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昔のLA cafe

2024-02-20 | フィリピン

LA Cafe

 

LA Cafe は、マニラ最大のビリヤード会場 (オンとオフ) として、1999年のオープン以来、有名なアスリートを後援する24時間営業のバー形式飲食店として開店。

オープン後、ビリヤードに集まる女性が、階下のバーに集まる外国人と金銭目的に身体を売り始め、その後、生活に苦しむシングルマザーはじめ、女性に噂が広まり、

多くの女性がが集まり始め、バーに集う外国人相手に、子供のミルク代や遊興費を稼ぐ首都圏最大のおねーちゃんを買える飲食店と化した。

店の規模も客が急激に溢れ、ビリヤードスペースがだんだん縮小され、二階のフロアーにはライブバンドが出演するステージまで出来上がり、毎晩深夜までライブバンドが演奏されるようになった。

店の作りは2階建。

一階の円形カウンターのバーには多くの白人が集まり大盛況。隣部屋のビリヤード場との中間位にある急な階段を登り二階へ登るとそこには別世界が広がった。

当時のLA Caféは、ライブバンドの強烈な音楽と、悪臭とも言える強烈な汗と香水そしてタバコの匂いに目眩しそうな店。

酒に酔い踊りまくる外国人と戯れるように踊りまくる女性たち。

そして、客席には足を組んだ女性が200人くらいテーブル席で来店する客へ視線を一気にあびせていた。

そして、客に向かい一生懸命媚を打っていた。

空席を見つけ席につくと、ウエイトレスがメニューを差し出しオーダーを受ける。

すぐに飲み物が配膳されるやいなや、いかついババーが席へ来て女性が必要かと聞き出す。

すぐさまババーが女性を連れてくる。つまり売春斡旋ババーである。

気に入れば、その場で交渉が始まる。気に入らなければババーが店内を探し回り連れてくる。もちろん個人交渉もできた。

当時、二階を仕切っていたババーは4名いた。

特に週末になると女性が一気に増えた。

二階席は日本人やアジア諸国、アメリカ大使館職員など多くの外国人で溢れかえっていた。

着席した途端、店内にいる女性全員の視線を一気にあびる。

一階のバーにいる女性は、白人御用達で、ちょっと美形という言葉とはかけ離れたタイプのボデーパーツ美形型や中近東男性相手のふくよかな女性がフロアーいっぱいにいた。

二階は多少見られるタイプの女性が多かった。援交やガールハントどうのと言われる方がたくさんいらっしゃるが、単なる素人売春宿そのもの。

其の利権を得ていたのが、エントランスのガードと結託したブガウ(売春婦斡旋業)でした。

ホテルの入り口などで客ひきをするブガウ。客の要求を短時間で兼ねるには、置き屋へ出向き着替えさせて連れてくる。

その時点で客はいなくなる。マラテ・マビーニ界隈であれば、LA cafeガードへ電話、めぼしい子をエントランスで入店できないようにしておき、ブガウが客を斡旋。

すなわち時間がかからずに客へ提供出来た。当時のブガウの黄金時代でもありました。

そしてさまザナまことが起きたのもLA cafeでした。

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