「 物質 」 は 物質には相違(そうい)ないが、一度 「 物質なし 」 と
それを否定して、物質に臨(のぞ)まなければならないのである。
「 肉体 」 は 肉体には相違ないが、一度 「 肉体 」 を否定して、
肉体に臨まなければならないのである。 ・・・・・
其処(そこ)で必要なのは、クラリと 「 観の転回 」 をすることである。
物質や肉体や竹箆(しつぺい)を ただ否定するだけではなく、
「 物質、物質にあらず、これを物質と云(い)う 」 ―
これは諸仏(しょぶつ)の ‘ いのち ’ の波動だと知ることである。
「 肉体、肉体にあらず、これを肉体と云う 」 -
ここに神の ‘ いのち ’ が生きていると知ることである。
人間は 「 物質に非(あら)ず、肉体に非ず 」 と云って、
それを単に否定 し去るのではなく、物質 ‘ そのまま ’ に、
肉体 ‘ そのまま ’ に、 “ 聖霊受胎 ” であるとすることである。
『 無門關解釋 』 ( 第 四十三 則 首山竹箆(しゅざんしつぺい) 312頁 )
谷 口 雅 春 先 生