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☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

観(かん)の転回(てんかい)

2016-02-05 16:46:47 | 今日の光明法語

「 物質 」 は 物質には相違(そうい)ないが、一度 「 物質なし 」 と
それを否定して、物質に臨(のぞ)まなければならないのである。

「 肉体 」 は 肉体には相違ないが、一度 「 肉体 」 を否定して、
肉体に臨まなければならないのである。 ・・・・・

其処(そこ)で必要なのは、クラリと 「 観の転回 」 をすることである。

物質や肉体や竹箆(しつぺい)を ただ否定するだけではなく、

「 物質、物質にあらず、これを物質と云(い)う 」 ― 
これは諸仏(しょぶつ)の ‘ いのち ’ の波動だと知ることである。

「 肉体、肉体にあらず、これを肉体と云う 」 -
ここに神の ‘ いのち ’ が生きていると知ることである。

人間は 「 物質に非(あら)ず、肉体に非ず 」 と云って、
それを単に否定 し去るのではなく、物質 ‘ そのまま ’ に、
肉体 ‘ そのまま ’ に、 “ 聖霊受胎 ” であるとすることである。


『 無門關解釋 』 ( 第 四十三 則 首山竹箆(しゅざんしつぺい) 312頁 )
 谷 口 雅 春 先 生



真理の精神リズム

2016-02-05 09:33:38 | 今日の光明法語

聖典を読むということは、覚えてしまったら もう読まなくても好(よ)いと
いうようなものではないのです。

これは仏教のお経でも、神道(しんとう)の祝詞(のりと)でも
キリスト教の讃美歌でも、此(こ)の 『 生命の實相 』 でも同じことです。

お経でも祝詞でも讃美歌でも、言葉に出して唱えるところに、そこに言葉の力で、
自分の心の中と、この大宇宙の中に善き精神的リズムを生出(うみだ)す ー 
それが肝腎なのであります。

「 言葉 」 に出すと申しましても、必ずしも 「 音読(おんどく) 」 しなければ
ならぬというわけではなく、黙読(もくどく)もまた言葉です。

ともかく、読んでいる その時に起(おこ)る心のリズム 「 精神波動 」 が
大切でありまして、真理を読めば 真理の精神リズムが発生し、

それに従って迷える霊魂に 悟りを開かせ、神 及び 高き霊魂を招き寄せ、
病的念霊を退散せしめて、病気が治ることになるのであります。

だから、もう原理を知ったなら、記憶したなら、読まなくても好いというわけの
ものではありません。


『 新編 生命の實相 』 ( 第 6 巻 「 生命円相の真理 」 164頁~165頁 )
 谷 口 雅 春 先 生




合掌修行

2016-02-05 09:07:10 | 今日の光明法語

合掌修行をするときには、必ず招神歌(かみよびうた)をとなえて、
正しき神の来臨(らいりん)を願って、その守護のもとに

悪霊(あくれい)の感憑(かんぴょう)を避け、同時に自分の心は、
完全円満なる存在の実相、神の子たる自己の実相を観(かん)じ、

心のリズムを高めて、低い霊波と波長を合わせないようにすることが
必要なのであります。


『 新編 生命の實相 』 ( 第 6 巻 「 生命円相の真理 」 175頁 )
 谷 口 雅 春 先 生