1、皿川で起こっていたバックウオーター現象について
まずはういき「背水(バックウォーター)」: https://archive.md/dAQlG :からの引用です。
『背水(はいすい)またはバックウォーター(英: backwater)は、河川や用水路などの開水路において、下流側の水位変化の影響が上流側に及ぶ現象のことである』
『洪水の際、本川の水位が高い場合、支川から本川への流入が起こらず、そのために支川の水位が上昇することを指す場合もある。
堤防決壊の一因が、バックウォーター現象である可能性を指摘された事例として、以下のものがある。
・・・
・2019年10月、令和元年東日本台風、多摩川支流の多摩川水系平瀬川、利根川水系渡良瀬川支流の秋山川、阿武隈川支流の阿武隈川水系新川、千曲川支流の信濃川水系皿川・浅川[6]。また、荒川水系入間川流域の都幾川、越辺川においても同様にバックウォーター現象が起きていたとされる。』
あるいは次の記事「河川のバックウォーター現象のモデル化」: https://archive.md/9X7vq :
ここでは本流に接続している2本の支流の水位が計算で示されています。
記事によれば「支流が本流に合流する場所の水位は上昇する」とされ、またその影響を支流側がうけて「支流が本来持つべき水位の勾配、つまりは本流に流れ込むべき水の流れが起こらずに、その場所でダムを作ってしまう」という計算結果が示されています。
特に注目すべきは「支川2」と記された断面図です。
「支川2」には相当な勾配があるにも関わらずその水は本流に流れ込めず、ダムを作っています。
以上は本流と支流との合流地点に樋門がない場合の話です。
そうであれば「以上はフルバック堤の話」となります。(注1)
それに対して樋門構造が合流地点にあると状況はもっと複雑になります。
それはつまり「樋門構造がある事で本流の水の流れが影響を受け、その影響が支流側に及ぶ」という事です。
さてその影響とは何でしょうか?
「本流の水が支流側に逆流する」という事です。
それは「本流側の水位が支流側に出来たダムの水位よりも低い」にもかかわらず「本流側の水が支流側に流れ込む」のです。(注2)
それは又「本流側の水位よりも支流にできたダム側の水位が高いにも関わらず、支流側の水が本流側に流れ込まなくなる」と言う事でもあります。
そうなってしまった支流側の水は支流側の堤防を越えてその場所で氾濫を引き起こします。
それが台風19号襲来時に皿川で起きていた事です。
以下、皿川にできていたダム湖の画像
皿川ダムが満杯になってあふれる直前の画像。橋の横を通してあるパイプのすぐ下に水面が来ている。パイプに取り付けられた矢羽根が左端に一部写っている。 : https://archive.fo/8BoDL :右側に写っているのが縁石で、これを超えれば氾濫発生となる。
同じ場所の昼間の画像、上の画像は皿川橋の歩道の上からパイプごしにダム湖水面を写したものと思われる。 : https://archive.fo/UIiXi
『右岸堤防中ごろから千曲川方向、皿川橋方面をみたものですが、左側の屋上に看板がでているあたりがM建設前道路となり、ここから左岸には越水~氾濫しました。
・午前6時30分頃 千曲川堤防方向 : https://archive.fo/6PpWP :堤防上で排水ポンプ車が排水作業中 画面左、軽トラが止まっている駐車場の前あたりの道路から左岸越水 左端の赤い屋根の後ろの建物が有尾中継ポンプ場』(注3)
ただしこの排水ポンプ車+照明車各1台は飯山市が「皿川が氾濫した」という市民からの情報を2時15分に入手してから1時間10分後に河川事務所に依頼してようやく出動してもらったもの。
つまり「19号台風襲来の折、皿川樋門には事前配置されたポンプ車は1台もいなかった」というのが事実です。(注4)』
このように支流側にできてしまうダム湖の水を満水~氾濫させないためにセミバック堤では「洪水時には樋門のゲートを下して支流側の水は排水ポンプによって本流側に排水する」のが正規の運用手順となっているのです。(注5)
しかしながら台風19号襲来の折、皿川樋門には排水ポンプ車の事前準備は無く、委託樋門操作員は皿川を監視しておらず(つまり樋門操作員は皿川にはおらず、別の所で飯山市から言われた別の仕事をしていました:注6)、従って樋門ゲートが閉じられる事はなかったため、そこで「最悪のバックウオーター現象」が起きていました。
それはつまり「千曲川の泥水が皿川方向に逆流していた」のです。
この為に皿川ダム湖の水位は急激に上昇し、右岸と左岸に越水~氾濫しました。
そうして右岸に在った堤防の弱点部分をダム湖の水が洗掘し右岸堤防決壊に至ったのでした。
・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/gIso6 : 流れ出す泥水が決壊場所でJR線路側に流れ出し、線路下の土台を削り込んでいる写真。泥水はその反動で反時計回りに渦を巻きながら線路の反対側にあたる堤防の土を丸く削り取っている。
・その場所で少し左側を見る : https://archive.fo/mWE0a :左側から線路方向に向かって泥水が勢いよく流れ込んでいるのがよく分かる。
・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/wSUAB :JR線路を越えた西側の状況。これは西側の右岸堤防がやはりJR線路との接続部がひくくなっており、そこから満水時の皿川ダム湖の水が右岸田んぼへあふれ出したのである。そして線路東側の堤防決壊によって皿川ダム湖の水位がさがり、その時点で右岸田んぼへの越水は終了した。
・同上場所の時間がもっと後(10/13 午前9時44分 )の写真 : https://archive.fo/COn7j :右岸堤防のJR線路に向かって低くなり始める手前に通行禁止のポールが4本、たっているのが分かる。決壊場所にももちろんこのポールはあったが、流されてなくなっている。
さて、最後に上げた画像で注意しなくてはならない事は、線路の向こう側にある木の枝が水面に接しておりその枝から上流側に白くにごった水の流れが伸びている事が確認できる事です。
つまり(10/13 午前9時44分 )には本来は下流に向かって水が流れなくてはならない皿川の水が上流に向かって流れていたのです。
さてこれは何を意味しているのか、といえば「この時には皿川樋門のゲートは上がっており、そうして千曲川の水位が皿川ダム湖の水位よりも高かったので千曲川の泥水が皿川に向かって逆流していた」という事を示しています。(注7)
そうして又その逆流画像の意味する所は「河川事務所からの報告が間違っている」という事です。
河川事務所によれば「10月13日の1時44分にゲートを下した」と報告されていますが「その報告は事実ではない」という事になります。(注8)
つまりは台風襲来時、10月13日の午前9時44分までは皿川樋門のゲートは開いていたのです。
そうしてその時間まで開いていたのであれば、「台風19号襲来のときには皿川樋門は閉じられる事はなく、開けっぱなしだった」という事になるのです。
さてそれで話は最初に戻るのですが以上の事より台風19号襲来の折、皿川樋門はそれまで飯山市が10年間やってきたのと同じ対応、つまりは「樋門ゲートは開けっ放し対応だった」という事が分かるのです。
こうして台風19号襲来の折「飯山市には皿川樋門ゲートを降ろす意思がありません」から「今井川に対して行っていたような排水ポンプ車の事前配置は皿川にはしなかった」のです。(注9)
さてではそのように「樋門ゲートが開けっ放しだった皿川樋門では実際に一体何が起こっていたのか」というのが次の話になります。
注1:(フル)バック堤とは : https://archive.md/6UFqT :
緩流河川で本川の洪水が支川に逆流して氾濫するのを防止するため、支川の堤防で影響の及ぶ範囲を本堤と同一の構造、強度とするもの。
注2:千曲川に対してどのように樋門が設置されているのか、によってこの逆流の起こる程度は相当に違うと思われます。
たとえば「宮沢川樋門」のように「本流の流れに沿う形で支流が流れ込む場合」は本流からの逆流の状況は皿川樋門に比べて相当に少ないものとなるでしょう。
注3:この時間にはすでに右岸堤防から越水~堤防決壊が起きており、従って左岸への越水は止まっている。
画像から分かる様に右岸堤防の高さは左岸よりも相当程度(公称50センチ程)高くなっている。
だが右岸堤防にあった弱点部分からは越水が始まっており越水開始2時間後に右岸堤防決壊に至ったのです。
注4:「令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】」: https://www.city.iiyama.nagano.jp/assets/files/senryaku/press/1028iiyama.pdf :
『2:20 皿川の左岸(前沢建設前のみ)からあふれたとの連絡あり。
3:30 皿川へ排水ポンプ車の配備を千曲川河川事務所へ要請。』
何故ポンプ車出動依頼に1時間10分も検討時間が必要だったのか、市役所は説明していない。
そうしてそのように対応の遅い対策本部の副本部長が「水防の専門家を自称するにいのみ氏であった事」を思えば、「対策本部は足立本部長を始めとしてまことに救いようがないダメな組織であった」という事になるのです。
しかしながら市会議員によってはこのような「ダメダメ対策本部の状況」を評して「十分であった」などと発言するのですから本当に驚きであります。
ちなみにポンプ車の事前配置については「各自治体が国=河川事務所や県に依頼してポンプ車に事前出動してもらう」という手順になっています。: https://archive.md/aO0Sf :
そのような手順にしたがって今井川には国と県から1台づつポンプ車を事前配置してもらっていました。
あわせて飯山市手持ちのポンプ車1台もそこに出ていました。
しかしながら「皿川は何もしなくても大丈夫」と判断した飯山市は皿川を監視対象からはずし、本当に何もしなかったのです。
注5:セミバック堤とは「樋門・樋管構造を持つ支流の堤防形態を指す」コトバです。
そうであれば「樋門・樋管に置いてゲートを下したならば排水ポンプによる排水作業は必ず行う事が必要」になります。
しかしながら飯山市は皿川にはポンプ車の事前配置はしていなかった。
さて、それはどうしてですか、市役所さん?
「台風19号の時にも皿川樋門、閉めるつもりはなかった」という飯山市の台風19号対応方針を「皿川に対してはポンプ車の事前配置はしていなかった」という事が示しているのです。
それはまた「委託樋門操作員は皿川にはいなかった」、つまり「だれも皿川を監視していなかった」という事でもあります。
注6:別の所で飯山市から言われた別の仕事をしていた国と契約した委託樋門操作員については、ページを改めて説明する事と致します。
注7:千曲川からの逆流圧力が大きいため、水の流れがJR線路側に流れ出し線路下の土台を削り込んでいるのが画像からよく分かります。
そうして水はJR側に流れ出した勢いが強いのでその場所で反時計回りに渦をまき、JR側とは反対側の堤防を丸く削り込んでいます。
・皿川決壊現場(10/13 午前 6 時) : https://archive.fo/uIwKu :同上シーンのより決壊場所に近づいた写真
注8:情報公開請求によって河川事務所から提示された皿川樋門操作記録:https://archive.fo/NOD6b ゲートを降ろした時の内水位は6.43m、外水位は6.23m 。
時間は13日の1時44分
ちなみに河川事務所によれば「この閉めてないゲートを再び持ち上げたのは」
13日の15時30分 内水位は6.40m、外水位は6.38m 。
となっています。
さて世の中には不思議な事があるもので河川事務所によれば「下げていないゲートを持ち上げることが出来る」という事になるのです。
注9:台風19号が来る前の10年間、それまでは台風が来ても皿川樋門は開けっ放しで大丈夫だった。
それは排水ポンプ車の事前配置があって樋門操作員が皿川の状況を判断しながら「これならば今回はゲートを下げなくても大丈夫だ」と判断した結果であるならばよろしいのです。
しかしながら単に「前の10年間、皿川樋門は開けっ放しでも大丈夫だったから、どんな台風が来ても皿川樋門は開けっ放しでよい」という判断は誤りです。
そうであるにもかかわらず市役所は「今回も皿川樋門は開けっ放しで大丈夫だろう」と判断しました。
「皿川は監視していなくてもよい」と判断したのです。
その市役所の「ポンプ車事前配置なしの皿川樋門開けっ放しで大丈夫だろう想定」が飯山市街地を泥水の中に沈めた大きな原因の1つであります。
そうして又「皿川が氾濫した」という情報を市役所から伝えられても皿川樋門を閉めなかった国=河川事務所の責任は重大なものです。
その為に皿川右岸堤防決壊場所を通じて千曲川の逆流泥水が無尽蔵に飯山市街地に流れだし市民に大変な苦痛と大きな被害を与えたのです。
「皿川が氾濫するまで皿川樋門を開けっ放しにしてポンプ車も監視員もそこに置かず皿川を放置していた責任」は飯山市にあります。
飯山市は「皿川は監視対象から外し、皿川樋門は開けっ放しでよい」としていたのですから。
しかしながら「皿川が氾濫した」という情報を飯山市から聞いた河川事務所は「皿川樋門を閉めろ」と樋門委託操作員に指示すべきでした。
その様な指示をしなかったのは河川事務所の落ち度です。
その結果は「右岸堤防決壊~大量の千曲川泥水の市街地流出」という事につながりました。
したがってこの事についての相当部分の責任は河川事務所にあります。
(3:15 『千曲川河川事務所より「立ヶ花で12mを超える水位となり、越水が各所で発生している。これからピークが飯山へ向かうので、飯山市でも最高水位に備えるよう」連絡が入る。』このときの飯山市とのやりとりの中で河川事務所は皿川氾濫の事実を知る。)
加えてこの2つの組織はお互いに相手のミスを隠すことに協力しあい、自分たちがやらかした失敗を公表しその責任をとる、という事はしませんでした。
あまつさえ、飯山市は自分たちがやらかした失敗について市民に対して説明し謝罪する、という事はなくそれどころか「自分達の対応には何のミスもなく、自分たちも水害の被害者である」という立場を取り続けました。
このような市役所の在り方は飯山市民の信頼をあきらかにうらぎるものであります。
それから3つ目の重大なミスは県=北信建設事務所の怠慢です。
建設事務所は皿川の右岸堤防とJR線路との接合部にあった皿川堤防の弱点を知りながら、長年に渡り何の対応もせずに放置していたのです。
実際、皿川の堤防はその部分で決壊しました。
そうしてその北信建設事務所の前の所長がにいのみ氏=前の副市長、その人であります。
・今回の堤防決壊を受けて建設事務所が行った決壊場所の修復完了の姿を示す。:・現状完成形 <--2020年3月25日現在
今回の災害が発生する前までにこの姿まで堤防の完成度を上げていなかったのは、建設事務所の怠慢、落ち度である。
・補修前の決壊現場の状況
決壊場所にコンクリートブロックを投入した状況を示す: https://archive.md/93ysb :
この画像から分かる様に、決壊場所の左側までは堤防の法面がコンクリートで耐水化されていた。
だが決壊場所は単に土を入れて固めただけで、法面の耐水化は行われてはいなかった。
北信建設事務所はそのような状態で皿川堤防を放置していたのである。
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