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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

1955年まで、茂尻矢の風景 木村浩章談「伝えたいこと 茂尻矢の記憶」211115

2021年11月16日 10時26分06秒 | 地域
 1955年まで、茂尻矢の風景 木村浩章談「伝えたいこと 茂尻矢の記憶」211115

 1955年までに、城山・茂尻矢の景観は大きく変貌。今は確認をできぬ、
 1)教育大体育館の一に防火用水
 2)サルシナイ川は小林布団店裏手で東方に向かい、
 3)地区共同の井戸が掘られていた。
 4)太平洋炭礦(株)社長を務められた藤森邸に庭園池
 5)サルシナイ川は現在のセブンエレブン城山付近で北へ折れ
 6)その流れが標茶街道を横切るところに橋があった。
 7)さらに<ハイム城山地点>で釧路川に合流。
 8)釧路川は幅が広く前川水産の位置も<水際>で。

 モシリヤ&サルシナイは、その名にはじぬ<水郷の地>。
 緑ケ岡学園側と鶴ヶ岱公園の<ひょうたん池水源>の二つの河川が合流。基層部に<風光明媚な地>の構成要素。

 時代の推移は<標茶への街道><職人のマチ><釧路高等女学校が開校><中心街への通勤者居住地>で、展開。
表層部に「文教風致」の景観を深化させてきた。

 釧路市大川町7番15号。笑顔のニュータウンで開催の「郷土を学ぶ 地域学講座」。
 
 担当は木村浩章さん。
 主唱点は、「目で確かめた城山、祖母から伝承の茂尻矢」。
 そこを「伝えたいこと 茂尻矢の記憶」と、講演。11月15日午後。
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