PLANKTON NEWS and REPORT

プランクトンのアーティスト・ニュース&ツアー・レポート

フランキー・ケネディ ウインタースクールドキュメンタリー5

2009-12-01 | ケルト音楽


ドキュメンタリー4から続く)

マレード「フランキーは昔から腰が痛いとよく言っていたのだけど、それは旅の荷物のせいだと思っていたの。ある日、グイドアの家にいたとき痛みがひどくなって医者に連れていったの。注射で痛みはよくなるはずなのにヘンだという事になり、これは何かシリアスなものではないかと恐れたわ」

フランキーの妹さん「それが癌だと分かった」

マレード「翌朝小さい部屋に通されすべての話を聞かされた。本当にずっと健康な人だったのですごく動揺したわ。フランキーが心配したのはご両親のことね。それから私のこと。彼は自分以外のすべての人のことを心配したわ。翌日手術をすることになった」

フランキーのお母さん「フランキーは病院を変わりながら治療を続けたわ」

マレード「彼はそんな時も演奏を止めなかったし、私にも演奏するように薦めた。94年になくなる前、1年くらいしばらくおちついていた時期があったのだけど、そして彼を失った」

ダヒー「フランキーはものすごく具合が悪い時でも明るくふるまっていた。でも恐怖はいつもそこにあった。彼が与えてくれるものはあまりに多かったから。こんなに若くして亡くなるなんて、なんて不公平なんだろう、と」

「本当に強い人だったよ。彼は“これがバンドの最後ではない”と何度も強調していた。音楽は続いていかないといけない、と。マレードは本当に素晴らしかった。」

マレード「10年たった今でも、ちゃんとフランキーの死と向かい合えているのかは分からない。でも自分のベストはつくしたつもり。いったい誰が自分が死と向き合わなくてはいけないって想像したでしょうね。人はいつも自分に近い誰かを失うけれど、配偶者や夫を失うってのは更に大変なことよ。ずっと一緒に生きて行くと思っていたのにそれがかなわなかった。フランキーはいつも私が音楽を続ける事を望んでいた。彼が死んだのに私が消えてしまわなかったのは、彼の精神が私の中に生きていると信じているから」

ジェラルド・オ・ムイニー「彼が亡くなって本当に寂しいが、ウインタースクールにまだ彼の精神は生きているのさ」

アナ・ニ・ムイニー「自分に近い人が苦しむのは辛いわ。ときどき病気そのものよりも治療の方がきついことがあった。マレードはずっと彼のそばにいてその辛さに寄り添っていたのだけど、私も時々それを手伝っていて、それは本当に辛かった。まるで兄弟のような存在だったから本当に彼を失うのは悲しかった」

マレードのお父さん「家族は本当に大きなものを失った。それが人生っていうものなのか」

マレード「フランキーが亡くなって1ケ月後、私はバンドとドイツをツアーしていたの。ものすごく辛かった。バンドのメンバーも辛かったと思う。でもフランキーの精神はそこにあったし、バンドのメンバーがなんとかその空いた穴を埋めていったわ。私はもう少ししっかりするようになったし、他のメンバーもフランキーのパーソナリティを少しずつ受け継いだと思う。そしてフランキーの思い出を名誉なものとしてずっと持ち続けていようと。きっとフランキーがここにいたら彼もそうしたと思うのよ。それが私たちがやったこと」

マレード「フランキー・ケネディウインタースクールだから“Tune for Frankie”から演奏します」

アナ「フランキーは彼にあうすべての人の心に触れずにはいられない人だった。あんなに若くして亡くなるなんて。彼はまだいなくなっていないと思う。今でも私たちといっしょにいる」

コナー・バーン「ドニゴールの音楽を聞くとき自分に言うんだ、フランキーが一緒に演奏してくれているといいな、って。本当に美しい演奏スタイルだった」

シェイマス・ベグリー「フランキーは本当に才能のあるミュージシャンだった。もう亡くなるかもしれないという時も音楽を作っていたよ。最後の最後まで音楽を演奏していたね。彼を失ったのは本当につらいよ。彼はヒーローだった」

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