毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

これも一種の白豪主義

2005-04-09 13:44:06 | 国際
「靴脱げ」で外交問題 豪とパプアニューギニア (共同通信) - goo ニュース

外交使節団、なかんずく他国の首相に対して入管が靴を脱げと命じるなど国際慣習上非礼なことです。昔ならこれだけで十分戦争の理由になります。現代においてですらこういう侮りを受けるところに弱小国の悲哀を感じます。しかもパプアニューギニアはこの侮りに対して『オーストラリアからの援助を受け入れない』というかたちでしか抗議のしようがないようです。悲しすぎて涙が出ます。【道義立国】たるべきわが日本国は何等かのかたちでオーストラリア政府に圧力をかけるべきでしょう。

パプアニューギニア大使館HPの基礎データによれば、パプアニューギニアは1975年にオーストラリアから独立したそうで、それまではオーストラリアの植民地だったようです。旧植民地国の首相だから侮りを受けたという面もあるにはあるんでしょうが、それだけではないでしょう。人種差別に基づくより根本的な侮りがオーストラリアには受け継がれているに違いありません。それがオーストラリアの白豪主義の伝統というものなんでしょう。

オーストラリアの白人は20世紀の初頭まで現地人のアボリジニを《狩の対象》にしていたそうです。つまりアボリジニなどの有色人種は人ではないと考えていたということです。つい100年ほど前までそういう意識だったのですから、そういう意識がそう簡単に改まるわけはありません。このパプアニューギニアのソマレ首相は《サーの称号》を持っていますが現地の人のようで、100年前までは白人から狩の対象にされていた人たちの子孫です。侮りを受けたのにはそういう歴史が影響しているに違いありません。

日本人もつい先日までは動物扱いだったのです。それは故・会田雄次著『アーロン収容所』などを読めばすぐにわかります。

簡単な抜粋はここ

我々日本人が酷い侮りを受けずに済むのは、日本民族に力があるからです。ご先祖様の遺した遺産のおかげです。もっとも、戦争に負けるなどして力が衰えるとたちどころに侮りを受けるようになることは『アーロン収容所』などを読めば十分想像できることですが。人間の意識はそう簡単には変わらないのです。われわれは白人の中にあるそういう優越感を現代においても忘れない方がいいでしょう。

もっとも、こういうことを言うとサヨクは必ず日本人だって差別をするし植民地支配における残虐とか何とか言い始めます。そういうことをいう連中は違いの分からないアホです。いかにも日本人も差別します。それは世界中のどの民族も多かれ少なかれ差別するということと基本的には同じことです。今回侮りを受けたパプアニューギニアの首相なんどだって、より弱小国であるミクロネシア連邦などに対してはきっと差別していることでしょう。問題はその中身です。

日本人は朝鮮を『併合』したのであって、朝鮮人を【人間】だとおもって【差別】していたのです。それは支那人や東南アジア人に対しても変わることはありませんでした。しかし毛唐どもは有色人種を人間ではなく【動物】~少なくとも【動物同然】だとおもって【区別】していたのです。差別というの相手を一応自分と同じカテゴリーと認めることを前提とします。しかし毛唐どもは有色人種を同じカテゴリーだと思っていなかったわけです。だからアボリジニを狩の対象にしたのです。

もっとも、オーストラリアの毛唐は犯罪者の子孫が多数を占めるというだけあって、毛唐の中では相当程度が悪いと専らの評判です。(『アーロン収容所』にもそれは書いてありました)。最近も邦人の行方不明者が多数出ているとのことで、オーストラリアへのリピーター率は低いとか。オーストラリア政府はそれを何とかしようと躍起のようですが、今回のような侮りをやる限り、改善は程遠いとしか言い様はないでしょうな。(談)。

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