今日はデッサンの日で観葉植物を描きました。
お教室に入ると、部屋の3コーナーに、
小さくて寂しい感じのセローム、棒で支えられた立派なポトス、
名前のわからない大きくて鬱蒼とした鉢が置かれていました。
私は迷わず、名前のわからない大きくて鬱蒼とした鉢を描くことに決めました。
この鉢を選んだ人が1番多かったです。
枝葉は大きく茂っています。
指で額縁をつくって、どの部分を描くか決めました。
私には迷いがありませんでした。
「この部分を描きたい」「うっそうとした感じを表現したい」
早速、さっさかさっさか描き始めました。
ところが、お隣の「以前、人物デッサンで、目から突然描き始めた方」は、
5分、10分、15分と対象をただ眺めています。
そして、やっと描き始めたのは、
ひょろひょろとした枝1本、観葉植物の最先端の部分でした。
葉っぱの重なりなど全くなく、実にシンプルな部分です。
見事に私とは違った部分に惹かれているのです。
本当に人それぞれ、だからおもしろいのだなあ..と改めて思いました。
私のデッサンは本当につたないです。でも、先生は
「いきいきとして、広がり、奥行きが感じられる。よく描けている」って。
前の葉っぱを濃く、奥の葉っぱを薄い線で描くと自然に奥行きが出ます。
下手ですが、私はこう描きたいという気持ちが現れていたと思います。
ふっと思いました。突然ですが、
私はパッチワークに向いていないのでは..と。
何故なら、私は絵を描いている時には迷いがありません。
文章を書いている時も(ブログでも、お手紙でも)
これを書きたい、この言葉を使いたいと、
私なりの意志があって、迷いをもっていません。
でも、パッチワークではいつも迷っているのです。
いつも最終的には作品にまとめていますが、
常にこの色あわせで良いのだろうかと自信が持てません。
パッチワークを嫌いとも思いませんし、細々と楽しく続けてきました。
でも、自信がもてないし、迷いから抜け切れないのです。
いつか迷いがなくなるものなのか、迷って当然なのか...?
私にとって絵と文章は意外に似ていますが(?)、
パッチワークは別のことなのです。
何故だろう? この心の問題、もっと見つめてみたいです。
今日のランチもパスタでした!