ポメのひとりごと

我が家に住むポメラニアンの独り言

近場にも見るべきところが

2020-04-07 13:57:49 | 史跡
コロナで旅行に行けない。でも身体がなまる。
そんなときには身近にある史跡を訪ねてみるのも悪くは無いのかなと。
人里離れたところによく石碑や地蔵が残ってますね。

北海道の北杜市で見つけたのは、「北海道水田発祥の地碑」です。
でもグーグルマップで見るとこの場所は載っていないです。
北海道全土で見ると似たような水田発祥の地は載ってます。
どれが最初だかわかりませんが、深くは考えずに、先人の血と涙の結晶に敬意を表しましょう。

北海道水田発祥の地碑
蝦夷地の米作りには、寛文年間 (1661〜1672)、貞享2年 (1685) 、元禄5年 (1692) の記録がある。
水田発祥の地碑は、元禄5年の「松前志」の記録と村民の伝承によって昭和24年(1949)に建てられた。
碑文には「押上 (文月村 ) のこの地に元禄5年農民作右衛門なる者南部の野田村から移って、人々の定着は米にあるとしてこの地を拓し、450坪 (約15アール)を開田し、道米10俵 (現在の2俵程度 )を収穫した」と記されている。
現在の道産米の基礎はこうして発祥した。
作右衛門の水田は2、3年で廃止され、その後も稲作は失敗と成功を繰り返し、文化2年 (1805)には箱館奉行が大規模な水田開発を行ったが、長くは続かなかった。
嘉永3年 (1850)、大野村の高田松五郎.万次郎親子が苦心の末、米の収穫に成功すると、近隣の村々にも広がり、安政元年 (1854) 以降、米作りはようやく安定した。
明治6年 (1873 )になって、島松 (現北広島市 )の中山久藏がこの地の品種 「赤毛」で寒冷地稲作に成功し、米作りは全道各地に広がったのである。
平成18年3月吉日
北斗市教育委員会





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