アジサイ |
梅雨 |
たなばた |
折鶴 |
妖精 | |
竹飾り |
||
ケロちゃん |
願いごと | |
flower |
今日は、チョイト大変でしたぁ。
まだまだ勉強の余地あり・・・・・・・!
季節の風物詩のつもりです!
最近、"妖精"が気になりだしました!
アジサイ |
梅雨 |
たなばた |
折鶴 |
妖精 | |
竹飾り |
||
ケロちゃん |
願いごと | |
flower |
今日は、チョイト大変でしたぁ。
まだまだ勉強の余地あり・・・・・・・!
季節の風物詩のつもりです!
最近、"妖精"が気になりだしました!
この眠気は、何故、何処からやってくるのでしょう???
私だけではありませ~ん。
乗車中に、車内をそ~っと窺ってごらんなさい!!!
7人がけの座席の6人は、あっちへ揺れ、こっちへ揺れ、そして、車内で船(?)を漕ぐ人・・・・いずれにしても、耐えられない睡魔に襲われて、爆睡中なんですね~ なんて観察をしている私は、起きているのか?いいえ、揺ら揺らと居眠りをしています。
が、何と言っても、車内ですから、チラチラと下車駅を気にかけてはいるんです。
今日は、物凄い光景を見ましたよ~・・・・私が眠りから醒めた頃、向かいの女性が下車、すると入れ替わりに、若い女性が座るや否や、コックリコックリと、その揺れ方が尋常ではないんです!!
隣の男性が、何度もぶつかられて、 目を覚ますんです。
ひょっとして、もしかして、私もあんな様子で寝ているのかしら? と思ったら、帰りは、一睡も出来ませんでした。
気温の上昇、季節の変わり目に、人は慣れるのに時間がかかると言います。皆さん、それで、お疲れなのでしょうか???
そして、この私は、皆さんと同じ(?)疲れ・・・・いや、最近、ストレスが蓄積する事が、多々ありました!!!
ある女性歌手の方が言っていました。「私って身体も心も丈夫なんです!」
丈夫な身体は決まり文句だけれども、"丈夫な心"って・・・・なぁるほど、と思いました。
心が風邪を引く、心が泣く、心が・・・・という表現はありますが、"丈夫な心"って名言だと思いませんか???
健全な精神と類似しているのでしょう。
私の心も、もうチョイト丈夫になってくれると良いのですが・・・・・修行が足りないかなぁ。
それとも、「ビタミン愛」が不足しているのでしょうかね~
こんなに、世界中の人々が"祈り"を捧げているのに、平和の求心力よりも遠心力の方が強いのだろうか???
大きなことは望まないから、自分の周りの平和を望んでいるのに・・・・空振り、空回りになってしまう。
あれが悪い、これが悪い、あの人が、この人が・・・・・言っているのは誰だろう?
何が悪くて、誰が悪くて、、、、、、言えない時はどうするのだろう???
こんな経験、思いをしてごらん。。。
何処にも訴えることの出来ない苦しみ、哀しみを涙に、雨に、海に流して、やっとこらえているのに。。。。。
小さな平和を大事にする心をそだてようよ~
"川の流れのように"という歌の歌詞を読んで、感想を書いて下さい。・・・・と数年前、ある講座の宿題に出されたとき以来、この歌詞が頭のいや、心の引き出しに入っています。
宿題は、提出後、無記名で、総て発表されました。
文面は、私も記憶していないが、自分自身の哀しい経験を重ねて、心の雪解けが流れとなり川に流れていく時、どんなに険しくても、流れに逆らわず、委ねて生きたい!!!というような内容を書いたと思うのですが。
よく、人は、自分の気持ちに沿った歌(音楽)を好んで聴くといいます。
私も、当時、必死にこの歌を覚え、今でも時々、聴いています。
自分の周りのひとが、聴いている音楽で、そのひとの気持ちをそっと汲み取ることも出来るのではないでしょうか???
楽しい時は、一緒に楽しみ、哀しいときは、そっとしておく・・・こんな配慮も出来たら、現代のさまざまな辛い事件も、もう少し、小さく出来るのではと祈らずにはいられません。
こんな思いを持つのは、私だけでしょうか???
紫陽花の学名"ハイドランジア"は「水がめ」という意味水を好む花なので、少しでも水が揚がらないと枯れてしまいます。
こまめに、水切りをするのは、知っていましたが、"ミョウバン"を切り口にすりこむのは、知りませんでした。
そして、飾るのには、1輪の花が重いので、ワイヤーを添えてやれば・・・というヒントも知りました。
桔梗は塩、薔薇は焼く、アルコールにつけるのは何でしたっけ???
生花で、花の扱いを教えて頂いたのに・・・・・時の流れと共に、何処に流れてしまったんでしょうか!!!
先日の父の日を飾った、薔薇の花も、丁寧な水切りのお陰で、見事に全部開いたのですが・・・花が重くて、花首のところから、痛んでしまいました。
今は、短めにした3輪が元気に咲いています
今度は、紫陽花のように、ワイヤーを使ってみましょう???
「NEO-JAPANISM 特別展覧会」に出展された方の、折鶴をモチーフにしたステンドグラスの作品です!!!
この作品、高さ84cm、重さ24㎏、円筒形の支柱の周りにミラーを溶接し、その上にガラスの鶴を貼り付けてあり、
ミラー効果で角度によって鶴の数が多く見え、虹色のグラデーションに輝くのだそうです!!!
「千羽鶴」と言うと、日本では、病気回復のイメージがあるが、欧米では、祈りや平和の意味があるという。
ステンドグラスのイメージに対する思いが変わりました。
ステンドグラスと折鶴が結びつくなんて・・・・・想像もしませんでした。
千羽鶴も皆で折ったことがありましたが・・・・・・いつか、1000枚の折り紙に“祈り”を込めてチャレンジしたいと思います。
“群鶴”もやってみたいんですが、出来るでしょうか???
イロイロな千羽鶴があるんですね。 “七夕”も近いこの頃ですが、
鶴に込めた思いは、どんな希いでしょう。
一般的な“夏至”の意味は、知っていましたが、百科事典を覗いて見たら・・・・・・・・・こ~んなにイロイロな事がらが出ていました。
特に、後半のことは、初めて知りました!!!
まだまだ、知識(勉強)不足です。
太陽が夏至点を通過する時。毎年6月21日ころ。太陽は最も北(北回帰線上)にかたより、北(南)半球では一年中で昼(夜)が最も長くなる。冬至の対。中国や日本の太陰太陽暦では二十四節気の一つ。夏至を含む月を5月とした。
ヨーロッパではこの日夏至の火をたき、燃える輪を転がして衰え始める太陽の力を引き戻そうとし、綱引きや模擬戦をして夏と冬、善と悪の闘争を象徴する。古代ローマでは平民や奴隷の歓楽の祭日であり、また魔女や妖精などの超自然的存在が地上に姿を現し、水や草花が異常な呪力をもつ日で、水浴や舟遊びなども行われた。キリスト教会はこの民族的な水の儀礼を洗礼者ヨハネに結びつけ、夏至を聖ヨハネ祭(6月24日)、前夜祭(23日)として祝う。
洗礼名、ヨハネの方に出会ったら、「夏至」を思い出すかもしれません。
言葉の通り、今日は、ますように。
観劇に行って来ました!!!
久しぶりの帝劇で、2時間余り・・・・良かったです!!!
ドン・キホーテの話ですが、結構、人生訓になるような、台詞が出てきましたよ~
「人生自体が狂気じみているとしたら、一体本当の狂気とは何だ本当の狂気とは。
夢に溺れて現実を見ないのも狂気かも知れぬ。現実のみを追って夢を持たぬのも狂気だ。
だが一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことだ。」
10000回以上も上演され、スペインからも表彰された名公演、名作です。
松本幸四郎、松たか子、親子の共演って、どんな感じでしょう???
父の日(ちちのひ)は、父に感謝を表す日。
1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドットが、男女同権の立場から「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。
母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。
紫陽花は、古くは「あづさヰ(あぢさヰ)」でした。
「あづ(あぢ)」は集まるさまを意味し、特に小さいものが集まることを表す語。
「さヰ」は「真藍(さあい)」の約、もしくは接頭語の「さ」と「藍(あい)」の約で、青い小花が集まってさくことから、この名が付けられたとされる。
季節の花のとして大人気の“紫陽花”の語源を発見しました!!!
そして、千葉県茂原市の 「服部農園」 では一万株以上の紫陽花があるというので・・・・・見事でしょうね~
幸福の「幸」と辛酸の「辛」は横棒1本の違いでしかない。白川静さんの「常用字解」(平凡社)によれば、「幸」は刑罰の道具、手枷(てかせ)をかたどった文字という◆重罰を免れ、手枷の刑で済むのが幸せの原義であるらしい。「辛」は入れ墨の刑罰に用いる針の形だそうで、「幸」と「辛」が字解上も紙一重とは一読、忘れがたい解釈である◆人の運命をつかさどる何者かが横棒1本を足しては引き、引いては足し、残酷な遊びをしているように思われてならない。
新聞のコラムの記事だが・・・・・・
私にもこういう記憶があった!
“+(プラス)”と“ー(マイナス)”も縦棒1本の差なんです!!!
“+(プラス)”の符号を省略して用いたとしても横棒1本の違いです!!!
「棒1本の差が結果を正反対にしてしまうんだ!」
と、何度も何度も、生徒たちに向かって叫んで指導していた自分に出会ったように懐かしくなった。
解答だけではなく、点数だけではなく、総てに通じるんだ!!!
だから、この棒1本の差に気をつけよう・・・・と言った声は何処まで響いて、何処まで届いていたんだろう???
同じように、“0”の重要さ、原点、基準点、始点がないと、何も始まらない、意味の無いものになってしまうんだよ~ と問いかけていた時もあった。
学問を学んでいる最中は、勉強なんて・・・勉強なんか・・・と思いがちだが、人間(自分)を育てる基盤にならないものは一つもないのに!!!
これほどまでに、科学も文化も進化した時代なのに、「その時が来なければ気付かない」と言う事は、いつの世も人は同じようにしか生きられないのだろうか???