「人間というものは、見かけによらず、自分で目的を創り出したりはしないんだ。目的は、人間が生まれた時代によって押し付けられたものさ。人間はその目的に奉仕することも、反逆することもできるけれども、いずれにせよ奉仕や反逆は外から与えられたものだ。目的探求の完全な自由を味わうためには、自分一人になる必要がある。でも、そんなこと、成功するわけがない。なぜかというと、人々の間で育てられなかったような人間は、人間になりえないからだ。この、ぼくの・・・神は、複数という概念を知らない存在であるはずなんだよ、わかるかい?」
『Solaris』(スタニスワフ・レム/沼野充義訳/国書刊行会)
自我は、
- ・・・に対して・・・である
- ・・・に対して・・・でない
という二元の思考、「ルビンの壺」から逃れられない。自己と他者は互いを必要とし、個の輪郭をはっきりと浮かび上がらせるのは、自ら選びとった行為のみ。
沙慈・クロスロードという戦争当事者について考えないと『00』を観たことにならないので、がんばります。キツいなあ、もう。
L4コロニー・プラウドでアロウズの掃討作戦に巻き込まれたのが始まりで、連邦軍には、
「バイオメトリクス(生体認証)がヒットした。こいつはカタロンの構成員だ!」(#05)
ティエリア・アーデには、
「誰だ、君は。アロウズのスパイか」(#06)
そのたびに、違う!違う!と叫ぶしかなかった沙慈クン。もう・・・なんというか・・・もどかしくて切ない。この、どこの何者でもない、という状態。
もし彼が、僕は日本人だ!と叫んだら・・・どうなっていたのでしょうか。
・・・日本人か、経済特区の。それならスパイも反抗もできないな。おまえはここにいるべきじゃない、早く帰れ。
意外とすんなり、疑いが晴れたりして。
もっとも、連邦議会がおそらくは“カタロン狩り”のために保安局をアロウズの直轄組織とするよう決定した後なので、日本に帰ったとしても空港で即逮捕、だったでしょうけどね。
つまり「巻き込まれた」時点で、沙慈はそれこそスパイでもして身の証を立てるか、不審者として監視され続けるか、どうにもならない境遇に陥ったわけです。
「この当時の日本は、科学技術面に特化して発展している国と想定していて、本編中では語られませんが、日本海側のほとんどがユニオンの基地となっていたりします」
『機動戦士ガンダム00オフィシャルファイルvol.6』(講談社)
極東における紛争の最前線であるにもかかわらず、紛争から隔離された日本。その矛盾に満ちた国で、
(沙慈)「人を殺せば君達と同じになる。そんなのはゴメンだ」(#01)
という信念を、あえて云いますが、不幸にも試されることなく、確かめることなく生きてきた沙慈。
だとしても、なぜ日本は豊かなのか、その豊かさを守るシステムの“動脈”を流れるのが水なのか油なのか、血なのか「日本人」なら知っておくのが筋。そして、武器を手にする以外の緩やかな、静かに侵攻する暴力も、この世にはあることを。
余剰生産物の交換ならば問題ありませんが、自らの領土で生産できる量を超えて贅沢な生活をしようと思えば、他人の領土に踏み込んでいって、資源を奪ってこなければなりません。そうなれば、当然、争いが起こります。
『金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った』(安部芳裕/5次元文庫)
暴力からの隔離は、暴力への対抗手段を知り得ぬがゆえに、己の暴力もコントロールできない弱さを育ててしまいます。
(沙慈)「それでも、君達も(スローネと)同じようにガンダムで人を殺し、僕と同じ境遇の人を作ったんだ。君達は憎まれてあたりまえのことをしたんだ」(#03、以下同)
(刹那)「わかっている」
(沙慈)「“世界”は平和だったのに・・・あたりまえの日々が続くはずだったのに・・・そんな“僕の平和”を壊したのは君達だ!」
たまたま描写がなかっただけなのかもしれませんが、沙慈がトレミーのクルーの中でも5年前からの知人、つまりはもっとも怒りをぶつけ易い相手、刹那・F・セイエイを選んで批判(judgement)を繰り返しているような気がして、それはもう耳と目が痛かった。たとえばティエリア・アーデには・・・怖くて云えないでしょう。こういう弱さは誰にでもあります。
(沙慈)「あの子供達も君達の犠牲者だ。君達が変えた世界の」(#05、以下同)
(刹那)「ああ、そうだな」
(沙慈)「なにも感じないのか!」
(刹那)「感じてはいるさ。俺は2度とあの中に入ることはできない」
(沙慈)「それがわかっていて、なぜ戦うんだ!」
(刹那)「理由(わけ)があるからだ。わかってもらおうとは思わない。・・・恨んでくれてかまわない」
そうしたら、「話をしただけ」で死者が出た。
しかも、刹那に投げつけた言葉がすべて戦いに身を投じたルイス・ハレヴィに向かっていた、という悲劇が同時進行していて、ここでも「ルイス=刹那」を感じたりするのですが、とうとう、
(刹那)「自分だけ平和なら、それでいいのか」(#03)
という問いかけに対して、
(沙慈)「僕達は関係ないのに、こんなところにいるのがおかしいんだ。戦争なんて、やりたいやつらだけで勝手にやってろよ!」(#12)
本音を引きずり出されるところまで、彼は堕ちなければならなかったのだと思います。視聴者とともに。
沙慈がやさしいのは、とてもよくわかります。新型オートマトンの性能実験の餌食になりかけた時、命を救ってくれた人が刹那だと知って再会を喜んだほどに。彼はいつの間にかいなくなった「お隣さん」を、その後も気にかけていたのでしょう。あれが彼の純粋な気持ち。
しかし刹那という存在に付属する情報が、沙慈の過去を改変します。
この、情報による過去の改変、というやつ。
(ルイス)「刹那・・・彼も組織の一員だった・・・その彼の隣に・・・沙慈は・・・関係・・・してたんだ・・・あの頃から!」(#12、以下同)
このようにとても厄介で、気持ちまでが嘘になってしまう。思い出の全件削除。本人にとっては事実で、これも「生まれ変わり」には違いない。
(刹那)「なぜ、彼女はアロウズに」
(沙慈)「・・・決まってるだろ・・・ガンダムが憎いんだよ、ルイスの両親はガンダムに殺されたんだ!」
ここからの沙慈と刹那のやりとりは圧巻でした。
たとえば、刹那はルイスの動機を問うよりも「なぜ、彼女はアロウズに(入ることができたのか)」、一留学生にすぎなかったルイスがアロウズに入隊し得た不自然を指摘したのかもしれません。
沙慈にはその思考が通じない。共有できる知識も経験も、彼の中にはないからです。彼にとって刹那は「ソラリスの海」ほど遠い存在。
(刹那)「戦え。ルイス・ハレヴィをアロウズからとり戻すには、それしかない」
(沙慈)「僕が・・・戦う・・・」
(刹那)「彼女のことが大切なら、できるはずだ」
(沙慈)「・・・っ、人殺しをしろって云うのか!」
(刹那)「違う。彼女をとり戻す戦いをするんだ」
(沙慈)「そんなの詭弁だ! 戦えば人は傷つく、ルイスだって」
(刹那)「おまえのための戦いをしろ」
これも、「戦い=運命に抗う意思の形」「戦う理由(わけ)≠過去の罪滅ぼし」とは酌めずに、刹那を一発ぶん殴って沙慈は「対話」を強制終了させました。
人を傷つけずに戦いを止めるのは、かくも難しい。
ただ、同じく戦いを忌避するマリナ・イスマイールは刹那の気持ちを酌むであろう、と想像できます。
呼び出されていきなり「そうは云わない」と、“刹那語”をかまされたライル・ディランディも29歳をやっているだけあって、彼の真意を理解しました。
沙慈は戦いを止めるために必要な、武力ではない「力」を刹那が使っていることに気づいていないようです。
それは共感(sympathy)。
言葉に意味を付け加えようとする情報を殺ぎ落とし、言葉というチャネルを通して心へアクセスし、人の気持ちを形にたとえるのなら、これは三角形(triangle)、あれは五角形(pentagon)、この八角形(octagon)なら俺も持っている・・・というふうに相似を見出す作業です。波動の共振(resonance)です。
そうやって刹那は、どうしてこんなことに・・・と悲しみ、想う人のところへ行きたい、と必死な沙慈の心に寄り添ってみせました。「中東再編」によって壊れゆく地上にマリナを残して宇宙へ上がらなければならなかった悔しさを、刹那は知っていますからね。
殴り返すこともなく。
かなり高度なコミュニケーションスキルですよ、これ。プロービング(Probing)かな。
刹那、どこで覚えたんだろう。
人の対立は、左脳から出てきた思考では止められない。右脳で、感情(emotion)で止めるべし。
刹那に対してできないことが、今のルイスに対してできるわけ、ない。それにきっと、刹那に対する自分の言動に、自分で深く傷ついていると思います、沙慈は。
(リボンズ)「ルイス・ハレヴィ。よかったね、これで君にも戦う理由ができた」(#01)
真の戦争当事者は誰なのか。
ひとたび武器を手にしたらどうなろうとこっちに戻るな、という「隔離政策」で利益を得るのは誰なのか。
世界にものを申すなら、今まで提出してきた“白紙委任状”と同じ重さの責任は沙慈・クロスロードにあります。本当は、生まれた時から世界に「巻き込まれて」いた彼には。だって地球は丸いのだ。
紛争地域で現実を見続けたJNNの池田特派員のように、とは云わないので、がむしゃらなまでに自分の戦い方を模索してほしいです、沙慈クン。カッコ悪くてもかまいません。全然、まったく。
がんばれ、宇宙技師二種免。