夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

点字サークル合宿その2点字図書館・福島智さん・東大点友会

2004年09月05日 | profession
投稿画面に入力していると消えることがあるのでワードで作成し貼り付けることにする。

【福島智さん】
合宿でみんなに会わせたかったのは東大先端科学技術研究センターの福島助教授だった。彼は東大初の盲聾の教員で、私が学生時代「福島君と共に歩む会」で活動していた関係で友人である。彼が出演した徹子の部屋等を見た方はご存知と思うが、明るく聡明な彼には、こちらの方が貴重な何かをもらっている、という印象を受ける。
学生に直接会ってもらえれば、きっといい刺激を受けると思い、連絡しようとしていたら、なんと彼からメールが来た。
彼が金沢大を経て東大に赴任したのは知っていたが、久しく連絡を取れずにいたが、この4月に点字で近況報告を送ったところ、彼からすぐにメールが来た。私は返事をしなければと思いつつ、徒に日にちが経ってしまっていたが、8月のはじめ、こちらが合宿のことを頼もうとしてパソコンを開いたら、彼から4月のメールを「万一着いていないといけないので再送します」と再送していたのだ。(福島さんずぼらですみませんでした)
偶然を喜び、さっそくお願いしたところ、快諾していただいた。

余談になるが、私は結構こういうシンクロニシティが多い。
先日の入院中も2回もあった。私は日経を資料にするために切り抜くので、夫に東京からまとめて持ってきてもらって少し前のものを読んでいたら、胚移植の記事があり、古い作品だが東野圭吾の『分身』をベッドで読んだばかりだったのでびっくりした。また、手持ちの本を全部読んでしまったので、病院の談話室の本棚にあった京極夏彦の『姑獲鳥の夏』をたまたま読んだら、しばらくして大好きな俳優のTSが主演で映画化されるというニュースに接した。(1995年以降、彼の舞台は全て見ている。香港にいたために『贋作・桜の森の満開の下』『欲望という名の電車』(内野聖陽のは見たのだが)をmissしたのは返す返すも残念)ちなみに、京極作品はそれまで『嗤う伊右衛門』と『どすこい』しか読んでいなかったが、鶴屋南北の歌舞伎の元ネタになった四谷左門町の田宮家の婿養子を主人公にした前者は傑作だと思った。(先日友人と歌舞伎座に勘九郎の『四谷怪談』を見に行き、古典のすばらしさも実感したけれど)『姑獲鳥の夏』は、昭和20年代の東京の描写や衒学的な会話の醸し出す独特の雰囲気は良かったけれど、肝心なトリックが「ええ?!」と思うようなあまり説得力のないものだったので、この点を映画化でどうするか興味津々である。

【日本点字図書館】
合宿当日。
参加者は経済学部4名、工学部1名、理学部1名、経済学部教員のお嬢さんで16歳のCSさん、私の計8名で、まず、高田馬場にある日本点字図書館に見学に行った。
入り口では全盲の職員甲賀さんが待っていてくれた。彼女とも「共に歩む会」の仲間で、20年ぶりの再会だった。今日はお子さんの保護者会で休暇だったが、私が来ると聞いてわざわざ来てくださったのだった。大学2年の夏、「共に歩む会」の合宿で河口湖に行った際、福島さんが弾くピアノに合わせ、彼女が指点字(後述)を彼の肩に打ちながら「オリビアを聴きながら」を歌ったときの感動を私はいまだに覚えている。当時私は進路のことで死ぬほど悩んでいた(東大では2年生の時学部学科を決める。三島由紀夫が好きで文芸評論家になるつもりで文三に入った私は、点訳ボランティアの影響もあり、結局法学部に進学して現在は大学で法学を教えている)が、この思い出は、思いつめていた当時の最も光り輝くシーンである。
やはり会のメンバーだった植村さんも職員として働いていて、点字印刷の仕組みを説明してくれた。

デジタル化による情報技術の革新は点訳技術をも劇的に変えていた。
私の学生時代、墨字(点字に対して普通の文字をこう呼ぶ)だってアナログだった。ワープロはそれほど普及していなかったから、学生時代のレポートは手書きだったし、就職してからも会社で作成する文書はほとんど手書きだった。ハーヴァードに留学中の1992年1月、マッキントッシュのノート型パソコンが初めて出て、さっそく入手して図書館で使っていたら、たくさんのアメリカ人学生が覗いていったことを思い出す。
点字はもちろん、超アナログの世界。前述のカニタイプで一文字一文字打っていくしかない。点字図書館でも基本的にはそういう方法で点字を作成していた。しかし、現在は、点訳データをパソコンソフトで作れる。英語の翻訳ソフトのように、墨字を入力すれば点字になる翻訳ソフトまである(とはいえ、英語のソフトがそのままでは使えないように、精度は今一なので、結局よほど長い文章でない限り点字入力するとのこと)。そのようにした点訳データをフロッピーに落として、点字専門のプリンターで印刷するのだ。その速さにびっくりした。
そうして作った点字本は書庫にずらっと並んでおり、全国の利用者の請求に応じて郵送で貸し出しているとのことだが、現在は無料の郵送料も郵政民営化でどうなるかわからないとのことだった。
点字図書館は朗読・録音サービスも行っており、ラジオ局のスタジオのような本格的な録音室が大小15室もあるのにもびっくりした。
朗読ボランティアは倍率10倍の難関で、登録している104名中9名しか男性はいない。指名がかかる朗読者もいるそうだ。
現在『セックスボランティア』という本が話題になっていて、私も奇麗事だけのボランティアには限界があると思っていたから、思い切って「ポルノ小説のリクエストもあるのですか」と聞いたら、そういうリクエストの方が多いくらいです、非常に自然なこ、とですよねとガイドの金木さんという女性がおっしゃった。

彼女のおっとりと品のある口調ながらユーモアや福祉行政への鋭い批判をちらりとのぞかせた語り口は絶妙だった。
普段フェミニストの嫌煙家として攻撃的なしゃべり方をしている
私も、こういう話し方の方が受け入れられやすいなと反省した。

【福島研究室】
その後、駒場にある先端研の福島研究室を訪ねた。
福島さんには指点字の通訳が2人つき(目も耳も不自由な彼は、彼の指を点字タイプに見立てた通訳者がタイプを打つように文字を打つ指点字通訳をする)、研究生や院生、支援室(東大には障害を持つ教職員・学生を支援するためのバリアフリー支援室というものがあり、福島研究室の隣にある)専従職員の他、福島さんの呼びかけで、駒場点友会、本郷点友会からも6人の学生さんが参加してくれ、茶話会形式で歓談した。
福島さんはちっとも変わっていず、うれしかった。

ちなみに、こちらからのコミュニケーションは指点字だが、彼は話す方は全く問題ない。闊達な関西弁でジョークを飛ばす。聞こえなくなった時に、お母さんが指点字で必死で会話を続けたので、話す力を失わずにすんだのだ。この母上にも何度も会った事があるが、すごい肝っ玉母さんだ。

また話がずれるが、だから、最近のドラマ『オレンジ・デイズ』で、福島さんより年長で失聴した沙絵(柴崎コウ)がしゃべろうと思えばしゃべれるのに「一度笑われたから」という理由で発声しようとしないのはかなり違和感があった。そうやってコミュニケーションの手段を自ら制限し、手話ができない相手と会話しようとしないのはかたくな過ぎるのではないか、プライドが高すぎるのではないかと思った。
ちなみに、何回か出てきた、タイトルの元にもなっている、背伸びしてオレンジの果実を木からもぎとるシーンは、同じ北川悦吏子脚本でやはり聾唖者が主人公のの1995年のドラマ『愛しているといってくれ』(豊川悦司・常盤貴子)の最終回で、一度別れた二人の再会シーンでも出てきた。
ただし、常盤貴子がりんごをもごうとして手を伸ばし、トヨエツがとってやる、というシーンだったが。昔のヒット作品からこんなにコンセプトを借りるなんて彼女もネタが切れてきているのかと思った。

感心したのは、各人の座った位置等も通訳を通じて把握し、聞こえないはずなのに、しゃべっている人の方を向いて答えてくれることだった。だから、見えない、聞こえないということをつい忘れてしまいそうになる。ここまで持ってくるには相当の苦労をなさっただろうなと思った。支援室の方が、「信大はe-learningの大学院を全国で初めて設立したというところなので、バリアフリーを考える私たちは、お会いできるのを楽しみにしていました」とおっしゃった。
研究する上で、一番重要な最新の情報を入手するのはどのようになさっていますか、と質問したら、「人的なコミュニケーション・ネットワークを通じて各人の得意分野の情報が入るようにしている」とのこと。各国の障害者教育にも関心がおありのようなので、私が香港の盲人協会を訪ねた際の資料をお送りすることにした。
本学経済学部3年のMさんが点字サークルを継続させる秘訣は、と大学点字サークル懇談会の会長をしていた研究生の前田さんに質問したところ、「やはり盲学生のニーズを途切れさせないこと」とのこと。知る限り、本学に盲学生はいないが、今年の冬に見学に行った近所の松本盲学校と連携するとか、盲学生がいて、レジュメ等も全て点訳しているという長野大学とネットワークを作る必要があるかもしれない。
理学部のK君が福島さんに「学生時代どんな本を読むことを薦めますか」という質問をしたら、福島さんは「瀬々さんが昔北條民雄の『いのちの初夜』を座右の書にしています、とおっしゃったのを記憶しています」とのこと、彼がそれを覚えてくれていたことに感動した。

彼の研究室をその後訪ねたところ、パソコンには点字キーがついていて、画面の墨字が自動的に点字キーに変換されていた。これなら、少なくともパソコンの画面上の文字は晴眼者と同じように読めるので、デジタル化は障害者のバリアフリーにも役立っているのだなと改めて思った。研究室は広く、常時指点字通訳者やスタッフ20数名が出入りしている。隣接する支援室には録音用の部屋もあり、墨字をすぐ点字にするスキャナーもあった。

【駒場点友会】
福島さんと別れ、東大の点友会の人たちに、「点訳作業室」を見せてもらった。昔は、学館というぼろい建物に小さい部室があるだけだったが、今は、バリアフリー支援室経由で盲学生(現在数名いるとのこと。私が現役のときは院生が一人いるだけで、他大学の盲学生の教科書の点訳を主にやっていた)に依頼された点訳をするため、1号館(駒場キャンバスの正門を入って正面にある時計台のある建物)の1階に「点訳作業室」を与えられていた。
点友会はOB組織がしっかりしていて、香港で点字講習会をしているときも、頼んで道具や教科書を送ってもらっていたのだった。

その後、渋谷のセンター街の居酒屋で、合同コンパを行った。
文一2年のS君という中心メンバーは自身も弱視(本人は墨字しか使わない)で、ハンディのある立場で点訳をやっているというのに、全然気負いがないし、Mさんという工学部4年生はその日が院試で合格したとのこと、そんな大切な日に来てくれ、学生たちにいろいろ有益な示唆をくれた。
銀嶺祭で点字名刺作成をすることになっているが、その時に東大点友会でも遊びに来てくれるということになった。

2次会はカラオケで盛り上がり、護国寺の私の家には11時過ぎに到着。
それから3時ごろまで話をし、消灯。
翌朝は、夫の作ったブランチを食べて三々五々解散した。



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