夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

不正入試 その2

2011年03月08日 | profession
春休みになったが、授業がないというだけで、論文の締切を抱えて忙しい。
1本大きい論文を仕上げなければならない他に、連載原稿や、単行本の原稿、その上、学会誌に投稿していた査読論文が補正の上採用ということになった。


携帯電話を使った入試に関する不正事件で、容疑者が逮捕され、トイレ等でなく、全て会場で膝の間に携帯電話を挟んで左手で入力したという供述が報道された。よくそんな大胆なことができたものである。

そんなことをしている受験生に、4大学のどこも監督者が気づかなかったということに驚いた。

私が監督するときは、側面から机の下の棚に何も入っていないかどうかもちゃんと見るし、脇においたカバンの中身が見えそうな場合は「カバンの口を閉めてください」まで指示するので、ちょっと考えられない。

ただ、だからといって、大学が悪い、この受験生は悪くないというのはおかしな論理だ。

この受験生のしたことは、卑劣な手段で自分の学力について大学側に誤認させ、もって当該大学と不正に在学契約を締結しようとしたものであり、民事的に許されないだけでなく、入試業務の適正な運用を害し、刑法上偽計業務妨害罪に当たることである。

たとえ、大学の監督者に落ち度があったとしても、そのことに些かの影響もない。

「受験生がかわいそうだ、自分だってカンニングの一つや二つやったことがある」などという発言がマスコミなどで散見されるが、正気とは思えない。

また、「母子家庭で母親の負担を減らすために国立大学に行きたかった」という動機をわざわざ報道する意味もわからない。

同情を引こうとしているのかもしれないが、全く見当違いだ。

日経新聞の報道によると経済的理由で大学進学を断念する家庭が最も多いし、岡山のホーム突き落とし事件の犯人少年も、推薦で国立大学に行けるほど優秀なのに経済的理由で進学を断念した(父は派遣社員、母はパート労働者)ことが犯行動機の一つだった。

そんな中、浪人することが許され、しかも、わざわざ全寮制の予備校に通い、仕送りを受けて都会の大学に通おうとすること自体、経済的に恵まれた方の家庭といえるだろう。

まず、昔と違って(私の学生時代は国立大学の学費は年間18万円でバイトで何とか払えた)、現在国公立大学の学費は年間60万円近い。消費者物価指数の変動に比して不当に値上げされているのだ。

それに、京都は一般的な物価が東京より高い。住居費も東京に準じる水準だ。景観条例などで高いマンションが建てにくいため、物件自体が少ないし、京都市は全国のどこよりも学生人口比率の高い自治体なので、貸し手市場になりがち。不当に高い更新料が消費者契約法違反という判決が出たのも京都のケースで、同様な事例は今も京都で最も多い。
バイトしたい学生がいくらでもいるせいか、アルバイトの時給も最低賃金ぎりぎりに低いケースが多いなど、京都で大学生活を送らせるための地方の親の仕送りの負担は非常に重い。私の勤務校も自宅生が多く、泉佐野市や西宮、明石といった遠方から通学している学生もいる。

本当に親の負担を考えるなら、地元の国立大学に行くのがベストの選択だろう。現役時は地元の山形大に出願していたがセンターの結果が悪く受験しなかったという報道も見ている。


また、「警察に通報するのは大学の自治からいってもおかしい」という論理もおかしい。

ニフティ事件の第一審判決で、名誉毀損的な書き込みを放置したプロバイダ側の不法行為責任が認定されたことをきっかけに、業界の危機意識から制定されたプロバイダ責任制限法では、ネット上不適切な行為をした者を特定するのはとても難しい。

犯罪であり、警察の正式な捜査協力依頼があれば、特定に協力してくれるが、そうでない場合は、まず、不適切な書き込みがされたサイトを運営するプロバイダに、民事訴訟を起こして開示請求し、開示決定が出て初めて、投稿者側のプロバイダが明らかになるので、今度はそのプロバイダに対して同様に裁判で開示請求する、という非常に時間のかかる手続をしなければならなくなる。

今回の入試結果は、京大は10日には合格発表をしなければならなかったし、12日に後期日程も控えていて、入試業務を適正に行うためにも、迅速な本人確定が必要だったのだ。

「特定ができた時点で被害届を取り下げるべきだった」というのも法を知らない者のコメントだ。親告罪じゃないから、被害届が取り下げられても、警察には捜査を継続する義務がある。

ただ、大学は、もし監督をきちんとしていたら発見できていたなら、他の受験生に対しては重大な義務違反をしているといえるだろう。

受験生全員が、受験する大学に対して、「試験を公正に運用し、自分の学力を適正・公平に判定してもらう」権利を有し、それを4大学の受験生は侵害されたといえるだろう。

入学定員が決まっているので、合否判定は相対評価になるから、個々の受験生は、不正な手段で高い点を取った受験生との関係で、自分がそうでない場合より低い順位の受験生として判断されることは絶対ないと保証してもらう権利がある。

自衛隊の労災事故がきっかけ(不法行為だと提訴の時点3年の短期時効が完成しているので、時効期間が10年である債務不履行責任を利用しようとした)で現在は判例上確立されている「安全配慮義務」類似の考え方である。
池田小学校の児童殺傷事件で被害者遺族が学校(国)を訴えたのもこれだし、名誉毀損的な書き込みを放置したプロバイダの責任もこの一種であり、江戸川区役所が分煙対策を取らなかったために、同僚の喫煙により呼吸器の疾患になったとして訴え勝訴した(賠償金は5万円だけど)のもこの義務違反である。

受験生一般に対するこの義務違反については、4大学はきちんとした説明責任を果たすべきだろう。


4大学のHP全部にこの件についてのメッセージが出ているが、既に当該予備校生を合格させ、それを取り消した早大のそれは、刑事責任には一切触れず、答案を精査して、知恵袋との類似性から不正行為者を特定し、以前からある規程に従って合格を取り消したと説明している。つまり、民事上の処理をしただけだ、ということが強調されている。行為者が未成年でおそらく刑事責任を問われるところまで行かないことを見越した、リスク管理的にはスマートな説明方法で、さすが総長が法学者だけのことはあると思った(私はこれをほめるつもりはないが、リスクヘッジ的には正解だというだけ)。


気になるのは、12日に行われる後期日程に、逮捕された予備校生が出願している場合、受験させてもらえないのかどうかだ。

もちろん、私は今回の行為が、偽計業務妨害罪の構成要件に該当し、可罰的違法性もあると考える。

しかし、行為者が未成年なので、家裁の審判で少年事件として処理される可能性が高いと思う。家裁から検察に逆送されて刑事裁判になる可能性は0ではないが(光市の事件等がそう)、一般的に逆送されるのは、殺人事件などの凶悪事件であるケースがほとんどだからだ。


だからといって、今回のような卑劣な行為をした者が、「大学はなにもそこまでしなくてもいいのに」という論調で同情を受けるのだけはおかしいと強く感じる。正直者が損をする、のが現実の社会かもしれない。しかし、教育の現場だけは、絶対そうであってはならない、民主社会のボトムラインとして絶対に死守すべきだ。

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