もう20年以上のお付合いです。
「オージーケーカブト」さんが「オージーケー販売株式会社」だった頃からです。
当時私は東大阪市内で家業のプラスチック製品の成型業を継いでいました。
家電や自動車部品ばかりの取引メインで、電話掛かって来たら値下げ値下げで
いい加減うんざりしていたのですよ、製造業の方わかるでしょ??
ターニングポイントになるかと目と鼻の先にあったOGKさんに営業に行ったのです。
今まではバイク用ヘルメットも汎用品程度のラインナップだったのですが
丁度これからスポーツ用フルフェイスを開発して行く時期と重なり
私としては非常にテンションの上がる取引開始になったのです。
今回は文章が長いので最後までよろしくお付き合いください。
ここがKabuto本社だ↓
幸いレース対応フルフェイスの初期型から開発に参加出来て、
開発部とも深いつながりも出来、モデルチェンジごとに採用してもらっていました。
ヘルメット上部に取り付ける吸排気用ディフューザーを導入するようになって
契約ライダーも走るようになり、鈴鹿8耐用として特別な試作パーツを提供したり、
時にはテストの立ちあいで鈴鹿へ同行したり、今となっては懐かしい話です。
この頃開発部部長(現常務)に大変かわいがっていただいた事もあって
レースを退いてからもお世話して下さってるのだと感謝しています。
いまだに本社へ遊びに行ったら声を掛けて下さいます。ありがたいです。
当時開発部門とかで仲良くさせてもらってた若手社員達も
いつの間にか中間管理職となって、エライさんになってます。
ただ、このエライさんになってる連中、みなメタボになっとる!
ええ給料もらってるんやろうなぁ・・・
因みに現状の一般サポートは
「全日本選手権フル参戦の選手以上がサポート対象」
あなたがもしこのブログを読んで「オレもサポートを!」と折衝しても
無駄ですのでご理解下さい。
・・・で・・・
ピンポ~ン
社内は撮影禁止でござる。
学生時代はSS400、SP400、TT-F3等ロードレースやってましたが
卒業後は、ちっとも成績出ないのに金ばかり掛かるロードレースはやめました。
しばらく何もしない時期を経て、20歳代半ば過ぎてオフロード競技へシフトして行ったのです。
オンロードのレーサーレプリカブームが落着いた頃、
今度はオフロードのレプリカブーム?が到来して各地でエンデューロ真っ盛りの時代へ。
91年にエンデューロで参戦していたクラスのタイトル獲ったのです。27歳でした。
遅咲きなのに勢いで調子に乗り、モトクロスを125ccクラスでデビュー。
各地の草レースでそれなりに勝てるようになりましたが、怪我も多かった・・・
(さすがに近畿戦までは出場に至らなかったのは、少し悔いが残ります)
空いた日には遊びで、友人のペアライダーとしてエンデューロ参戦。
これがまったメインライダーも速い人に恵まれ、各地で入賞しちゃって・・・
モータースポーツ活動は30歳代半ばでモトクロス&エンデューロで一区切りつけ
その後は大型ネイキッド買ってツーリングやサーキットランを楽しむ程度でした。
タイトル争いに疲れたとか、後輩に道を譲るのとか(本当は年齢・・)
OGKさんとの取引も順調で、ミニバイクカテゴリーでサポート選手登録して下さり
現物サポートを受け出したのがこの頃です。
自社部品テストも兼ねて、自分でも被れ的な内容です。
モータースポーツ一区切りしたと言っても、実は開発部の若手社員が参戦する
ミニバイクレースにチームOGK組で参加させてもらってたんですけど・・
その後ご縁とは恐ろしいもので、上の写真のXJR1200をドレスアップする為に
友人の紹介で訪れたショップで、既に2名のメンバーがホンダドリームクラス(ノーマルクラス)に出場し
オリジナルパーツの開発を兼ねてるのを見て、ビビッと来ちゃいました。
最初は遊びで走るつもりで車両を購入したのですが、2戦目あたりで走り方の感触がわかって来て、
何故かHRCフルキット車両をやっつけてしまい、ショップのサポートが付いたので、
調子に乗ってまた連戦する事になってしまったのです。
(ココだけの話、チームのチューナーの腕が良かったのでバイクが速かっただけなんすけど・・)
ヘタレの私の場合レース活動全般で、全てに運が良かったんでしょうね。
回りでサポートしてくれる方々に本当に恵まれていたと
今でも感謝の気持ちは忘れません。
ドリーム時代には幸い連勝していたので、色んな雑誌に掲載してもらいました。
OGKさんに少しだけ恩返し出来たかなと勝手に思ってますが・・
がんばって一生懸命、真面目に走っていた頃のおやじんです。
表彰台かリタイアか(リタイアの内容はバイク大破・・w)な極端な成績で
おまえはシュワンツか!と言われてた・・・遠い目
モトクロス経験してから一気に乗り方が変わってしまいました。
1999年、鈴鹿では2位以下を完全に引き離し
おやじん人生最初で最後の
「ぶっちぎり」
でフィニッシュした事も付け加えておこ~♪
話は逸れますが、ドリームクラスでショップその他の御好意、応援もさることながら、
下の写真#55(私)の後ろで立っている丸刈り頭のおっさん(失礼)
「当時は鬼監督!」が神経質な私を、つかず離れずでずっと見てくれて、セッティングの調整等
納得いくまでいつまでも付き合ってくれたから、ココまで活躍できたのだと思ってます。
めっちゃ怒られましたけど、毎周回ピットサイン出してくれる姿に安心したものです。
その後ショップのドタバタ、私生活の都合でフル参戦のレース活動は中止。
数年おとなしくしていて、モタード車で再復帰しました。
しかし親切にもまた「全日本スーパーモタードMoto1参戦者」
扱いでサポートを継続して下さったんです。
今となっては街乗りライダーですから、参戦者と同じ扱いは不可能です。
(現在はよりサポート条件が厳しくなってるので、おやじん例外でっせとは担当者談)
なので特別に他の方法で面倒を見て下さっているので、本当に感謝しなきゃ。
今回Kabuto本社を訪問したのは、下の物を受け取りに行ったのね。
ヘルメットバッグ、RT-33R、その他小物です。
RT-33Rは新製品のフルカーボン仕様で、入院前に支給のお願いしてたんですよ。
ただし限定品のため支給は難しいと聞いていましたが、OK出たで!と入院中にお知らせが。
実は事故の前にサブで使ってたFF5が耐用年数になったので
入れ替え用にと考えていた結果、事故でホントのトドメをさしてしまった・・
最後に、悪い頭ですけど守ってくれてありがとう・・・
ひとまず被ってみて、内装が合わなければフィッティングしてくれるそうなので
本日街乗りしてみましたが、フィッティングの作業は必要なしと判断できました。
さて、残り数社お世話になってる企業さんのシール貼るのだー。
キャーーーレースやってる人みたいーーーー(バカ)
ご覧の通りですが、まあその軽い事軽い事!!!
うわぁ、手元にあるスポーツ仕様のヘルメット
全部カーボン仕様になってるがな・・・
ハイ、私ゃミーハーなのでこんなん大好きでございます。
今度はRT-33Rの寿命まで
安全に走りきらなきゃ・・
「オージーケーカブト」さんが「オージーケー販売株式会社」だった頃からです。
当時私は東大阪市内で家業のプラスチック製品の成型業を継いでいました。
家電や自動車部品ばかりの取引メインで、電話掛かって来たら値下げ値下げで
いい加減うんざりしていたのですよ、製造業の方わかるでしょ??
ターニングポイントになるかと目と鼻の先にあったOGKさんに営業に行ったのです。
今まではバイク用ヘルメットも汎用品程度のラインナップだったのですが
丁度これからスポーツ用フルフェイスを開発して行く時期と重なり
私としては非常にテンションの上がる取引開始になったのです。
今回は文章が長いので最後までよろしくお付き合いください。
ここがKabuto本社だ↓
幸いレース対応フルフェイスの初期型から開発に参加出来て、
開発部とも深いつながりも出来、モデルチェンジごとに採用してもらっていました。
ヘルメット上部に取り付ける吸排気用ディフューザーを導入するようになって
契約ライダーも走るようになり、鈴鹿8耐用として特別な試作パーツを提供したり、
時にはテストの立ちあいで鈴鹿へ同行したり、今となっては懐かしい話です。
この頃開発部部長(現常務)に大変かわいがっていただいた事もあって
レースを退いてからもお世話して下さってるのだと感謝しています。
いまだに本社へ遊びに行ったら声を掛けて下さいます。ありがたいです。
当時開発部門とかで仲良くさせてもらってた若手社員達も
いつの間にか中間管理職となって、エライさんになってます。
ただ、このエライさんになってる連中、みなメタボになっとる!
ええ給料もらってるんやろうなぁ・・・
因みに現状の一般サポートは
「全日本選手権フル参戦の選手以上がサポート対象」
あなたがもしこのブログを読んで「オレもサポートを!」と折衝しても
無駄ですのでご理解下さい。
・・・で・・・
ピンポ~ン
社内は撮影禁止でござる。
学生時代はSS400、SP400、TT-F3等ロードレースやってましたが
卒業後は、ちっとも成績出ないのに金ばかり掛かるロードレースはやめました。
しばらく何もしない時期を経て、20歳代半ば過ぎてオフロード競技へシフトして行ったのです。
オンロードのレーサーレプリカブームが落着いた頃、
今度はオフロードのレプリカブーム?が到来して各地でエンデューロ真っ盛りの時代へ。
91年にエンデューロで参戦していたクラスのタイトル獲ったのです。27歳でした。
遅咲きなのに勢いで調子に乗り、モトクロスを125ccクラスでデビュー。
各地の草レースでそれなりに勝てるようになりましたが、怪我も多かった・・・
(さすがに近畿戦までは出場に至らなかったのは、少し悔いが残ります)
空いた日には遊びで、友人のペアライダーとしてエンデューロ参戦。
これがまったメインライダーも速い人に恵まれ、各地で入賞しちゃって・・・
モータースポーツ活動は30歳代半ばでモトクロス&エンデューロで一区切りつけ
その後は大型ネイキッド買ってツーリングやサーキットランを楽しむ程度でした。
タイトル争いに疲れたとか、後輩に道を譲るのとか(本当は年齢・・)
OGKさんとの取引も順調で、ミニバイクカテゴリーでサポート選手登録して下さり
現物サポートを受け出したのがこの頃です。
自社部品テストも兼ねて、自分でも被れ的な内容です。
モータースポーツ一区切りしたと言っても、実は開発部の若手社員が参戦する
ミニバイクレースにチームOGK組で参加させてもらってたんですけど・・
その後ご縁とは恐ろしいもので、上の写真のXJR1200をドレスアップする為に
友人の紹介で訪れたショップで、既に2名のメンバーがホンダドリームクラス(ノーマルクラス)に出場し
オリジナルパーツの開発を兼ねてるのを見て、ビビッと来ちゃいました。
最初は遊びで走るつもりで車両を購入したのですが、2戦目あたりで走り方の感触がわかって来て、
何故かHRCフルキット車両をやっつけてしまい、ショップのサポートが付いたので、
調子に乗ってまた連戦する事になってしまったのです。
(ココだけの話、チームのチューナーの腕が良かったのでバイクが速かっただけなんすけど・・)
ヘタレの私の場合レース活動全般で、全てに運が良かったんでしょうね。
回りでサポートしてくれる方々に本当に恵まれていたと
今でも感謝の気持ちは忘れません。
ドリーム時代には幸い連勝していたので、色んな雑誌に掲載してもらいました。
OGKさんに少しだけ恩返し出来たかなと勝手に思ってますが・・
がんばって一生懸命、真面目に走っていた頃のおやじんです。
表彰台かリタイアか(リタイアの内容はバイク大破・・w)な極端な成績で
おまえはシュワンツか!と言われてた・・・遠い目
モトクロス経験してから一気に乗り方が変わってしまいました。
1999年、鈴鹿では2位以下を完全に引き離し
おやじん人生最初で最後の
「ぶっちぎり」
でフィニッシュした事も付け加えておこ~♪
話は逸れますが、ドリームクラスでショップその他の御好意、応援もさることながら、
下の写真#55(私)の後ろで立っている丸刈り頭のおっさん(失礼)
「当時は鬼監督!」が神経質な私を、つかず離れずでずっと見てくれて、セッティングの調整等
納得いくまでいつまでも付き合ってくれたから、ココまで活躍できたのだと思ってます。
めっちゃ怒られましたけど、毎周回ピットサイン出してくれる姿に安心したものです。
その後ショップのドタバタ、私生活の都合でフル参戦のレース活動は中止。
数年おとなしくしていて、モタード車で再復帰しました。
しかし親切にもまた「全日本スーパーモタードMoto1参戦者」
扱いでサポートを継続して下さったんです。
今となっては街乗りライダーですから、参戦者と同じ扱いは不可能です。
(現在はよりサポート条件が厳しくなってるので、おやじん例外でっせとは担当者談)
なので特別に他の方法で面倒を見て下さっているので、本当に感謝しなきゃ。
今回Kabuto本社を訪問したのは、下の物を受け取りに行ったのね。
ヘルメットバッグ、RT-33R、その他小物です。
RT-33Rは新製品のフルカーボン仕様で、入院前に支給のお願いしてたんですよ。
ただし限定品のため支給は難しいと聞いていましたが、OK出たで!と入院中にお知らせが。
実は事故の前にサブで使ってたFF5が耐用年数になったので
入れ替え用にと考えていた結果、事故でホントのトドメをさしてしまった・・
最後に、悪い頭ですけど守ってくれてありがとう・・・
ひとまず被ってみて、内装が合わなければフィッティングしてくれるそうなので
本日街乗りしてみましたが、フィッティングの作業は必要なしと判断できました。
さて、残り数社お世話になってる企業さんのシール貼るのだー。
キャーーーレースやってる人みたいーーーー(バカ)
ご覧の通りですが、まあその軽い事軽い事!!!
うわぁ、手元にあるスポーツ仕様のヘルメット
全部カーボン仕様になってるがな・・・
ハイ、私ゃミーハーなのでこんなん大好きでございます。
今度はRT-33Rの寿命まで
安全に走りきらなきゃ・・