親の所得が月額8千ペソ以下の家庭が非常に多いフィリピン。中には月額2千ペソや、月によっては無収入の家庭もある。また、たとえ家庭内所得が8千ペソ以上あったとしても、子どもが6人いれば決して生活は楽ではない。(この「8千ペソ」はあくまでも目安です厳密ではありません。)
フィリピンの貧困層の多くは、スラム/スクオッター地区の上下住人が違う小さな部屋(4,5畳程度)に6~7人で住み、食事は一日に1回ないしは2回。子どもを学校にやる経済余裕は全くない。子供は小さい時から家事や親の仕事の手伝い、車に乗っている人達に、香りのいいサンパギータの花輪、夜間は手を拭く雑巾等を売りながら物乞いなどして僅か収入を得ている。一般的な親の仕事は、洗濯婦、ジプニー(ジープを改造した乗合タクシー)やトライシクル(三輪車)、ぺデキャブの運転手、その他、建築現場等での日雇い労働者などが多い。定職について収入が安定している家庭は数少ない。夫が家を出ていったため、母親一人で子どもを何人も育てている家庭も多い。つまりここで語る「貧困層」とは、そのような生活をしている人達です。
医療不備も大きな問題です。乳児期に高熱を出し、経済的理由で近代医療を受けられずに放置されたり、民間療法などに頼ったことで、障害を持つにいたった子が多い。また、母親が子どもの健康状態を見誤って症状が悪化、或いは、医師による誤った処置のために障害を持つにいたったケースも多い。そうした時でも、彼らには医師を訴えたり賠償を要求することは殆どない。ここにも裕福な方の特権がある。
更にこの貧困層で一番の問題は中絶があります。フィリピンでは、中絶は違法です。すでに何人も子どもがおり、それ以上産むことが困難な状況にいる貧困層の女性は、闇で中絶します。キヤポなどで売られる中絶薬を服飲したり、医師でもない人間が妊婦の腹部を圧迫して堕胎させることもある。こうした、不適切な堕胎方法により、障害児が生まれてきたり、妊婦が障害を持ち、時には妊婦が命を落とすこともある。
更に、貧困層に特徴的なのは、睡眠薬の服用です。空腹のために泣く赤ん坊を黙らせるため、親が睡眠薬を飲ませ、何時間でも眠ったままでもそのままにしてしまう。ある程度成長した子どもたちは、自ら睡眠薬やシンナーを服飲して眠りにつく。そのため、脳に障害がでたり、目が覚めても意識が朦朧としたまま車道に出て、車にひかれてしまう場合もある。マラテ界隈で良く見かけるストリートチュルドレンにいたっては、トルエン系の接着剤を服飲し道路わきで死んだようになって猛暑の中寝ている姿を見かける。最近では、貧困層の人達による臓器売買も大きな問題となり、国内のニュースでも取り上げられています。臓器売買は違法であるため闇で行われ、アフターケアがなされることはない。その結果、臓器を売却した人は数ヶ月後には体調を崩し、命を落とすこともある。中近東諸国からは多くの臓器購入者が訪れていることで有名です。
マニラ市内では、物乞いの姿が数多く見うけられます。彼らの中でも障害者の方が人々の同情をかうので実入りが良いのだとか。また、マニラに数多くあるNGOや政府機関などに障害児をつれていき、その子の「手術費用の補助金」や何らかの援助を獲得することもある。その道具として、障害児は売買されている場合もある。
フィリピンでは、障害児に対する家族の対応は、無関心と過保護(溺愛)に大きく分けられる。
貧しい家庭では、子供が労働力をして家計を助けることを期待する。ある程度の年齢に達した女性であれば、売春をし家計を助けている場合もある。
障害児、特に重度となると遺棄されたり売られることもある。捨てられた障害児は、運がよければ拾われて養子にされたり施設に届けられることもある。しかし、ストリートチルドレンとして生き抜くことが困難な彼らは、餓死してしまうことも。たとえ捨てられなかったとしても、役に立たないとみなされる障害児は、親に放置され無用の重荷と見られるケースが多い。
親は障害に関して充分な知識や情報がない。たとえ、他の子とは違うケアが必要と理解したとしても、時間的・経済的余裕がなく、結果として放置してしまうこともある。
当然、反対に、家族、特に母親から溺愛される場合もある。貧困層の障害児の場合、前述したように、多くはあまり長く生きられない。そのため、親は与えられるものは何でも与え、子どもの要求に最大限応えようとする。
カトリック教徒が全人口の85%を占めているフィリピンにおいて、障害者は長いこと憐れみや慈善の対象であった。1984年9月に「一定の建物、施設、公共設備、その他の公共事業に設備や機器を設置することを要求することにより、障害者の移動を促進する法」である「アクセス法(Accessibility Law)」が発効され、1992年3月に、「障害者のマグナ・カルタ(Magna Carta for Disabled Persons)」が共和国法7277号として調印された。マグナ・カルタは、障害者をフィリピン社会の一員とし、彼らの全面的幸福や社会的統合への国家の充分な支援、障害者の尊厳の主張と推進、社会統合を阻止するすべての障壁の除去等を原則とした。しかし実際には、都市の一部の地域でしかアクセスは改善されておらず、障害児を積極的に受け入れる学校も少なく、就学・雇用の機会とも制限されている。
表向きは、高層ビルが立ち並び、モールには多くの人が溢れ、幹線道路は高級外国車が溢れ、ファーストフード店は人・人・人。
大渋滞の排気ガスを肺一杯に吸いながら首都圏を歩く限り、我々外国人にはこのフィリピンでの一般生活とは程遠い生活をしている。しかし、一歩道路から踏み入れた地区は、瓦礫常態の住宅、全く整備されていない下水、衛生観念など全くない住宅環境を眼の辺りにすることができる。塵を収集して生計している者。先週エルミタで起きた事故のように、レストランの残飯をあさって生活中、命を落とす者。等、実際は、このフィリピンは決して安全で、環境が良く住み安い国とは掛け離れているように思えます。
フィリピンの貧困層の多くは、スラム/スクオッター地区の上下住人が違う小さな部屋(4,5畳程度)に6~7人で住み、食事は一日に1回ないしは2回。子どもを学校にやる経済余裕は全くない。子供は小さい時から家事や親の仕事の手伝い、車に乗っている人達に、香りのいいサンパギータの花輪、夜間は手を拭く雑巾等を売りながら物乞いなどして僅か収入を得ている。一般的な親の仕事は、洗濯婦、ジプニー(ジープを改造した乗合タクシー)やトライシクル(三輪車)、ぺデキャブの運転手、その他、建築現場等での日雇い労働者などが多い。定職について収入が安定している家庭は数少ない。夫が家を出ていったため、母親一人で子どもを何人も育てている家庭も多い。つまりここで語る「貧困層」とは、そのような生活をしている人達です。
医療不備も大きな問題です。乳児期に高熱を出し、経済的理由で近代医療を受けられずに放置されたり、民間療法などに頼ったことで、障害を持つにいたった子が多い。また、母親が子どもの健康状態を見誤って症状が悪化、或いは、医師による誤った処置のために障害を持つにいたったケースも多い。そうした時でも、彼らには医師を訴えたり賠償を要求することは殆どない。ここにも裕福な方の特権がある。
更にこの貧困層で一番の問題は中絶があります。フィリピンでは、中絶は違法です。すでに何人も子どもがおり、それ以上産むことが困難な状況にいる貧困層の女性は、闇で中絶します。キヤポなどで売られる中絶薬を服飲したり、医師でもない人間が妊婦の腹部を圧迫して堕胎させることもある。こうした、不適切な堕胎方法により、障害児が生まれてきたり、妊婦が障害を持ち、時には妊婦が命を落とすこともある。
更に、貧困層に特徴的なのは、睡眠薬の服用です。空腹のために泣く赤ん坊を黙らせるため、親が睡眠薬を飲ませ、何時間でも眠ったままでもそのままにしてしまう。ある程度成長した子どもたちは、自ら睡眠薬やシンナーを服飲して眠りにつく。そのため、脳に障害がでたり、目が覚めても意識が朦朧としたまま車道に出て、車にひかれてしまう場合もある。マラテ界隈で良く見かけるストリートチュルドレンにいたっては、トルエン系の接着剤を服飲し道路わきで死んだようになって猛暑の中寝ている姿を見かける。最近では、貧困層の人達による臓器売買も大きな問題となり、国内のニュースでも取り上げられています。臓器売買は違法であるため闇で行われ、アフターケアがなされることはない。その結果、臓器を売却した人は数ヶ月後には体調を崩し、命を落とすこともある。中近東諸国からは多くの臓器購入者が訪れていることで有名です。
マニラ市内では、物乞いの姿が数多く見うけられます。彼らの中でも障害者の方が人々の同情をかうので実入りが良いのだとか。また、マニラに数多くあるNGOや政府機関などに障害児をつれていき、その子の「手術費用の補助金」や何らかの援助を獲得することもある。その道具として、障害児は売買されている場合もある。
フィリピンでは、障害児に対する家族の対応は、無関心と過保護(溺愛)に大きく分けられる。
貧しい家庭では、子供が労働力をして家計を助けることを期待する。ある程度の年齢に達した女性であれば、売春をし家計を助けている場合もある。
障害児、特に重度となると遺棄されたり売られることもある。捨てられた障害児は、運がよければ拾われて養子にされたり施設に届けられることもある。しかし、ストリートチルドレンとして生き抜くことが困難な彼らは、餓死してしまうことも。たとえ捨てられなかったとしても、役に立たないとみなされる障害児は、親に放置され無用の重荷と見られるケースが多い。
親は障害に関して充分な知識や情報がない。たとえ、他の子とは違うケアが必要と理解したとしても、時間的・経済的余裕がなく、結果として放置してしまうこともある。
当然、反対に、家族、特に母親から溺愛される場合もある。貧困層の障害児の場合、前述したように、多くはあまり長く生きられない。そのため、親は与えられるものは何でも与え、子どもの要求に最大限応えようとする。
カトリック教徒が全人口の85%を占めているフィリピンにおいて、障害者は長いこと憐れみや慈善の対象であった。1984年9月に「一定の建物、施設、公共設備、その他の公共事業に設備や機器を設置することを要求することにより、障害者の移動を促進する法」である「アクセス法(Accessibility Law)」が発効され、1992年3月に、「障害者のマグナ・カルタ(Magna Carta for Disabled Persons)」が共和国法7277号として調印された。マグナ・カルタは、障害者をフィリピン社会の一員とし、彼らの全面的幸福や社会的統合への国家の充分な支援、障害者の尊厳の主張と推進、社会統合を阻止するすべての障壁の除去等を原則とした。しかし実際には、都市の一部の地域でしかアクセスは改善されておらず、障害児を積極的に受け入れる学校も少なく、就学・雇用の機会とも制限されている。
表向きは、高層ビルが立ち並び、モールには多くの人が溢れ、幹線道路は高級外国車が溢れ、ファーストフード店は人・人・人。
大渋滞の排気ガスを肺一杯に吸いながら首都圏を歩く限り、我々外国人にはこのフィリピンでの一般生活とは程遠い生活をしている。しかし、一歩道路から踏み入れた地区は、瓦礫常態の住宅、全く整備されていない下水、衛生観念など全くない住宅環境を眼の辺りにすることができる。塵を収集して生計している者。先週エルミタで起きた事故のように、レストランの残飯をあさって生活中、命を落とす者。等、実際は、このフィリピンは決して安全で、環境が良く住み安い国とは掛け離れているように思えます。