フィリピンりぱぶりっく狂笑国

フィリピンらしく
フィリピンでも
フィリピンだから

冤罪 長かった20時間30分

2024-07-06 | フィリピン

思い起こせば今から18年前、長年付き合いのある友人(代表者)に呼ばれマカティ市エバンギリスタの友人の事務所へ出かけた時のことです。

2006年9月7日木曜日友人と昼食を食べ終え事務所へ戻った午後1時過ぎ、社長の部屋へスタッフが顔色変えて入ってきた。モデルと称する女性がスタッフの言うことを聞かず進まない。時間を浪費して困っている。との報告であった。

社長に誘われスタジオへ入った。15人のモデル(だそうだ)がスタンバイしていた。

カメラマンとビデオ収録する準備をしていて、リハーサルを行うのだが思うようにいかないようだ。言うことを聞かないモデルが本当にモデルかと思うほどポーズができない。

撮影も社長が見ていて、思うようにいかないようで、撮影のアドバイスをしてくれと頼まれ、カメラマンへアングルの説明をしていた時、階下で大勢の声がした。

途端、スタジオのドアが開き「全員動くな!違法就労斡旋容疑で逮捕する」

茶色封筒を我々にみせ、言わせた全員が検挙された。

10名ほどのN B I捜査官がどかどかと入ってきた。

その場で事情を聴取されることも無く、モデルとカメラマンと私は階下に駐車してあった黒塗りのイスズクロスウインドウの後部席へ乗せられた。なぜか私のみ捜査員と一緒の車両で他の検挙された者は別車両だった。

オスマニア通りからキリノ大通を凄まじいスピードで、蛇行を繰り返しながら二台の捜査車両が走る。タフトアベニューにあるN B Iの本庁へ到着するまでに、床がぶち抜けるほど足を強烈に突っ張った回数は1000回(オーバーに書いています)、そして心臓はバックンバックン、心臓麻痺を起こして死にそうなほどの無謀な運転だった。

身柄拘束したのだから別に無茶n運転しなくとも良いと思うのだが、走れ走れ特訓の運転だった。

当時を思い起こしてみると、あれは一種の拷問だったのかも。

2階の「ANTI-FRAUD AND COMPUTER CRIMES DIVISION」へ連行された。つまり、われわれを摘発に来た部署は、Information and Communications Technology Service情報通信技術サービスコンピュータ詐欺犯罪対策部門だった。

なぜInformation and Communications Technology Serviceなのだろう?

到着しその部門室へ入った。(エアコンがガンガン効いていて本当にペンギンでもすむのかと思うような部屋。)

でも本当におかしい摘発である。
パスポートの提示を車内で求められただけ。なぜ車内なのか。とんでもない運転で走行中に思った。

部門の部屋へ入室後、持っていた携帯電話を押収された。

あなたは英語もしくはタガログ語を話せますか。と聞かれた。

ポカーンとした顔をして全く理解できないふりをした。

この日本人おかしいな。あいつの話では英語もタガログ語も話せると言っていたな。全然通じないから通訳をよべ。と内輪話をしている。

全く言葉がわからないふりが、このような場合には最善策です。

日航ガーディンに勤務していたという日本語の堪能な取調官がやってきて、

「ここでは携帯で外部との連絡は禁止されている。」との説明を受けた。

本来摘発した場合、取調室で行うのがほとんどだが、なぜか職員や捜査官が業務を行っている事務室だ。

グループリーダーが容疑内容を話してきた。
ヒューマントラフィッキング。ジョブオーダー無しの違反オーディション。それで、現行犯逮捕した。とのこと。
「懲役20年、ディスカウントしても15年は刑務所へ服役することになる。明日、裁判を行い、新聞記者及びテレビ局が取材に来て夕方には全国放送されるよ。これは冗談じゃない。貴方はフィリピンの法律が分かりますか。本当に帰れないよ!」
取り調べも終わらず、はなから容疑者扱いするな。逮捕されるようなことは一切していないぞ!あったく!この取調官は私設裁判官か??と思うような話だった。

所持していたバックの中身などは全く関係ないようで調べもしない。

隣の席に座っていた取調官が

「フィリピンの友人はいるか?」

たくさんいますが

「その人は誰?」

通訳の取調官に担当官が何を言っているのか尋ね、友人の名前を話した。 

日本語の堪能な取調官がなにやら上司とコソコソ話をしている。

質問を受けた。
「貴方は何の目的であの事務所へ行っていたの?」
あの会社の代表者とは長いお付き合いをさせていただいています。仕事ではなくよく訪ねています。それはこのフィリピンではいけないことなのですか?と答えた。
「駄目です。その会社はイリーガルです。貴方の本当の仕事は何ですか?」
XXXXXXXXです。
「プロモーターじゃないのか?」
全く違います。
「ここにいる女性を貴方は知っていますか?」
全くみた事がありません。今始めてみた人たちです。
事情を聴取するわりには全く調書に記載もしない。書こうともしない。用紙すらない。

社内で取り上げられたパスポートを見ていた別の取調官が、通訳を介して話してきた。

いきなり

︎「貴方は不法滞在者ですよ。9月22日でビサが切れている。その領収書も無い?」
9月22日?
通訳取調官へ返答をした。
今日は9月7日ですよ?・・・・・・

言いがかりとも言える話をしてきた取調官は罰悪そうにそっぽ向きながら、
︎じゃ何でこの領収書は7月22日の日付なんだ?

当たり前だと思います。7月22日にお金を支払ったからです?
︎いやそれは違う?領収書のサインも皆違う?何時も幾ら金を支払っている?
領収証やその日付については、フィリピン入国管理局へお問い合わせしてみてください。
私は更新に行って、その費用をお支払いして発給を受けていますので、それ以上のことは分かりません。
︎何時もお金を幾ら支払っていると聞いてるんだ!! 
何を怒ってんだタコ! 日付の見方もわかんねーで自分が間違ったから八つ当たりかよ!!
更新料1320ペソとエクスプレス費用500ペソの1820ペソを窓口で支払っています。

︎「本当にそれだけの金額か?そのほかにアンダーテーブルなどは支払っていないか?」
何でアンダーテーブルを支払うのか?全くその必要は無い。窓口でエクスプレス費用を別に500ペソ支払っていますから?
何となく意味の分からない取調べでもある。(ひょっとしたら別件かよ!!)

室内でグループリーダーの電話が鳴り、 Yes sir

と何度か話しながら電話を切った。途端顔色が変わった。

グループリーダーが通訳と複数の取調官へ「ヤバいの捕まえたな。原爆が落ちた」と話し叉コソコソ話しが始まった。


︎貴方は弁護士の知り合いはいますか?
先ほど携帯電話へ連絡が入り今この場所へ向かっていますが?
︎その人は誰」
何時もお願いしている弁護士です。

 

︎日本語の堪能な取調官がポツリと

貴方はアンラッキーです。今回の摘発は、違法なオーディションを実施しているとの密告がありました。それで直ぐに急行した場所に貴方がいただけ。でも貴方は日本人でしょう。このような場所にいては罪になります。」

何となく濡れ衣を着せられたような全く筋の通らない話ばかりしてくる。
携帯電話は禁止されているといっておきながら、電話やメールが入ると携帯電話を渡してくれた。当然、返信も出来た。終われば叉取り上げられる。その繰り返しだった。
時間は延々とた経過。椅子に腰掛け、ただ部署の部屋にいるだけ。
本当に寒い部屋だ?エアコンはガンガン。
皆さん本当にお金持ちのようで高級機種のノートブック。しかもWIFIを接続ゲームに邁進中だ!!

 

なぜか、階級の低い捜査官が、隣の席に立ち替わりやってきて、

︎面倒なことは無くなるから早く解決すれば。

つまり賄賂を払って終われと言っている。とにかくポカーンとしながら全く理解できない顔でいた。

グループリーダーの次のポジションの取調官がグループリーダーと話を始めた。

「あいつの話では、この日本人は英語もタガログ語もほとんど理解できる。と言っているんだけど、なんかおかしいな。原爆が降りているから早々にしないとまずいな」

思った通りだ。間違いなくセットアップであることがわかった。そしてその相手まで分かった。

セットアップしたフィリピン人から部署の電話へ私を名指しで電話をかけてきた。

・あなたなぜそこにいる

なぜあなたは私がここにいることを知っているのですか?と逆に尋ねた

・そこには私の友達がいるえー。だからね、私は何でも知っている。何か私あなた助けることある?

すでに弁護士へ連絡、後でこの場所へきます

・あなた弁護士友達あるか?

多分あなたもその弁護士を知っていますよ。

電話をグループリーダーの次のポジションの取調官へ渡すように言われ差し出した。

そして、再度私に電話を渡してきた。

・今N B Iに話聞いた。ディスカウントしても15年モンキーハウスだって。私話した。日本人私の友達。だからディスカウントお願いした。あなたお金いくらある?

財布の中には1500ペソしかない。

・それはできない。ホテルにいくらある?

どうしてでしょうか?

・そこにいるN B I友達だから。50万ペソで助けるだって。

わかりました。すぐに弁護士へ連絡して返事します。

途端にフィリピン人が電話を切った。

だんだん日が暮れてきた。

腹はぐーぐー鳴く。かといって意地でも飲み食いはできない。

 

夜8時を過ぎた頃、叉、同じような「20年云々」の話や、「今日家に帰りたくないのか?」「彼女はいないのか?」「彼女紹介するか?」全く今回の容疑とは異なる下らない話ばかりをしてきた。

下っ端の捜査官に連行され、別棟の部屋へ連行された。留置所へでも入れてくれるのかな?
連行された部屋は指紋を取る部屋で、厳つい顔をしたおっさんが一人「今頃来るな見たいな顔」そのおっさんに指紋を取られた。

部署へ戻ったら今度は写真を撮られたのだが?3枚目はカメラが壊れたとのことで撮影は中止した。おそらくフィルムは最初から入っていないと思った。
捜査官が帰宅し始めた。日本語の堪能な捜査官も明日の裁判どうのといって帰宅した。帰宅間際に携帯電話を返してくれた。

残った摘発グループのリーダー「コーヒーでも飲む?お腹すいたでしょう。ジョリビーのチキンジョイで良ければこれを食べなさい。」とジェスチャーを交え、手元へ持ってきてくれた。丁重にコーヒーと食事を断った?何で断るんだと言ってきたので「ダイエットしています。」とボデーランゲージで伝えた。
グッドといって親指を立て、食べ物を下げてくれた。


11時過ぎ弁護士が来た。摘発された女性達がポツリ、ポツリと帰宅し始めた。
何とか動いてくれたな?フィリピン人の男性スタッフは弁護士に連れられて帰宅し

一人だけ残された。

弁護士が帰り際「全ては解決した。一切危害は加えられないので安心してください。ただし、10名もの捜査員が摘発に出かけ、何もないということにはできないので、彼たちのプライドを建ててください。今夜はこの事務所へ宿泊してください。明日再度迎えにきます。安心してください。と言って帰宅した。


グループリーダーが私達は眠いのでもう寝ます。弁護士が戻ったら起こしてください。といって部署の中にすいてある布団横になり始めた。
弁護士が帰宅したことを告げたら、外にソファーにあるマットを全部剥がし始めた。

事務所内の机と机の間へソファーを敷き、ロッカーから毛布を取り出し始めた。

とにかく部屋内はペンギンハウス状態だった。空調を下げて寝れば快適だろうとも思った。


摘発グループリーダーになってからは、携帯電話の使用が自由になった。内容も一切見ない。
あちらこちらへ連絡、しかし、プリペイド残量が乏しくなってきた。
何時も遊んでいるフィリピン人の友人へテキストして送信してもらった。こいつとは腐れ縁で長いこと付き合っているのだが、何時も俺が困ったときに何のためらいも無く助けてくれる。本当に良い友人だ。

深夜3時くらいまで、ロビーのような場所で番兵さんと世間話。この番兵は一寸オカマっぽいのだが本当に優しい。水や飲み物は絶対飲むなと言ってくれた。
摘発グループリーダーが「ここで寝ると暑い。蚊がたくさんいます。遠慮しないで部署の中で寝てください。明日私が滞在先までお送りします」とにこやかな顔で頭を下げながら部屋へ案内してくれた。
部屋へ入った。本当に寒い。

寒すぎて寝れない。周りの方は心地よく寝ている。鼾が爆音みたいで眠気が吹っ飛んでしまった。
多くの友人からのテキストに返信。良い友達がいて本当に良かった。

全て、皆が私の為に動いてくれた。夜が明けてきた。
5時を回っていた。
部屋の外へ出ても誰も付いてこない?

首をかしげて庁舎内の通路を見ていた。せっせと掃除する人。出勤してくる人も多い。
6時近く、摘発グループのリーダーがおきてきた。笑顔が本当に良い。
「申し訳ありません。このようなところへ泊まって頂いて。もし今、帰宅したければ送りますが。」?

友人が迎えに来るといっていますので。と事情を話した。
ご飯の用意もしてあるので食べてください。飲み物は小間使いへ遠慮なく指図してください。摘発時から何となく他の捜索官とは違っていた。
極力遠慮して友人が来るのを待った。9時30分に社長と弁護士が迎えに来た。

社長が、グループリーダーへ「これでコーヒーでも飲んでください」と1000ペソを渡した。

日本語の上手い担当官から

「これからは貴方はあの会社に何時行っていても問題ありません。NBIも絶対に行きません。貴方のパスポートでこのフィリピンに滞在していてなんら問題ないです。」
訳の分からない事を言ってくる捜査官だ。
苦笑いしながら別室にいた摘発グループのリーダーと話をし、お礼を言って家に向かった。

事件の成り行きは、この会社がセットアップされた。たまたま居合わせた日本人と言うだけで金にでもなると思ったのかも。
セットアップした奴も誰であるか分かった。セットアップをする際の報告用に使われたのが最初のモデルであったようだ。なぜか、摘発時そのモデルだけがNBIの捜査官と握手、連行されること無くタクシーで手を振りながら帰っていったからである。

 

セットアップを回想しながら、家に帰って一風呂浴びた。殆ど寝ていないので風呂に入ったら心地よく睡魔に襲われ泡や溺死!!

長かった20時間30分だった。

 

フィリピンで事件やセットアップに巻き込まれたら。

○結構日本語の堪能な捜査員が配置されています。日本語が分からないだろうと思い変な事を言わないこと。
○罪は決して認めないこと。無実であればです。
○タガログ語、英語が話せても日本語で話したほうが有利。(日本語が通じない場合、日本大使館へ連絡を取りやすい。)
○逮捕された理由が全く分からないと訴えること。
○飲み物等を提供されても自分の目で何が入れられたか分かる場合でも極力、飲まないようにする。中には覚醒剤等をセットアップされる場合もあります。
○食べ物は、この国では自分で買うことができます。番人を付けてもらって自分で購入するのが絶対条件。水も同様です。
○いろいろな誘惑を仕掛けてきます。笑い顔で断りましょう。
○釈放代わりに様々な私的裁量権行使の釈放金をちらつかせます。これは本当にフィリピンの常套手段。考え方ですが、できれば弁護士等に一任したほうが安上がりです。法外な金額を言ってきます。そのような法律はありません。その場逃れの妥協は絶対にしないことです。
○甘い言葉、いろいろな手段を使ってでっち上げしてきます。日本の警察等とは全く違います。書類には安易にサインをしないこと。
○手を変え、人変えてあらゆる手段で釈放条件を提示してきます。すなわち金次第です。このような法律は決してありません。応じる場合は弁護士を通すことです。
○返事をするときには、相手が行っていることを良く把握し、良く考えて返事することです。下らないことでもどんどん突っ込んで、罪を作られてしまいます。的確にはっきりと返事したほうが懸命です。

捜査担当の顔を良く覚えておくことです。氏名は決して名乗りません。内部での捜査官同士の話などに耳を傾け名前も覚えておく事が大事です。

滞在が長引くようであれば弁護士を選任しておくべきです。

2006年セットアップされた際の内容をさらに詳しく再掲載いたしました。

近年セットアップは少なくなりました。

ただし、まだまだ警察官によるあってはならない犯罪も起きています。

くれぐれも巻き込まれないよう、楽しいマニラ旅行をお楽しみください。

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