フィリピンりぱぶりっく狂笑国

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2024-10-07 | フィリピン

なぜフィリピンは永久に第三世界の地位にとどまり、子供たちが食べ物を探してゴミをあさっているのか?

なぜでしょうか? 何が起こったのでしょうか?

フィリピン人は才能があり、意志が強い。と自負されている国民が多く、世界でも有数の有能者が多いと豪語する国民が多くみられる。

しかし、経済的に繁栄することができていない。さらに悪いことに、他の東南アジア諸国(特に農村部)の発展レベルにさえ追いつけない。

理由はいくつかある。

フィリピン諸島は、独特な位置にある。

年間を通じて台風、地震、火山の噴火、津波に見舞われる。これほど不運な国はほとんどない。嵐で壊滅的な被害を受けた家を再建してから数か月後、別の嵐や地震で家が倒壊してしまう事が、歴史を遡れば、まだフィリピンになる前の創世記からなんら変わる事なく続いているのかもしれない。

 

現在の憲法では、政治家の数が多すぎます。大統領、上院議員、下院議員、知事、大臣、地方政治家…、彼らは議論と富の追求に時間を費やし官僚機構に何もさせることができていない。

フィリピン人の精神もまたハードルとなっている。フィリピン人は面目を失うことを許容できない。縁故主義に過度に依存している。中には他人が「ただで」何かをしてくれることを期待する人もいる。すなわちフィリピン人は時間感覚と緊急性に乏しい。俗称フィリピンタイムである。

 

島々が広範囲に散らばっているため、富が分散しにくいのも特徴と言える。ある州から別の州へ移動するには、飛行機(高価)か船(何日もかかる)しか利用できない。近年、やっと重い腰を上げ建設が、しかも民間のサンミゲル主導で鉄道や道路の整備拡大が始まった。この長きに渡り交通手段はルソン島の一部にしかない。

 

経済的に恵まれないフィリピン人には、都市部と農村部の2種類の生活基盤がある。

両者とも本質的にはその日暮らしの生活を送っている事が現実である。

田舎の人々は農業、漁業、畜産業で生計を立てている。

首都圏に住む人々のほとんどは、お金を稼ぐために都会にやってきた田舎の人々です。教育を受けていない人々は、掃除、洗濯、リサイクル可能なゴミを探して売ること、車の監視や勝手に洗車などの雑用で日銭を稼ぐものが多い。

 

首都圏の住人の中には、いわゆる「不法占拠地域」に住んでいる人が多い。基本的には空き地に、手に入るあらゆる材料で住居を建てた場所で、このような集落から、コミュニティ全体が生まれる。線路脇の家など、相当なスラムと称される違法建築の掘立小屋で、不安定な生活を送る。きれいな水はほとんどなく、下水道もない。しかし、人々は進取の気性に富んでいる。破裂したパイプから水を見つけたり、近隣の住民から電気を「盗んだり」する。小さな店を構え、食料品や朝食用の食べ物を売るものもいる。ただしその原材料の出先は定かでない。

こうした地域は、政府によって正当なバランガイとして認められることもある。多くの人がそこへ移住するが、住民全員が「貧乏」というわけではない。彼らは、ブランドものの服を着て、宝石を身につけ、家はセメントブロックで建てられており、まあまあ暮らしているように見える家庭も見受けられる。割と外国人と結婚した家庭が家を立てる事が多いが、土地は不法占領区でありいつ何時退去令が出されることもある。

一生懸命働いて子供を学校に通わせる人もいる。タバコやキャンディーなどの商品の箱を横に置いて、歩道で懸命に宿題をこなす子供を見かける事がある。こうした子供は成功物語に発展する。。親が清掃員や洗濯婦として働いている間に、クラスのトップで卒業した子供も多い。

 

そして、その対極には、決して成功しない人々がいる。彼らは橋の下や廃墟となった店の前など、見つけられる場所ならどこでも暮らしている。ゴミの山で食べ物をあさったり、見知らぬ人に物乞いをしたりしている。彼らの子供たちは路上で育ち、汚れたまま走り回り、幼い兄弟を抱きかかえながら車にぶつかる。これらの人々は、その日暮らしをすること以外何も考えていない。子供たちは接着剤を買って吸う。大人たちは酒を飲んだり、安い娯楽用薬物を探したりする。

1990年代初頭、マニラの街角で毎日暮らしている家族を見た。母親は布切れの上にぼんやりと座り、見知らぬ人に物乞いをしていた。彼女と配偶者は、数枚のシーツをかけた木箱の中で寝ていた。その後、彼女のお腹は大きくなり、彼女はしばらく姿を消した。そしてずっと後になって、彼女が今度は布でくるまれた赤ん坊を横に従え、天使のように清潔な姿で再び物乞いをしているのを見た。

彼らには明日のことなど考えも及ばない。男が道の角で踊りながら、片手に子供を乗せ、その隣で妻が跳ねながら歌い、純粋な喜びに目を輝かせているのを見たことがある。

街中で放浪する男性が猫を狩っているのを見た。オレンジ色のトラ猫がのんびりと足をなめているのを目にした。男は背後に忍び寄った。最初は、子供の頃のように猫を捕まえてペットにしようとしているのかと思った。それから、男は厚い木の板を取り出し、猫の頭蓋骨に力一杯叩きつけた。大きなバキバキという音が聞こえたが、猫は死ななかった。猫は悲鳴をあげ、タフト通りを駆け抜け、逃げまくる。まるで野生の本能がまだ残っている本物のジャングルにいるかのように、完全に居場所を失ったように感じた事がある。

 

極度の貧困により、このような生活を送る人が多くいる。

このような貧困を経験する人々のほとんどは、ビサヤ諸島やミンダナオ島から移住してきた人々である。

彼らはこのような状況に陥る。

仕事なし、お金なし、マニラに親戚なし、経験と教育不足のため雇用されない。

故郷に帰れない、経済的に困窮している。

これが、フィリピン人の一部が空き地に住み、ゴミから食べ物を探すことを強いられる悲しい現実である。

このシナリオはフィリピン人だけに当てはまるわけではない。

世界中で、アメリカやイギリスなどの豊かな国でさえ、ゴミの中から食べ物を見つけ、道端の小さなテントで暮らす貧しい人々がたくさんいます。中には全く住む場所がない人もいる。

同じ人間として生を受け、このような経験を人生で経験しないのは幸運である。

 

貧しいフィリピン人はどのように暮らしているのか?

フィリピン人は、通常1日5食からミッドナイトスナックを食べる家庭では6食食べる事が多い。

工場などへ勤務し最低賃金を得られる家庭では、給料当初は多少リッチな食事が見られる。しかし、1週間を経過したあたりから、間食を一切やめ、1日3食になる。実際、朝食を食べなかったり、昼食の残り物を夕食にしたりと、1日3食にならないこともある。食卓に食べ物がないときにオートミールが多い。また、ほとんど空腹のまま寝るのが普通で、翌日料理をすると仮想語に期待する。つまり言うだけである。

豚肉や牛肉は贅沢品です。豚肉や牛肉さえ食べられない生活に適応する必要がある。フィリピン人の多くは、タンパク質のほとんどを鶏肉から摂取し、食事は肉を延ばした炭水化物で構成されているのが普通である。

衣服は、ほとんどの服をウカイウカイから買う。ゴミの中や着古した洋服をゴミなどから見つけ、漏水のある場所で洗濯をしている光景も見られる。

バランガイで誕生日パーティーに誘ってくれない限り、気の利いた食事にありつけない。

安心して眠れた日が一度もない。自分のアパートや家を持たず、スラムに住み続けると、当然将来が不安になり、また頻繁に発生するスラムの大火である。

そして明日の朝食のコーヒーをどうして購入するか。

結果は、稼ぎ頭の男の子は夜中天知中を徘徊、正当であれ不正当であれ、金になる物を収集売っては、微々たる小銭で飢えを癒す。

首都圏などで日中店先の軒下で寝ている子供を見かける事があると思う。

長きに渡り、こういった環境を見てきて、いまだに変わらない。

それはなぜか?将来をよく考えていないこと。宵越しの金などもたず貯蓄などの生活設計に疎い人が多いのかもしれない。

そして一番は、考えが甘いのかもしれない。

つまり手を出せばその日の食い物代くらいはなんとかなる。

つまり、フィリピンでは、多少お金のある者は困っている者が手を出せばお金をあげる。

こういった習慣が根強く残っていて、結果として政府は状況を改善しない。

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