“写経”・・・昨今、ブームになっているようだ。
私も、昨年末から、K市のH寺を訪ねて、写経を行った。
お寺の一室を写経会場にあてて、入り口には手水の場所がある、・・・お茶事と同じ気持ちになった。
中には、数名の方が、黙々と、筆を運んでいる。
私も、その雰囲気にならい、仏様をおまいりしてから机に向かい、ひたすら、硯の墨を磨る。
高校の書道の時間以後、「書」から遠ざかっていたが、その空間が埋められていくような気持ちになっていくのは、この森閑とした部屋の空気が齎すものだろうか?
初めて写経用紙を眼にした瞬間、漢字ばかりの経文が・・・・一読しても読めない部分がある。
やはり、僧侶の修行と言うのは、それなりに、厳しさが要求されるのは、この文面からも想像できる。
写経用紙というのは、最近は、裏の文字が透けていて、ナゾレバ良いようになっているが、字を知らないと、それすら、覚束ない。
学生時代の書道の時間に学んだ、連綿や万葉仮名を思い出す。それぞれ、意味のあるものだ。
一通り、無心になって一枚の用紙を書き終えるのに、1時間半は、たっぷりかかる!
一体、何文字を書いたのだろう、同じ文は何度かあったが、文字数の範囲までは考えが及ばなかった。
以後、三度、通った! 聞くところによると、「お百度参り」と同じで、百回を達成することに意味があるそうな・・・・。
三回分の私のものも、「願意」と共に、経蔵に納めてあるかと思うと、胸に迫るものがある。
みな、人々は、この一行の「願意」に全身全霊を込めて、写経を行うのだろう!
私も、まだまだ、この願意に心を託して、通う気持ちはある!!!
出来ないときのために、写経用紙を求めてあるが、家では、あの貴重な2時間が、なかなか手に入らない。残念!
が、心に、思いに、胸に、考えのあるうちに、是非、回を重ねたいと希んでいる!!!
余計なことだが・・・先日、例の、100円ショップに写経用紙が売られていた