愛は すべての罪を消す所の もっとも強力なる力である。
然し一党に偏して 一方を憎むが故に もう一方を愛するというような愛し方は、
実は 愛ではなくして執着であるから、そんな愛では 決して罪は消えないのである。
愛しようと思うならば、まず憎みを放たなければならないのである。
「 神に赦(ゆる)される 」 ということは、
「 業が消える 」 ということを いいかえたにすぎないのである。
業が消えるためには すべての人間を赦し、愛し、
心を尽し、言葉を尽し、行いを尽して
その愛を実践しなければならないので、
愛行の中にとびこみ、 「 わしが愛する 」 というような傲(おご)りの心なしに、
自からが空っぽになって、神が吾に於いて 人を愛するというようになった時、
もう自分は空っぽであるから、自分に まつわりついている業も罪もないのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年一月号 三十一日の法語 谷 口 雅 春 先 生