pacific0035'写真BBS

文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

勝手に<ジオパーク> 地獄めぐり、別府温泉

2017年06月30日 06時44分41秒 | 旅紀行


勝手に<ジオパーク> 地獄めぐり、別府温泉
 別府は今回で二泊目.一泊目は2000年の年に遡るはず.
 前回は連れ合いさんとは別々.宿泊日の自分は日田市を歩き、連れ合いは観光営業車で訪問しているはず.今回は娘夫妻のレンタカー訪問.

 <地獄めぐり>.
 泥火山のサマザマを展観するコースは、確かに<地獄めぐり>.
 しかし、しかし.見方を今風にするなら、そこは地学知見のサマザマが列品されている.

 なかにワニの飼育施設もあって、<温泉とワニ>の結合は、<地熱利用>の活かし方かもとおもいつつ、不思議な気持ちもないではない、が.

 間歇泉.
 このツアー.結びは<間歇泉>.サマザマを眺めていて、おもいついた.昔、<地獄めぐり>=現今、<ジオパーク>.
 <血池地獄>で、本を読みながらのネーチャンから購入の膏薬.これまた連れ合いは二度目.
 11月に骨折の右腕.この膏薬で快癒を願うも.あくて、「勝手にジオパーク 別府温泉版」.


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西国街道、駕篭が渡るや 我羅我羅橋

2017年06月25日 09時07分53秒 | 旅紀行


西国街道、駕篭が渡るや 我羅我羅橋
 本橋は、広島市東区愛宕町1番8号が所在地となるか.
 
 橋は<古川>なる川に設けられたという<伝承>をもつと、記載.
 <古川>は<太田川>の支流.大田川の川べりに<明星院>なる真言宗の名刹があるも、その前を流れて<矢賀村>というところに流れつくと、言うことなのだ.

 「我羅我羅橋」とされ、「伽羅伽羅橋」の用字も.
 「小竹を束にして作った」からとも「橋を渡るときガラガラ音がした」との説明が掲示板に.

 西国街道は江戸初期に整備された、と.戦国統一後の<西国経営>に整備の意図がこめられて、いたものか.
 享保2年、橋のたもとに茶所が立った、と.参勤交代の途中、大名配下の者が立ち寄り「賑わった」と.


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爆心地から「半里」 法明寺(旧尾長別院)

2017年06月24日 09時33分37秒 | 旅紀行


爆心地から「半里」 法明寺(旧尾長別院)
 京と太宰府をむすぶ<西国街道>.旧街道の麓に西本願寺の末寺が一宇.

 <法明寺>の掲示があるも、御堂の前には掲示の表示が.
 「爆心地から東北に3350メートルも離れていたのに」
 「強烈な爆風のために屋根瓦が吹き飛び」
 「屋根の木組がむき出しになるほどの大きな被害」

 <尾長>の町内には燃えさかる市内から、
 「大勢の人々が避難してきて」「各地で負傷者の手当が行われ」、と.

 写真は1945年10月20に、「菊地俊吉撮影」とある.

 広島市東区.下図の<S>が「法明寺>、<G>が<爆心地>.この間、徒歩で3.84キロ.
 <二葉の里歴史の散歩道>には、世界初の<原爆被災>の記憶を風化させまい、緻密な努力.


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170530 才蔵峠&才蔵寺

2017年06月17日 06時19分48秒 | 旅紀行

170530 才蔵峠&才蔵寺
西国街道.「旧矢賀村」から広島の「三本松」へ至る直前で街道は、峠にさしかかる.
 8~9メートル内外の標高差が、約500メートル先では35メートルの地点まで登ることになる.
 そこに「才蔵=さいぞう峠」の、名が.

 広島市東区.「二葉歴史の散歩道」.
 現在では新幹線自他側の地点をむすぶところに、<西国街道>が京都から太宰府まで伸びていたと、いうこと.
 ここに、<我羅我羅橋>、<三本松>、<才蔵寺>、<才蔵峠>の、旧跡が並ぶ.

 170430の夕方.
 現地を訪問.時に地形図をもたず.才蔵寺にむかい坂を登らなかったところから、この峠にはたどりつけなかった.直進してしまい、道を外れたと言うこと.いやはや.

 帰宅して地形図を読むと、峠の峠たる由縁.かつ、寺が設けられ外来者の通過が増えて、付された名称が「才蔵峠」ということなの、かも.
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