今日、8月27日で、粉瘤手術から半年が経ちました。
やっと半年!まだ半年か・・・。(^^ゞ
今月10日から再開したピアノの練習、朝の早い時間に30分程度ですけど、今日まで続いています。頑張っています、と言うほどのことではないかもしれないけれど、頑張っています。
痛みはまだありますし、その日によっても痛み方も違うし(朝起きたときから疼くこともある)、座り方の微妙なバランスもあるでしょうね。何も気にせずに左と右と同じように体重をかけると言うことはまだできていないのが現状です。
先日、食卓で座っていたときに右にものを落としてしまい、つい、そのまま手を延ばして取ろうとして、右にがっと体重をかけてしまったらまともに痛くて、大変でした。で、そう言うときはちゃんと押すと痛む箇所があって・・・。ああ、やっぱりまだ治っていないと実感しました。^^;
あと、傷跡にはテーピングしている訳ですが、痛まなくてもやはり触れると違和感があります。
ピアノの椅子にはクッションも何も敷かず、そのまま座っていますが、やはりまずその日の最初に弾くときは、どのように座るか、緊張しますね。^^;
弾いている最中に座り直したりすることもありますし、ずっと痛いなあと感じながら、ということもあります。逆に、今日は調子いいなあと感じながら、ということも。
弾いているときは曲に集中しているつもり^^;ですが、やはり絶えず頭には右のお尻のことがありますね、まあ仕方がありませんが。
それでも、真面目に痛くて痛くてたまらなかったときの状態を考えると嘘のようで、
夢のようで、ピアノ弾いている、と言うただそれだけで何と言うか、
「本当に良くなったんだなあ」としみじみ浸ってしまいますね。
今、日々感ずる痛みは、簡単に言えば「これはヤバイ?」というのではなく、ピアノを弾くときも弾かなくても、感ぜられるもので、もう半年にもなると「この痛いのは大丈夫(?)」と言うのもわかって来て・・・。つまりはそう言う痛みです。ハイ。(笑)
バッハと言うことで、鍵盤の端から端まで使うこともなく、極端な体重移動もないことも
幸いしていますね。
とにかく、今、自分がピアノ弾いている、という事実にはただ、「ホント嬉しい」、の一言に尽きます。(^^♪
思えば2月のヴァレンタインンデーの少し前に、右の足の付け根の少し上の部分にできた
粉瘤が、ここまで大変なものになるとは、想像もしなかったことでした。
薬で取りきることができず、手術が決まったときも
「少しプッツンとできたものをパッと取ってしまうだけ」と軽く考えていた私、その考えの甘さは手術した直後に一変するんですけど・・・。(^_^;)
手術日の夜の痛さは今思い出しても、泣きそうになりますね。鎮痛剤を飲んでも全く効かず、ただただひたすら朝が来るのを待って、夫の車に座れないので、左半分だけ腰を落として窓の方を向いて、その姿勢でじっと我慢して病院へ向かったこと(手術後もこの姿勢でタクシーで帰宅だったのですが)・・・。
消毒してもらうときも強烈に痛かったですし、その後一番キツい鎮痛剤を日に6回飲むように指示され、それが元で今度はホルモンバランスが崩れて、いろいろと身体にも支障を来したり・・・。
また、毎日消毒に病院に通った一週間、行きは夫に送ってもらっていたのですが帰りは地下鉄とバスにゆっくり乗り継ぎながら、の毎日でした。
それがもう、その地下鉄駅へ行くまでやホームに出るまでの道のり、いつもならすたすたと行ける道が、右足を引きづりながらいつもの二倍以上の時間がかかってしまい、バスの時間に間に合わせるのに苦労したことや、途中、トイレに行きたくて、デパートに寄ると人ごみや行列が、ものすごく辛くてふっと目に留まった「身体の不自由な方優先」と書かれたトイレを見つけ、
「ああ、今の私はここに入って使っていいんだ」とホッと胸を撫で下ろしたこともありました。
手術から抜糸までは入浴は禁止でしたが、手術の翌日からはシャワーは許可されていました。が、とにかく、もう痛みに参っていてとてもそんな気力が湧かなかった、というのがが現実でした。傷跡は毎日の消毒で大丈夫でしたし、シャンプーだけはなんとか数回したなあと言うのは覚えていますが。
シャワーどころではなく、何をするのも一から大変で、あの頃毎日、食事の支度していたんですが、いったいどうしていたんでしょう?もうもちろん、夫にSOSを出してお惣菜など買って来てもらったりもしていたと思いますし、作るにしても至極簡単に手抜きだらけだったと思いますが、その辺の記憶は実はまったくないんです。
手術より一週間で抜糸して、ああ、これでもうすぐに戻れると思ったのも大いなる間違いでした。その辺のくだりは以前にもこちらでいろいろと書きましたので、ここでは割愛しますが、とにかく私は本当に、すぐに状態が元に戻ると思っていたんですよね~。全くもって甘かったです。(^^ゞ
その後、ケロイド体質のことで新たなショックを受けたり、お医者様の言う「もう大丈夫」と言う言葉と「痛みがなくなる」と言うことがけっして同義語ではない、というのも学びながら、なんとかここまで来ました。
「もう大丈夫」と、ピアノに向かって、痛みが酷くなり、「やっぱりまだダメか・・・」とがっかりしたのも一度や二度にあらず・・・。痛みがぶり返す度に「ちゃんとびしっと休まないとダメなのだ」と思いながらもその思い切りもどうにも付けなくて、自分はいったいどうしたらいいのだろう、と悩みました。
結局、痛いのはどうしようもない事実なので、その痛みが引くまでは中途半端なことはすまいと、ピアノを完全に休むことにする訳なのですが、そのあとも毎日、実は鬱鬱とすることも多かったのです。
このブログで「治すためにちゃんと休みます。ゆっくりのんびり焦らずに」などと何度も書きましたが、あれは書くことで自分に言い聞かせていた,と言うのが正直なところでした。
だんだんと行動が楽になって行って、歩く早さも元に戻って行って、外から見ると普通そのもの、なのに、なぜ私はピアノを弾かないのだろう?お医者様に半年テープ貼っておとなしくしているように、とか痛くなるような刺激を与えないように、と言われてそれはちゃんと守らなくては、と思う一方、だけど、
もしかして,本当は私はこののんびりとした状態にただずっといたいだけなのかも???とか、
だらだらしている状態が楽なので、甘えているんではないか?とか・・・
マイナス思考の考えが浮かんでは消し、浮かんでは消し、と言う感じで・・・。
でも、痛むのもまぎれもない事実、まともに座れる状態になっていないのも現実、というのもきちんととらえると
「全部自分の考え方や受け止め方次第,自分との折り合い次第」だというのも
すごくすごく骨身に染み入る毎日でもありました・・・。
心底、私は弱い人間で、こう書いている今もって、精神状態が揺れ動いている、と言う感じなのですけれど^^;、でも手術から半年が過ぎて、確かに言えるのは、
「ちゃんと良くなって来ている」ということ。これは、もう実感と言うか体感です!
最初半年、と言われたテーピングも、あと半年延びて計一年貼り続けることになりましたが、こうして手術をし、様々なことを一度休んで、自分を見つめ直した結果(そんなに大袈裟でもありませんが^^;)
今まで見えなかったことも見えたり、わからなかったことがわかるようになったこともけっして少なくはなくて・・・。
何事も無駄はなし、全てに意味があると思っている私にとって、非常に貴重な時間でもあったと思えます。
こうしてだらだらと書いて来ましたが、きっと来年の今頃は
このように悶々としていたことも忘れているかもしれませんね。!(^^)!
以上、手術より半年経った、今の私の近況(心境?)、でした。(笑)
明日からまた、紆余曲折しながらもとにかく前に進んで行けている、
その自分と改めてちゃんと向き合って行こう、と思います。
ちゃんと、焦らず、ゆっくりと。
やっと半年!まだ半年か・・・。(^^ゞ
今月10日から再開したピアノの練習、朝の早い時間に30分程度ですけど、今日まで続いています。頑張っています、と言うほどのことではないかもしれないけれど、頑張っています。
痛みはまだありますし、その日によっても痛み方も違うし(朝起きたときから疼くこともある)、座り方の微妙なバランスもあるでしょうね。何も気にせずに左と右と同じように体重をかけると言うことはまだできていないのが現状です。
先日、食卓で座っていたときに右にものを落としてしまい、つい、そのまま手を延ばして取ろうとして、右にがっと体重をかけてしまったらまともに痛くて、大変でした。で、そう言うときはちゃんと押すと痛む箇所があって・・・。ああ、やっぱりまだ治っていないと実感しました。^^;
あと、傷跡にはテーピングしている訳ですが、痛まなくてもやはり触れると違和感があります。
ピアノの椅子にはクッションも何も敷かず、そのまま座っていますが、やはりまずその日の最初に弾くときは、どのように座るか、緊張しますね。^^;
弾いている最中に座り直したりすることもありますし、ずっと痛いなあと感じながら、ということもあります。逆に、今日は調子いいなあと感じながら、ということも。
弾いているときは曲に集中しているつもり^^;ですが、やはり絶えず頭には右のお尻のことがありますね、まあ仕方がありませんが。
それでも、真面目に痛くて痛くてたまらなかったときの状態を考えると嘘のようで、
夢のようで、ピアノ弾いている、と言うただそれだけで何と言うか、
「本当に良くなったんだなあ」としみじみ浸ってしまいますね。
今、日々感ずる痛みは、簡単に言えば「これはヤバイ?」というのではなく、ピアノを弾くときも弾かなくても、感ぜられるもので、もう半年にもなると「この痛いのは大丈夫(?)」と言うのもわかって来て・・・。つまりはそう言う痛みです。ハイ。(笑)
バッハと言うことで、鍵盤の端から端まで使うこともなく、極端な体重移動もないことも
幸いしていますね。
とにかく、今、自分がピアノ弾いている、という事実にはただ、「ホント嬉しい」、の一言に尽きます。(^^♪
思えば2月のヴァレンタインンデーの少し前に、右の足の付け根の少し上の部分にできた
粉瘤が、ここまで大変なものになるとは、想像もしなかったことでした。
薬で取りきることができず、手術が決まったときも
「少しプッツンとできたものをパッと取ってしまうだけ」と軽く考えていた私、その考えの甘さは手術した直後に一変するんですけど・・・。(^_^;)
手術日の夜の痛さは今思い出しても、泣きそうになりますね。鎮痛剤を飲んでも全く効かず、ただただひたすら朝が来るのを待って、夫の車に座れないので、左半分だけ腰を落として窓の方を向いて、その姿勢でじっと我慢して病院へ向かったこと(手術後もこの姿勢でタクシーで帰宅だったのですが)・・・。
消毒してもらうときも強烈に痛かったですし、その後一番キツい鎮痛剤を日に6回飲むように指示され、それが元で今度はホルモンバランスが崩れて、いろいろと身体にも支障を来したり・・・。
また、毎日消毒に病院に通った一週間、行きは夫に送ってもらっていたのですが帰りは地下鉄とバスにゆっくり乗り継ぎながら、の毎日でした。
それがもう、その地下鉄駅へ行くまでやホームに出るまでの道のり、いつもならすたすたと行ける道が、右足を引きづりながらいつもの二倍以上の時間がかかってしまい、バスの時間に間に合わせるのに苦労したことや、途中、トイレに行きたくて、デパートに寄ると人ごみや行列が、ものすごく辛くてふっと目に留まった「身体の不自由な方優先」と書かれたトイレを見つけ、
「ああ、今の私はここに入って使っていいんだ」とホッと胸を撫で下ろしたこともありました。
手術から抜糸までは入浴は禁止でしたが、手術の翌日からはシャワーは許可されていました。が、とにかく、もう痛みに参っていてとてもそんな気力が湧かなかった、というのがが現実でした。傷跡は毎日の消毒で大丈夫でしたし、シャンプーだけはなんとか数回したなあと言うのは覚えていますが。
シャワーどころではなく、何をするのも一から大変で、あの頃毎日、食事の支度していたんですが、いったいどうしていたんでしょう?もうもちろん、夫にSOSを出してお惣菜など買って来てもらったりもしていたと思いますし、作るにしても至極簡単に手抜きだらけだったと思いますが、その辺の記憶は実はまったくないんです。
手術より一週間で抜糸して、ああ、これでもうすぐに戻れると思ったのも大いなる間違いでした。その辺のくだりは以前にもこちらでいろいろと書きましたので、ここでは割愛しますが、とにかく私は本当に、すぐに状態が元に戻ると思っていたんですよね~。全くもって甘かったです。(^^ゞ
その後、ケロイド体質のことで新たなショックを受けたり、お医者様の言う「もう大丈夫」と言う言葉と「痛みがなくなる」と言うことがけっして同義語ではない、というのも学びながら、なんとかここまで来ました。
「もう大丈夫」と、ピアノに向かって、痛みが酷くなり、「やっぱりまだダメか・・・」とがっかりしたのも一度や二度にあらず・・・。痛みがぶり返す度に「ちゃんとびしっと休まないとダメなのだ」と思いながらもその思い切りもどうにも付けなくて、自分はいったいどうしたらいいのだろう、と悩みました。
結局、痛いのはどうしようもない事実なので、その痛みが引くまでは中途半端なことはすまいと、ピアノを完全に休むことにする訳なのですが、そのあとも毎日、実は鬱鬱とすることも多かったのです。
このブログで「治すためにちゃんと休みます。ゆっくりのんびり焦らずに」などと何度も書きましたが、あれは書くことで自分に言い聞かせていた,と言うのが正直なところでした。
だんだんと行動が楽になって行って、歩く早さも元に戻って行って、外から見ると普通そのもの、なのに、なぜ私はピアノを弾かないのだろう?お医者様に半年テープ貼っておとなしくしているように、とか痛くなるような刺激を与えないように、と言われてそれはちゃんと守らなくては、と思う一方、だけど、
もしかして,本当は私はこののんびりとした状態にただずっといたいだけなのかも???とか、
だらだらしている状態が楽なので、甘えているんではないか?とか・・・
マイナス思考の考えが浮かんでは消し、浮かんでは消し、と言う感じで・・・。
でも、痛むのもまぎれもない事実、まともに座れる状態になっていないのも現実、というのもきちんととらえると
「全部自分の考え方や受け止め方次第,自分との折り合い次第」だというのも
すごくすごく骨身に染み入る毎日でもありました・・・。
心底、私は弱い人間で、こう書いている今もって、精神状態が揺れ動いている、と言う感じなのですけれど^^;、でも手術から半年が過ぎて、確かに言えるのは、
「ちゃんと良くなって来ている」ということ。これは、もう実感と言うか体感です!
最初半年、と言われたテーピングも、あと半年延びて計一年貼り続けることになりましたが、こうして手術をし、様々なことを一度休んで、自分を見つめ直した結果(そんなに大袈裟でもありませんが^^;)
今まで見えなかったことも見えたり、わからなかったことがわかるようになったこともけっして少なくはなくて・・・。
何事も無駄はなし、全てに意味があると思っている私にとって、非常に貴重な時間でもあったと思えます。
こうしてだらだらと書いて来ましたが、きっと来年の今頃は
このように悶々としていたことも忘れているかもしれませんね。!(^^)!
以上、手術より半年経った、今の私の近況(心境?)、でした。(笑)
明日からまた、紆余曲折しながらもとにかく前に進んで行けている、
その自分と改めてちゃんと向き合って行こう、と思います。
ちゃんと、焦らず、ゆっくりと。
>だらだらしている状態が楽なので、甘えているんではないか?とか・・・
マイナス思考の考えが浮かんでは消し、浮かんでは消し、と言う感じで・・・。
・・・ええーっ?そんなこと無いデスヨ!
私からしてみれば、痛みもあったり、こんなピアノも練習できない日々が続いてお辛いでしょうに、それでもお菓子を作ったりご家庭生活に頑張っておられるお姿を垣間見て、すごいなぁ~と感心していたんですよ。
人間は痛みに弱いですから、痛いのは本能的に絶対避けるんでしょ。
その按配は本人が一番良く分かっていて、痛みが無くなりピアノが弾けるようになる時期というのも、乃琶さんにしか分からないことです。
でも焦るお気持ちも分かります。
乃琶さんが、「もう大丈夫!」と思える日が早く来ることをお祈りしています。
だから、まず目標であった半年目がやってきて、確実に快方に向かっているという話を聞いて、本当によかったなあと思いました。
乃琶さんの苦しさとは全然違うんですけど、私も今年に入ってからやる気の低空飛行とでもいいましょうか、何をやっても空しさがつきまとっていて、ちょっと難儀していました。いや、大したことじゃないのですよ。しかし、こういうローテンション時はいわば冬ごもりなのだ、嫌な気分になる自分をそのまま受け止めて自然浮上するのを待とうと思いました。そしてお盆休みが過ぎた後、なんだか気分が良くなっていることに気づきました。
自分のことばかり書いてしまいましたが、いつか色んなオモリがとれて、ぷか~っと気持ちよく浮かぶときがきますよ。わかったようなこと言ってごめんなさい。でもそんな気がしたので。ではでは。
温かいコメント、どうもありがとう。
もう、半年です。早いなあって普通に思う反面、長いなあとも。
人間って、やっぱり何か没頭することやっていないとダメなんだなあって思いますね。ピアノお休みした分、散らかり放題の家の中の片付けやお掃除や頑張ればいいものを、そう言うこと普段以上にやる気が起きなかった(情けない^^;)
結局、好きなこと,興味のあることに傾いていつも以上にお菓子作ったりとかしていました。でも、それも私にとって必要なことだったなあって言うのは素直に感じます。
マイナスの考え、ダメですよね、そう考えたら,堂々巡りだし。私は普段から、ちょっとしたことですぐ沈んだり打ちのめされたりするんですよ。(実はここ数日も凹んだ状態^^;)なんかそう言う想い癖はずっと克服したいと思いながら、できずに今に至っていますが。
あ、でも大丈夫ですよ。結局は私のことは私にしかわからない、私が決めていくしかないって言うのも今回のことで
改めてわかりました。
なんか巧く言えないけど、^^;
トミ子さん始め、周りの方々の温かい励ましも本当に力になっています。感謝しています。
これからもこんな私ですけど、よろしくお付き合いくださいね。m(__)m
そうなんですよね、いろいろな想いが交錯し、「これでいいんだ」とか「これでいいんだろうか?」と悩みつつも半年経って、ちゃんと良くなっていることを思うと、「すごいなあ!」って。(笑)
手術をしてもしなくても、人生で悩んだり鬱々とすることもありますしね、でも、手術は私に取って大きかった。いや、本当に貴重な経験でした。
>いわば冬ごもりなのだ、嫌な気分になる自分をそのまま受け止めて自然浮上するのを待とうと思いました。
かもたぬきさんも、辛い時間を過ごされていたんですね。
人間、大きなことがなくても些細なことが心に引っかかったり、ちょっとした棘が取れなくて沈んだりすることってありますよね。
この言葉、すごく沁みました。私は、ただでさえ普段から何気ないことでけっこう凹むのですが、そう言う自分が嫌でたまらなかったんですけど(実は今まさにその状態^^;)、敢えてそう言う自分を否定せず静かに治まることを待つことも、大切なことですよね。
今は長いトンネルの中ですが、トンネルの外に出る嬉しさも、長くトンネルの中にいてこそ。
このトンネルの中の様子も、せっかくなのでもう少し楽しもうと思います。
乃琶さんはすごいです。沢山のことを沢山の方向から考えて、いつも自分に問いかけてるところが。
それはとても辛い事だと思いますが、上手く言えないけれど素晴らしい事だと思います。
感性が強かったり、考える事を沢山する人は辛いことも多いですよね・・・
でもそこから芸術や文化が生まれるんですよね。
これからもその乃琶さんのイイ所を沢山味わいながら 味わい深い演奏をしてください♪
私はスランプとか落ち込む事があると、芸の肥やし!と思う事にしています。(笑)
・・・って言ったって、とっても辛いんですよね。
一緒に頑張りましょう♪
少しでも早く良くなる様にお祈りしています。
ほんとうに、痛みやそれから派生するもろもろと戦ってこられた乃琶さんの半年をお察しいたします。
痛みにまだ慣れずにあったころの強い不安が、落ち着いてくると今度は、このまま休んでいていいのだろうか、ここにずっといたいだけなのではないか、という揺れるお気持ちだけは、私もとてもよくわかります。
気力と気のせいと心の弱さ、それがどのように身体に作用するかわからなくなることがわたしにも多々あります。特に、座ったり立ったりという、根本の場所が傷ついた場合は、なにをするときも痛みを忘れることはありませんから、なおさらだったことでしょう。
乃琶さんは、ご自分でご謙遜なさるよりずっと、心がしっかりと前を向いて毅然と立っていらっしゃる方だし、毎日の生活を丁寧になさる方だから、こうなるとあとは長丁場というか、そんななかでも心を安楽椅子にもたれたようなお気持ちで、静養なさってほしいなと祈るような気持ちでいっぱいです。
わたしは幸運にもとりあえずいまのところは滞りなく生きておりますが、もしもなにか起こったときに、乃琶さんのお言葉を思い出してがんばろう、なんて思いました。
ファイトです!
芸の肥やし、いいですね。私もそう思うようにします。あんまり芸がないけど。(笑)
イヤなところと思っているところも実はいいところだったりするんですよね、そう、やっぱり自分の受け止め方次第。だから、マイナスの方向に考えないようにしなくては・・・。^^;
傷ですが、一昨日ぐらいから痒かったりします。やっぱり治って来ているんだなあと思いますね。身体ってすごいなあ。ハルちゃんよりは新陳代謝悪いですが^^;、治って来ていることを素直に喜んで、頑張ります。
ellieさんも痛みでいろいろ苦労していらっしゃるのに、いろいろと力強い励ましをしてくださり、本当にありがたく思います。
けっしてズドンと落ち込んだりした訳ではないんですが、なんか中途半端だなあとか、なんかもやもやとすることがあって・・・。いつもよりは考える時間がいっぱいあったと言うのもありますね・・・。
こういうこともきっといい経験だと思います。これからの人生にとても良い時間が持てたのではないかと思っています。
ファイト!はい、頑張ります。(^^)
ピアノが半年弾けないことはどんなに辛いだろうと、想像するだけで胸が苦しい気がします。以前左手が1ヵ月半使えなかっただけでも、(却って右手だけの練習が可能なせいか)凄くストレスたまりました。やっとお許しを得て弾けるようになって、私も心から嬉しい気持ちです!
私も、自分自身のことではないけど、息子の強化療法を終えて一安心・・・とはいえ、あと1年半は毎日のお薬、2週間毎の通院と検査、1ヶ月毎の免疫抗体の点滴、とまだまだ気を抜けません。一番大変なところはもう過ぎたので、これからはゆっくりと経過を見守りながら、毎日を大事に楽しみたいと思います。
ところで、先日バッハを始めるって書いてあったね。久しぶりのバッハはいかがですか? バッハは「究極の癒し」ですよ、私には♪
半年、辛いと言うか、いろいろ私も揺れたのですが^^;
楽しんでいる面もたくさんありました。
だから、けっして「苦しい」一辺倒ではなかったので、
そこは誤解なきようにお願いしますね。
ただ、いつも当たり前と思っていたことが、そうではないんだなあと、ぽっかりと穴があいた感覚と言うか、
そう言うのに慣れるのには時間がかかりましたね。
こんなこと、もっと大変な病気やけがなどで苦しんでいる人に比べたら、なんでもないことなのにね。
まーくんの治療も、ずっと続くんですね。
これはもう、親になった人なら誰でも、我が子のこととして考えると胸が張り裂けそうになると思います。
一番の山は過ぎたのね、それには私もホッとしました。まーくん、少しでも早い回復をお祈りいたします。
バッハは弾いていて心休まるね。いろいろあるけど、今日本当に弾いていて癒されるのを感じました。