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「はずせないキーワード、あとは<語り部の思い>」 質深く量で圧する知里幸恵の口述記録

2024年07月07日 09時21分06秒 | 季節
 「はずせないキーワード、あとは<語り部の思い>」 質深く量で圧する知里幸恵の口述記録
 24年7月1日、市内を中心に釧路国、根室国に配布されている紙面の月曜文化欄には次の一文を載せた。

 「被災では碑文・記録を残すことも。他面、アイヌ民族は重要事項を口承 こうしょう で伝えて来た。供え物を施し祈り重ね、伝承を途切れさせず。碑文内容は碑設置世代で忘れられるも、アイヌ民族の口承伝承は百年単位で継承済み。素直に注目せねば」。
(「橋南春採湖プロムナード33ー40  市道ある丘越え 春採湖の津波ー再来の備え 大木司稲荷大神」 佐藤宥紹)。

 読んでくださった方から、次のメッセージをいただいた。
 「口承えで、伝え続けるのは、大変そうです」。
 そこに、実は「知恵」がある。根室国の出身で本市に在住された北道邦彦氏は、知里幸恵著『アイヌの叙事詩』の解説で示す。

 神謡は「特殊で優れた口承文芸」、「叙事詩は文字を使わないからこそできる芸術」(152p)と書かれている。
 そのうえで神謡の伝承者を、「そっくり暗誦しているということではないのです」。さらに応じて。

 「いくつかの継承するべきキーワードとストーリーの概要を受け継ぎ、時代と場面によって『自在に語ることのできる能力』『文字に頼る民族には考えられない特殊で優れた口承文芸』、と。
(北道邦彦著「4.まとめと検証」■ 『アイヌの叙事詩』から』 北海道出版企画センター 北方新書015 2012年)。

 釧路国には二基の津波災害モニュメントが残された。
 (A)「十勝沖地震・チリ沖地震津波災害復興記念碑(母子像) ; 存在住所. 浜中町暮帰別東1丁目233番」
(B)「マサルカの地からキラコタンへ避難 津波高度10メートル標識」(JR北海道白糠駅前」
 (「往時の木柱、移転後の新津波高度標識 JR北海道・白糠駅220330」
https://blog.goo.ne.jp/pacific0035/e/d020c5195d7b433572cc366bb3c1a4d7)


 (A)は1960年5月と1952年3月の津波被災碑。(B)はアイヌ民族津波伝説を元に1970年には木柱であったたが、駅前整備とあわせ写真に変更。
 因みに「アイヌ民族津波伝説」は5件、津波被災地名は2件が確認されている。いずれも江戸時代に発生の津波伝承を1955年時点までは継承していたと、言うこと。
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