小学教師の雑感・多感

通じるものがあれば幸いです。

ぜひ情報交換いたしましょう。

来年度の学年希望

2006年02月28日 | Weblog


来年度の学年希望。

第3希望まで書くことができる。

高学年を持ちたいような、同じ学年を持ちたいような、1年を持ちたいような。

結局、どの学年でも良いという感じ。

それより、誰と学年を組むかということの方が重要なのかもしれない・・・


ちなみに私が今年度受け持った3年は、第1希望・第2希望が“0”だったらしい。

“問題児”も多いし、1クラス当たり人数も多い(約40人×4クラス)。


確かに、始めは大変なクラスだった。だが、今は落ち着きつつある(気がする)。

子ども達に鍛えられた1年間だった。

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お通夜

2006年02月27日 | Weblog


近隣の同期のお母様が亡くなった。

近しい同期ということもあり、お通夜に足を運ぶ。


そこには、学校関係者と思われる人々が大勢いる。

地縁・血縁が薄れる中、「学縁」というものの強さに改めて驚く。

少なからず、特殊な世界だと思う。

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赤ちゃん

2006年02月26日 | Weblog


友人宅を訪ねた。

そこには、生まれたばかりの赤ちゃんがいる。


あの可愛さは、なんとも表現しがたい。

ムチムチ、ぷくぷく、ぽよぽよ。

思い出しただけで、笑みがこぼれる。


でも、育児はなかなか大変そう。

お母さんは、だいぶバテている模様。


地縁・血縁が薄い時代状況では、赤ちゃんに接する機会は少ない。

「赤ちゃん初体験」が「我が子」というのは、なかなか大変。

そんな努力の結晶が、目の前の子どもだと思うと、身が引き締まる。

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勝ちを譲る勝ちという価値

2006年02月25日 | Weblog


昨夜は、指導教諭と「反省会」という名目でお酒を飲んだ。

指導教諭はとにかく「勝ち」という言葉にこだわる。

私は、その発想があまり好きではない。


1学期、よくこんな風に言われた。

「クラスでお前に敵う奴はもう誰もいない。完全に勝っている。」

私はこの言葉に違和感を覚えていた。
 
 (子どもが真剣に「勝負」を挑んできたら、教師に勝ち目はないと思う。
  あらゆる方法で「問題行動」を起こし、主導権は子どもにゆだねられる。)


そして昨日、こんな風に言われる。

「お前は最近、子どもに負けている。そんなんじゃ、高学年は持てない。」


これに対し、めずらしく挑戦的に言い返す。

「1学期は、子どもに勝っていると言って頂きましたが、
 2・3学期は、子どもに負けることを覚えました。

 勝ちを譲ることも、大切なことだと思います。
 ちなみに最近は、○○先生(指導教諭)にも勝ちを譲るようにしています。」


“若さ”からか“思い”からか、勝負を挑みたいと思う時も度々ある。

だが、本当に勝負すべきところ以外で戦うのは、単なる自己満足だと思ってしまう。


“発散”したら気持ちがいい。でもそれが、お互いの関係構築に役立つか。

私という人間は、“勝ちを譲る勝ちという価値”を大切にしていきたい。

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“発散したら気持ちいい” “そんなものは自己満足”
あれれ。そんな記事になってしまっているかな??自己矛盾・・・。
まぁいっか、ブログだし。時には自己満足的に発散する価値も必要ですよね。

お付き合い頂き、誠に有り難うございます。
何か通じるものがあれば、とても幸せです。

×…うまくやれたらいいな ○…うまくやれると決めている

2006年02月24日 | Weblog


今回の公開授業。結果的にはうまくいった気がする。

振り返ると、そこに向かう気持ちが、今までとは違っていた。


授業を「うまくやれたらいいな」と思う気持ちはいつもある。

しかし今回は、「うまくやれると決めている」感があった。


「金メダルを取れたらいいな」では、なかなか手が届かない。

「金メダルを取ると決めている」選手が強い。

「最高でも金。最低でも金。」 凄い言葉だと思う。

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フィギアスケート。安藤は“チャレンジ”に拍手。
これから演技の、荒川と村主に期待します。
出勤するのが残念。子どもの口から結果を聞こう。

集大成

2006年02月23日 | Weblog


研究授業の前の時間。

子どもたちに緊張感と気合いを入れさせる。

まずは、こんなやりとり。

 「あと“23日”。何の数字か分かるかな?」
 「そうです。今日も入れて、このクラスで過ごす日数です。」
 「あと、わずかだよね。」


次に黒板に大きく “ 集大成 ” と書く。

 「集大成とは、積み重ねたものを1つにまとめることです。」
 「今日は、この1年間の集大成です。先生とみんなで必ず良い授業にしよう!」


良い授業を作るためには、適度な緊張感が必要だ。

緊張感を演出するのも、教師の役割だと思う。

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フィギアスケートの「集大成」には感動せずにはいられません。
「積み重ねたものを1つにまとめる」こと。そこにはドラマがありますね。

真剣さ

2006年02月22日 | Weblog


研究授業の前の時間。

子どもたちに緊張感と気合いを入れさせる。


まずは、ふざけている子を「ぴしゃり」と叱る。

 「先生が真剣に話しているんだから、○○も真剣に聞きなさい!」


真剣やってこそ、真剣に叱ることができるのだと思う。

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「俺の名前分からないのか?」

2006年02月21日 | 子ども


研究授業を終えた。

自分ではかなり満足な出来。何より子ども達が頑張った。

1つ上の先輩からは、「さすがHIRO先生。完璧な授業でした」と。
  (これは言い過ぎ。「完璧な授業」などあり得ない。でも嬉しいっス!!)

校長からは、「楽しかっただろ?」と。
  (これは嬉しい。楽しそうに子どもたちと共に「のれた」のだろう。)
  (ちなみに、「指導案の段階から今回の授業は楽しめました」と答えた。)

何より嬉しかったのは、授業中でのこんな出来事。


自閉傾向の強いA子が、グループの前で発表する(これだけで凄く感動!)。

発表者のA子が司会者となって聞き手からアドバイスをもらう。

だが、A子は相手グループの全員が手を挙げているのに、指名すことができない。

なぜなら、対話のスキル以前に、名前を覚えていないのだ。


そこで咄嗟に、グレ気味・ひねくれ気味のB君がこんな発言。

「A子~、名前覚えていないのか?俺はB、こいつがC・・・誰か当てて!」


A子とB君は昨年から同じクラス。時にはトラブルもあった。

しかし、いつもはグレ気味なB君のその優しさに、涙が出そうになる。

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研究 ~自分ナイズ~

2006年02月20日 | Weblog


私の学校は「国語科」の研究校に指定されている。

明日はのその関連で、公開授業を実施する。


研究校は、正直キツイ(来年は発表の年なので尚更だろう)。

だが「やらされ感」でやると、もっと辛くなる。

「自分ナイズ」することで、自分なりの楽しさを見つけていきたい。


少なくとも明日の指導案は、これまでにないくらい「思い」を詰め込めた気がする。

とにかく、思いきりやって、思いきり楽しみたい。

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明日の指導案(サーカスのライオン)の一部をコメント覧に貼り付けます。
前置きの部分だけですが、何かの参考になれば、幸いです。

ドストエフスキーの妻

2006年02月19日 | Weblog


一月半ぶりに、恋人と会った。

歩みはのろいが、少しばかり結婚について考える。


「妻にするならドストエフスキーの妻」という言葉がある。

ドストエフスキーは博打好きで、すぐにお金を使い果たしてしまう。

最初の妻は、彼のそんな姿に愛想を尽かし出て行ってしまう。

だが、2番目の妻は違う(彼の才能に惚れ、まず速記者として雇われる)。

彼が博打に行きたがると、止めるどころか、有り金を渡す。

彼女は信じていた。

「切羽詰ってどうにもならなくなったとき、彼は素晴らしい作品をひねり出す」と。

夫がいい仕事をするために、彼女は自分がすることをわきまえていたのだ。


ドストエフスキー本人はというと、こんな風に語っている。

 「いっぱしの人並みの人間が、もっとも好んで
  話題にできることといったら、何だろうか?

  答え~~~自分自身のこと。」  『地下室の手記』より

「よく言うよ~」と思う反面、「それもありかな」とも思ってしまう。


いっぱしの人並みの人間がもっとも好んで話題にできること・・・自分自身のこと。

どうりで、ブログは楽しい訳だ☆

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