四球と、チームは敗れたがボクは合格点をもらえた。この経験は多いに自信を与えてくれた。その後、8月20日、西京極で対広島16回戦に登板して3安打4三振2四球に押え、地元での初完封勝ちを飾った。この時はうれしくてたまらなかったし、プロに入ってよかった、としみじみ思った。今シーズンを省みると、成績は1勝6敗1分けだが、38試合に登板し投球回数93回1/3で奪三振36個、完封勝利1、防御率2.81とチームの中では村山さんに続いて五番目の成績を残せた。一年生としてはまあまあとは思うが、やはりもう少し良い成績を残したかった。しかしヒジの痛みもほとんど回復したので、来シーズンはベストを尽して投げまくる覚悟だ。そして、自分の力を試してみたい。若手投手の台頭が即優勝に結びつくわがチームにあれば、何が何でもガンバラにゃならないと今から闘志を燃やしているのである。ボクは昭和18年5月21日、戦争の真最中に大阪府八尾に生まれた。父(時松)母(節子)。九人兄弟の八番目で、多勢の家族の中でのびのびと育てられた。幼いころから野球が大好きで遊びといえば野球以外はしたことがないように思う。小学生の頃は近所の神社の境内に集まっては、ボールを追い、バットを振りまわすことで明け暮れた。ボクは無口な性格である。それというのも小学三年の時、病に倒れた母がこの世を去ってしまった。優しかった母がもう二度とボクの所へ帰って来ないとわかった時、ボクはどんなに悲しかったろう。今でもその頃がありありと目に浮かぶのである。
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久野剛司

2018-04-14 19:35:19 | 日記
1966年

男八人、女一人の九人兄弟。その中でも下から二番目の久野が父親時松さんの自慢だ。「小さいときからシンが強うて剛司とつけた名前がピッタリだ。一度自分で決めたらとことんやり抜く、そんな子です。おれ、プロにはいって投げまくったるというて阪神にとび込んだんですわ。初めはあまり相手にされんようだったけど、わたしはきっとやるやろうと思ってました」オープン戦はこの日で六試合マウンドに立った。打たれたゲームはまだ一度もない。「あまり期待できそうにない。第一ローテーションにはいれるかどうか・・・」といわれた前評判を打ち消して無失点記録を十六イニングまでスイスイとのばしてきた。ナインの中には早くも新人王というかけ声もある。だが久野はいたって低姿勢だ。「自信?まだちょっぴりです。監督だっていまのところはうまいことごまかしとると思っているんじゃないかな。大学時代に比べてストレートに切れ味がないんです。きょうはコントロールもようなかった。それにもっとすごい決め球をねらったところにピタッとほうれるようにならなくちゃ・・・」それでもたいへんな負けずぎらいだ。「高校出の石床に絶対負けない」といい、この日投げ合った東京六大学出身の渡辺にもファイトをもやした。「渡辺とは大学二年のときに東西対抗で顔を合わせたことがあるんです。このときはぼくの負け。だからかたきをとってやろうと思うて・・・。とにかく東京六大学の選手には負けたくない」この日は六回で石床と交代したが「投げつづければ完投できた」という。「もうだいぶなれてきた。ナインもみんなで盛りたててくれる。シュートとスライダーでゆさぶるピッチングにもある程度の余裕が出てきたし・・。点をとられる気がしないだろうって?そんなこともないけど、マウンドに立つたびにやれそうな気がしますね」今シーズンの目標はもちおん新人王。「タイトルを取るにはどうしても15勝はしなくちゃいかんでしょう。いまのところはその土台づくり。ここで力をみんなに認めてもらって、本番へのチャンスをつかむ。とにかく思い切ってやります。おやじにようやったとほめられる活躍をしなくちゃ・・・」15勝と新人王をねらって目を輝かせた。
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飯山正樹

2018-04-14 19:15:19 | 日記
1971年

柚木チーフスカウトは二十三日午前九時十七分大阪駅発の特急「しおじ」で広島入り、二位に指名した北川工高・飯山正樹投手(18)との交渉にはいる。この日、飯山家から電話連絡がはいったもので、同校理事長の北川実夫・府中市長宅で、父親の光明さん(50)=鉄工所経営=と会って一回目の入団交渉にはいる予定。
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飯山正樹

2018-04-14 19:11:21 | 日記
1971年

南海は六日正午から大阪・難波の球団事務所で2位指名の北川工・飯山正樹投手(18)=178㌢、72㌔、右投げ右打ち=と契約金700万円、年棒150万円(推定)で正式契約、同一時入団発表した。南海の新人入団第一号。同投手は甲子園出場の経験はないが、速球を主体とした本格派投手で、中国地方では屈指の好投手として知られていた。1試合平均10奪三振、岩国との練習試合で自己最高の15三振を奪うなど剛球投手として鳴らした。今年夏の予選大会で惜しくも三回戦で広島工業高校に3-2で敗れたが、早くから各スカウトの注目を集めていた。交渉に当たった柚木スカウトは「とにかく球が速い。真っ向から投げおろす本格派投手で、横の変化はなく、縦の変化ばかりだが、それだけにこれから伸びる要素が多い」といっており、投手難の南海としては大きな期待を寄せている。

新山球団社長の話 投手の強化を目ざしていることでもあり、飯山君の入団は心強い。まじめな性格のようだし、とにかくがんばって大いに活躍してくれることを期待する。

飯山投手の話 阪神の村山さんのようなタイプの投手になりたい。豪快なピッチングに魅力を感じる。野球は広島の試合しか見たことはないが、練習を一生懸命やって、早く自分で投げたい。
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橋野昭南

2018-04-14 18:25:09 | 日記
1971年

先日球団から整理(自由契約)をいい渡された橋野。チーム切ってのまじめ人間もやはり年には勝てずついにお払い箱というわけだが、この事態を一応覚悟していたらしく「11年間プロでやれたということで満足です。悔いはありません」ときっぱり。しかし潔くこういったものの、最近までまだやれるという考えがかなり強く作用していたらしい。今後の生活設計についてなにも決めておらず「三つ四つあてがあるので、自分に合った道をこれから選びたい」とはいうものの、第二の人生に対する不安は隠し切れない。
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藤田賢治

2018-04-14 15:32:06 | 日記
1969年

プロ野球ドラフト会議で大洋球団から指名されていた富山北部高三年、藤田賢治投手(17)=富山市七軒町=は二十日夜、自宅で大石スカウトと話し合った結果、入団することになり、契約書に調印した。藤田投手は左腕で172㌢、70㌔。今春と夏連続で甲子園のマウンドをふみ、夏の大会では富山北ベスト8入りの原動力となった。スピードはもうひとつ欠けるが、コントロールとキレのよいタマは抜群で注目されていた。

藤田投手の話 明大へ進学したい気持ちは最後まであったが、両親ともよく話し合った結果「好きな野球をプロの世界でやってみよう」と決めた。大洋は左投手が少ないので、しっかりがんばって早く第一線に出たい。
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竹中昭

2018-04-14 15:26:59 | 日記
1970年

プロ野球の広島東洋カープに指名されていた東伯郡東伯町三條、由良育英高三年、竹中昭投手(18)=右投げ右打ち=は六日、同球団にはいる意思を明らかにした。正式発表は十四日ごろ広島で行なわれる。この日、倉吉市の井筒旅館に広島東洋の木場スカウトが訪れ、山本由良育英高校長、牧野同高監督、父親の勝義さん立ち会いで契約に関する話し合いが進められ、双方の条件が合意に達したもの。正式入団は卒業後になる。竹中投手は甲子園出場の経験がなく、全国的には無名だが、恵まれた体力を生かした本格派投手として評価されていた。県下の高校球児で今春、プロ入りが決まったのは竹中投手が初めて、昨年は松原投手(鳥取西高)が巨人に入団している。
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児玉好弘

2018-04-14 07:48:05 | 日記
1970年

阪急は二十八日午後二時から、大阪梅田の東阪急ビル内の球団事務所で、日軽金の児玉好弘投手(24)=178㌢、74㌔、右投げ右打ち、宇部鴻城高出身=の入団を発表した。渓間代表、丸尾編成部長立ち会いのもとに記者会見に臨んだ児玉は、社会人野球選手らしく落ち着いたもの。その態度には「ドラフト指名選手には負けない」という闘志と自信があふれていた。同投手は、一昨年のドラフト会議で、ロッテに指名されたことのある実力派。鴻城高時代甲子園に出場している(第三十四回大会)日軽金で先発・完投、救援の大車輪の働きを見せ、都市対抗野球、産別大会など大試合にも出ている。

児玉投手の話 プロ入りしたからには、早く第一線へ出てやりたい。だれを目標にするというのではなく、自分の持てる力をフルに発揮したい。
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