梅雨が明けて、いよいよ夏本番を迎えました。
太陽がこれでもかというくらいに高くて熱い今日。
それでも散策に出かける私っていったい・・・。
さて、今回は平塚からバスに乗って松岩寺というところから鷹取山を目指します。

平塚駅は、1887年(明治20年)7月11日 - 官設鉄道 旧・横浜駅~国府津駅間開通時に、国有鉄道の駅(一般駅)として開業。
かつての平塚駅には東西に専用線が伸びていました。
ひとつは、駅構内北側を西へ出てすぐに北進し、築堤で追分へ向かう、通称第二海軍火薬廠線で、廃止後は、市内の開発により築堤は失われ、駅から旧東海道付近のみが市道・錦町1号線として再利用されているそうです。
もう一方は、構内南側から分岐し、本線南側に沿って東進、相模川の川岸で急カーブを描いて南北に分岐する線形で、南側は久領堤(くりょうづつみ)の横須賀海軍工廠造機部平塚分工場へ、北側は天沼の日本国際航空工業へ向かっていました。
これらは戦後も民間利用が続き、南側は東洋工機平塚工場、北側は日産車体湘南工場をはじめ、横浜ゴム平塚製造所や、相模石油平塚油槽所へ続く専用線が途中から分岐しています。
その他、駅周辺のセントラル石油瓦斯系のセントラルガス湘南営業所や日本たばこ産業平塚工場へ続く専用線もあったそうです。
これらの路線は当駅の客貨分離により相模貨物駅分岐扱いとなりましたが、線形は変わりませんでした。
日産車体・横浜ゴム線は1975年ごろ、日本たばこ産業線とセントラルガス線は1985年ごろまで、馬入ふれあい公園の北にあった平塚油槽所へ続く相模石油線は、1996年9月まで使用されていたそうです。
松岩寺バス停を降りて写真方向に向かいます。

交通量はけっこうある道路をちょっと歩いたら、左の道へ入りました。

そこはもう里山風景です。

ここらで久しぶりのマンホール写真です。


小さいながらも田んぼがあって、もうこんなに緑です。

しばらく歩くと、農道でしょうか、左に入りました。


数件ある家を過ぎると、道は上り。

しばらく歩くと霧降の滝と松岩寺分岐の道標がありました。
ここは滝方面へ。

周りは畑ばかりです。

これはなに?
かぼちゃ?

数分で霧降の滝に着きました。
すれちがうハイカーと挨拶を交わしながら、汗を拭き拭き森の中へ。

下吉沢の名刹松岩寺の北に日之宮山を水源とする宮下川が流れ、この流れが平塚八景に指定されている「霧降の滝」をつくっています。
水量豊富の時には、まるで霧のように流れ散るのでこの名前が生まれたと言われています。
またこの滝は「魔王の滝」とも言われ、滝の傍らに不動堂があって、上吉沢妙覚寺の住職が不動尊をまつっています。



滝を撮るのは難しい。
今はこれが精一杯でした。
この滝から下に降りると、吉沢(きさわ)の池に到着します。
でも、今回は鷹取神社への道を行くことにしました。

時間によったら、ここでお弁当を広げるのもいいと思います。
平塚駅の駅ビルで美味しそうなお弁当を買って、ここのベンチで広げる・・・。
滝の音と小鳥の鳴き声と、程よい木漏れ日と。
なんて贅沢な時間なんだろう。

さて、本ルートに戻りましょう。
こんな道を行きます。

まむしも出るそうです。

木道があったりしますが、ちょっとボロで怖かったりも。

ルートの分岐部には当然道標があります。
迷うことはほとんどないので、安心して歩いていられました。

本当はここを鋭角に曲がって行かなければならなかったんだけど、前方にも道は続いています。
今回は本道を外れちゃいました。

鉄塔の下を通って、頑張って登っていきます。

日之宮神社に出ました。

日之宮神社は、日之宮山(ひのみややま)(標高約150m)の山頂に祀られた由縁をもって社名としています。
祭神は大日霊尊命。
祭神の年代は不明だそうですが、石祠(せきし)の側面に「文政2年(1819)5月15日上吉沢村氏子中」とあるので、江戸時代において祀られていたこということでしょう。
明治41年(1908)上吉沢村の鎮守八剣神社に合祀されたため、お宮は放置されていましたが、のちに水不足に悩む氏子達により、祈願のため台石の一部を新調し、再建したのが現在の石祠だそうです。

ここで散策の無事を祈って、鷹取神社を目指します。
道は広く歩きやすいオフロードでした。

途中でリスかな、枝から枝へ飛び回っていました。
それにしては滑空していたような・・・。
目の錯覚でしょうね。
写真は撮れなかったけど、ふと足元を見ると、大きなカエルが横断中。
ちゃんと断って撮らせてもらいました。
止まっててくれたんですよ、すごいでしょ?

その先の階段を降りて、左に行くと鷹取神社です。

道標もほら。

道は舗装路になったけど、周りは相変わらず木ばかり。

5分も歩けば神社です。

生沢地区の鎮守氏神様として鷹取山(218.98)の山頂に鎮座し、御創建は天長3年(826)3月と伝えられています。
御創建当時の名称は「直下社(なほもとのやしろ)」と言われたそうです。
鎌倉時代の文献東鑑によると「研究2年4月27日相模国生沢直下社神主清包地頭土屋三郎云々」とあるそうです。
これによると当神社は鎌倉時代には専任の神主が在住し執事していた事が知られ大変賑わいを見せた神社であったと思われます。
小田原北条市も信仰が篤く多くの社領の寄進があり一説には3百貫と言われました。
鷹取山の名は古くは栗原山等の名があったが現在の名は徳川家康が平塚の中原で鷹狩を行った時、その愛鷹がこの山までにげてきて捕らえたことから名付けられたそうです。
天正19年徳川家康公より社領2石の御朱印があり、御祭神が富士浅間社と同じであることから、江戸中期から明治の始め頃までは鷹取浅間社と言われるようになりましたが、明治6年鷹取神社と現在の名称となり、同年指定村社に列せられたとか。
木花咲夜姫の神様は大山祗神という尊い神様の御子神で、木の花(桜の事)の咲くような美しい姫神様です。
湧水を司られ農作物の豊作の守護神であり又女性の方は熱心に参拝祈願をすると少しつつより美人となって行くという御神徳の高い神様です。
ここで一休み。
家内安全、商売繁盛、散策の無事をお祈りして。
この神社からなが~い階段を下っていくと、月京バス停に行きます。
そこから二宮駅に出られますが、今回はもと来た道を戻って、もうちょっと足を伸ばしてみようかと。


ゴルフ場の脇を歩いていくと、正面に上吉沢配水地があります。
道はもう舗装路。
山とはお別れですが、ここから日差しが熱い関東ふれあいの道になります。

また分岐に道標がありました。
今回は左まきしました。

のどかな風景。
車はほとんど通らないから、夏の日差しと温めの風が道連れです。

またネムノキがありました。
前回から気になっちゃって。
でも、ほら、覚えたんです、えらいでしょ?

遠くには農家も見えるけど、とりあえずは私一人。
片側はゴルフ場だけど、もう片側は里山風景満喫です。

トウモロコシも、こんなに。
もうちょっとで食べごろでしょうか。

また道標があったので、土屋南平橋を目指すことにしました。

丹沢や弘法山が見えるはずなんだけど、なんだか雲がかかってて。

久しぶりの仕切り弁用のマンホール。
やっぱりこれを撮っておかないとね。

いくつか道標をやりすごします。
この分岐は土沢中学への道ですね。

途中には休憩できるベンチもありました。
真夏にこのベンチでっていうのは、もしかしたらちょっと辛いのかもしれないけど、ここからの景色もいい雰囲気なんです。


ベンチを過ぎたら、もう土屋南平橋への分岐になりました。


道端にはこんなきれいな花も。

なんだろう・・・?
ま、いっか、ということで、どんどん緩やかに下っていきます。

近所では見かけなくなった、これはなんていうんだろう。
ヘビイチゴかなぁ。
なんか美味しそうじゃありませんか?

よだれをたらしながら歩くと、やっぱり、こんな誘惑が。

無人販売です。
どれも100円だったから、お土産にいいかも。
しばらく歩くとバス道路に出ました。
ここから秦野駅や平塚駅に出られます。

近くには妙円寺があるので、バスの待ち時間で、ちょっと寄ってみました。
本堂は赤い屋根で建ち、横には岩屋が在ります。
岩屋の上にはくさび造りと云う珍しい寶珠殿が建ってて、 中には辯財天が祀られ岩屋に湧く水で銭を洗い、銭洗い辯財天と親しまれています。
岩屋は開山の修行場で在ったと云い今では辯財天霊窟と呼ぶそうです。




お金を洗って、財布の中へそっと仕舞います。
どうぞ、何倍も増えますように!
さて、バスの時間になりました。
今回は平塚駅に出ましょう。
バス停は、片側にしかなかったけど、秦野駅行きに乗るには、ここの反対車線で待てばいいそうです。



今回は暑かったけど、森の中が半分だし、日向に出ても風が気持ちよかったし。
歩いた時間は2時間くらいで、ちょうどいい散策になりました。
膝も痛くならなかったしね。
水分補給とお弁当に気をつければ、いい散策コースだと思います。
今度は弘法山まで行ってみたいなぁ。
太陽がこれでもかというくらいに高くて熱い今日。
それでも散策に出かける私っていったい・・・。
さて、今回は平塚からバスに乗って松岩寺というところから鷹取山を目指します。

平塚駅は、1887年(明治20年)7月11日 - 官設鉄道 旧・横浜駅~国府津駅間開通時に、国有鉄道の駅(一般駅)として開業。
かつての平塚駅には東西に専用線が伸びていました。
ひとつは、駅構内北側を西へ出てすぐに北進し、築堤で追分へ向かう、通称第二海軍火薬廠線で、廃止後は、市内の開発により築堤は失われ、駅から旧東海道付近のみが市道・錦町1号線として再利用されているそうです。
もう一方は、構内南側から分岐し、本線南側に沿って東進、相模川の川岸で急カーブを描いて南北に分岐する線形で、南側は久領堤(くりょうづつみ)の横須賀海軍工廠造機部平塚分工場へ、北側は天沼の日本国際航空工業へ向かっていました。
これらは戦後も民間利用が続き、南側は東洋工機平塚工場、北側は日産車体湘南工場をはじめ、横浜ゴム平塚製造所や、相模石油平塚油槽所へ続く専用線が途中から分岐しています。
その他、駅周辺のセントラル石油瓦斯系のセントラルガス湘南営業所や日本たばこ産業平塚工場へ続く専用線もあったそうです。
これらの路線は当駅の客貨分離により相模貨物駅分岐扱いとなりましたが、線形は変わりませんでした。
日産車体・横浜ゴム線は1975年ごろ、日本たばこ産業線とセントラルガス線は1985年ごろまで、馬入ふれあい公園の北にあった平塚油槽所へ続く相模石油線は、1996年9月まで使用されていたそうです。
松岩寺バス停を降りて写真方向に向かいます。

交通量はけっこうある道路をちょっと歩いたら、左の道へ入りました。

そこはもう里山風景です。

ここらで久しぶりのマンホール写真です。


小さいながらも田んぼがあって、もうこんなに緑です。

しばらく歩くと、農道でしょうか、左に入りました。


数件ある家を過ぎると、道は上り。

しばらく歩くと霧降の滝と松岩寺分岐の道標がありました。
ここは滝方面へ。

周りは畑ばかりです。

これはなに?
かぼちゃ?

数分で霧降の滝に着きました。
すれちがうハイカーと挨拶を交わしながら、汗を拭き拭き森の中へ。

下吉沢の名刹松岩寺の北に日之宮山を水源とする宮下川が流れ、この流れが平塚八景に指定されている「霧降の滝」をつくっています。
水量豊富の時には、まるで霧のように流れ散るのでこの名前が生まれたと言われています。
またこの滝は「魔王の滝」とも言われ、滝の傍らに不動堂があって、上吉沢妙覚寺の住職が不動尊をまつっています。



滝を撮るのは難しい。
今はこれが精一杯でした。
この滝から下に降りると、吉沢(きさわ)の池に到着します。
でも、今回は鷹取神社への道を行くことにしました。

時間によったら、ここでお弁当を広げるのもいいと思います。
平塚駅の駅ビルで美味しそうなお弁当を買って、ここのベンチで広げる・・・。
滝の音と小鳥の鳴き声と、程よい木漏れ日と。
なんて贅沢な時間なんだろう。

さて、本ルートに戻りましょう。
こんな道を行きます。

まむしも出るそうです。

木道があったりしますが、ちょっとボロで怖かったりも。

ルートの分岐部には当然道標があります。
迷うことはほとんどないので、安心して歩いていられました。

本当はここを鋭角に曲がって行かなければならなかったんだけど、前方にも道は続いています。
今回は本道を外れちゃいました。

鉄塔の下を通って、頑張って登っていきます。

日之宮神社に出ました。

日之宮神社は、日之宮山(ひのみややま)(標高約150m)の山頂に祀られた由縁をもって社名としています。
祭神は大日霊尊命。
祭神の年代は不明だそうですが、石祠(せきし)の側面に「文政2年(1819)5月15日上吉沢村氏子中」とあるので、江戸時代において祀られていたこということでしょう。
明治41年(1908)上吉沢村の鎮守八剣神社に合祀されたため、お宮は放置されていましたが、のちに水不足に悩む氏子達により、祈願のため台石の一部を新調し、再建したのが現在の石祠だそうです。

ここで散策の無事を祈って、鷹取神社を目指します。
道は広く歩きやすいオフロードでした。

途中でリスかな、枝から枝へ飛び回っていました。
それにしては滑空していたような・・・。
目の錯覚でしょうね。
写真は撮れなかったけど、ふと足元を見ると、大きなカエルが横断中。
ちゃんと断って撮らせてもらいました。
止まっててくれたんですよ、すごいでしょ?

その先の階段を降りて、左に行くと鷹取神社です。

道標もほら。

道は舗装路になったけど、周りは相変わらず木ばかり。

5分も歩けば神社です。

生沢地区の鎮守氏神様として鷹取山(218.98)の山頂に鎮座し、御創建は天長3年(826)3月と伝えられています。
御創建当時の名称は「直下社(なほもとのやしろ)」と言われたそうです。
鎌倉時代の文献東鑑によると「研究2年4月27日相模国生沢直下社神主清包地頭土屋三郎云々」とあるそうです。
これによると当神社は鎌倉時代には専任の神主が在住し執事していた事が知られ大変賑わいを見せた神社であったと思われます。
小田原北条市も信仰が篤く多くの社領の寄進があり一説には3百貫と言われました。
鷹取山の名は古くは栗原山等の名があったが現在の名は徳川家康が平塚の中原で鷹狩を行った時、その愛鷹がこの山までにげてきて捕らえたことから名付けられたそうです。
天正19年徳川家康公より社領2石の御朱印があり、御祭神が富士浅間社と同じであることから、江戸中期から明治の始め頃までは鷹取浅間社と言われるようになりましたが、明治6年鷹取神社と現在の名称となり、同年指定村社に列せられたとか。
木花咲夜姫の神様は大山祗神という尊い神様の御子神で、木の花(桜の事)の咲くような美しい姫神様です。
湧水を司られ農作物の豊作の守護神であり又女性の方は熱心に参拝祈願をすると少しつつより美人となって行くという御神徳の高い神様です。
ここで一休み。
家内安全、商売繁盛、散策の無事をお祈りして。
この神社からなが~い階段を下っていくと、月京バス停に行きます。
そこから二宮駅に出られますが、今回はもと来た道を戻って、もうちょっと足を伸ばしてみようかと。


ゴルフ場の脇を歩いていくと、正面に上吉沢配水地があります。
道はもう舗装路。
山とはお別れですが、ここから日差しが熱い関東ふれあいの道になります。

また分岐に道標がありました。
今回は左まきしました。

のどかな風景。
車はほとんど通らないから、夏の日差しと温めの風が道連れです。

またネムノキがありました。
前回から気になっちゃって。
でも、ほら、覚えたんです、えらいでしょ?

遠くには農家も見えるけど、とりあえずは私一人。
片側はゴルフ場だけど、もう片側は里山風景満喫です。

トウモロコシも、こんなに。
もうちょっとで食べごろでしょうか。

また道標があったので、土屋南平橋を目指すことにしました。

丹沢や弘法山が見えるはずなんだけど、なんだか雲がかかってて。

久しぶりの仕切り弁用のマンホール。
やっぱりこれを撮っておかないとね。

いくつか道標をやりすごします。
この分岐は土沢中学への道ですね。

途中には休憩できるベンチもありました。
真夏にこのベンチでっていうのは、もしかしたらちょっと辛いのかもしれないけど、ここからの景色もいい雰囲気なんです。


ベンチを過ぎたら、もう土屋南平橋への分岐になりました。


道端にはこんなきれいな花も。

なんだろう・・・?
ま、いっか、ということで、どんどん緩やかに下っていきます。

近所では見かけなくなった、これはなんていうんだろう。
ヘビイチゴかなぁ。
なんか美味しそうじゃありませんか?

よだれをたらしながら歩くと、やっぱり、こんな誘惑が。

無人販売です。
どれも100円だったから、お土産にいいかも。
しばらく歩くとバス道路に出ました。
ここから秦野駅や平塚駅に出られます。

近くには妙円寺があるので、バスの待ち時間で、ちょっと寄ってみました。
本堂は赤い屋根で建ち、横には岩屋が在ります。
岩屋の上にはくさび造りと云う珍しい寶珠殿が建ってて、 中には辯財天が祀られ岩屋に湧く水で銭を洗い、銭洗い辯財天と親しまれています。
岩屋は開山の修行場で在ったと云い今では辯財天霊窟と呼ぶそうです。




お金を洗って、財布の中へそっと仕舞います。
どうぞ、何倍も増えますように!
さて、バスの時間になりました。
今回は平塚駅に出ましょう。
バス停は、片側にしかなかったけど、秦野駅行きに乗るには、ここの反対車線で待てばいいそうです。



今回は暑かったけど、森の中が半分だし、日向に出ても風が気持ちよかったし。
歩いた時間は2時間くらいで、ちょうどいい散策になりました。
膝も痛くならなかったしね。
水分補給とお弁当に気をつければ、いい散策コースだと思います。
今度は弘法山まで行ってみたいなぁ。
御座います。 この コース は歩いた、ことは 有りませんでした。 弘法山は 車の
有る時 移動運用 に 参りました。 丹沢の山が 正面に 一望出来ます。 それより も これから が 絶好 の 見ごろ の
高麗 の 巾着田 に 是非 お出かけください。 PCで検索すれば 詳しく 解りますよ。、、、、、、9447
GHG局のお墨付きなら、近いうちにトライしてみようと思います。