夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

岡田惠和を『おひさま』で見損ない、『最後から二番目の恋』でまた見直す

2012年02月17日 | 演劇
いやー、岡田惠和への私の評価はこの1年で急降下したが最近またうなぎ登り。ジェットコースターみたい。


そもそも、好きな脚本家である岡田の作品であること、住んだことのある場所の隣町が舞台であることなどから見始めた『おひさま』、意地で最後まで見たが、苦痛以外の何物でもなかった。

何よりも、戦中の雰囲気が全く出ていない、登場人物が全員21世紀を生きている人にしか見えない、井上真央が花団と同じ演技で空回りというのがだめだめ。

「女だから○○というのだけは我慢できない」といい、母親からの教えもそうなのに、母の死後彼女が一人で家事をし、父や兄二人が全く手伝いもしないのは矛盾だ。
主人公が松本のそば屋に嫁ぎ、出産後も安曇野の小学校で教員を続けるために、赤ん坊を安曇野の実家に預けず(父と兄だがほとんど外で働いてはいない)、他人の飴屋夫婦に預けるのも、「男に育児は無理」というジェンダー・バイアス。

炊飯器もガスコンロも冷蔵庫もスーパーもないその頃(戦前)のしかもど田舎の家で4人家族の家事を担っていて、毎日女学校の帰りに飴屋でだべる時間があるのもリアリティに欠けすぎる。全体に生活の厳しさがまるで伝わってこないのもだめ。

樋口可南子が娘を亡くして悲しいときにたまたま見かけた女の子に後日お見合いを持ってくるのも変だし、主人公が酔って人事不省になって見合い相手に告白して結婚に至るのもご都合主義すぎ。

渡辺美佐子(松本の老舗の菓子屋開運堂の娘らしい)や串田和美が出てるのは松本出身だからでしょうね。

1923年生まれの主人公やその10歳は上であろう恩師の伊藤歩も含めて殆どの関係者が2011年に存命という徹底したハッピーエンドもええ加減にしろといいたい。最後の方は意味もなく「うふふふふ」と笑う井上の声を聞くと虫唾が走るようになった。

こんなドラマが人気というのだから最近の視聴者はだめなんだ。



すっかり、「見損なったぞ、岡田惠和」と見捨てようとしたところに、1月から始まった『最後から二番目の恋』。16年前同じ岡田で『巡り逢えたら』の翻案『まだ恋は始まらない』と同じ中井・小泉なので見ることにした。しかし、嬉しい驚きがあり、これは、岡田の最高傑作『ランデブー』(1998年)に次ぐ名作だ。

『ランデブー』は、前にこのブログにも書いたが、岡田自身も、自己ベスト2に選んでいたように、私も大変な傑作と思う。私は岡田という脚本家をこれで初めて見出した。

ストーリーは、主婦・朝子(田中美佐子)が、夫(吹越満)の怪獣オタクぶりに愛想を尽かして家出し、リバーサイドタウンという不思議な町にたどり着く。そこにあるホテル「マリア」に滞在し、そこに住む真由美と不思議な友情で結ばれる。また、幼い兄弟のためにつぶれかかった屋形船を切り盛りする美青年(柏原崇)と、余命いくばくもないと知り家族にわからないようにどこか遠くで死のうとする風来坊のようなその兄(高橋克典)とも交流ができる。
真由美は、先に賞をとってしまったために、同じく作家を目指していた恋人に自殺された過去を持ち、ために人生を斜めから見ており、純文学の才能があるのにポルノのみを書いて流行作家になっているが、兄(高橋)はその恋人にそっくりだった。
私はこのドラマの高橋があまりにかっこよかったので、ついファンクラブにまで入ってしまい、コンサートにも行ってしまった(「サラリーマン金太郎」で熱が冷めた)。

最終回で、クールな真由美が、朝子との友情を大事に思っていることを、かちかち山とか、姥捨て山とか引き合いに出しながら訥々と語るシーンが絶品。
そして、30年あっていない恋人との恋に終止符を打つためだけにホテルを経営していた主人・岸田今日子(最終回では、恋人のジョージ・チャキリスが本当に別れを告げに来た。それで、マリアという名はウエストサイド物語から来ているのだとわかった)や、真由美の担当編集者・田口浩正や、吹越満ら脇役の怪演も良かったし、近年にない、出色のドラマだったと思う。
ちなみに、主題歌は、多分これが最後の小室プロデュースだったであろう華原朋美の"Here We are"で、アンニュイ感を醸し出していた。


なぜ、『ランデブー』の話を長々としたかというと、『最後から二番目の恋』もこれに似ていると気づいたからだ。

主人公の小泉今日子は45歳のTVドラマのプロデューサー、仕事や私生活の閉塞感から鎌倉の古民家に引っ越してきて隣家の中井貴一一家と知り合う。中井は妻を事故でなくし、思春期の娘と、早くに両親をなくしたため親代わりになってきた30代の双子の弟妹(坂口憲二と内田有紀)と同居する鎌倉市役所の職員。そこに、高校の担任教師と大恋愛して結婚したはずなのに夫からも息子からも必要とされなくなったと不満を募らせる妹飯島直子が家出してきて居座る。

とにかく、科白がリアリティがあるのに小粋でウイットに富んでいる。とくに小泉と同じような独身キャリアウーマンの親友二人(森口博子と渡辺真起子)とのあけすけな会話は、「ここまでいっちゃっていいの?!」というくらい。そして、私も40代女性なので、いちいちうなずけることばかり。

内田有紀の変人ぶりもすごいが、坂口憲二は難病を抱え、いつ死ぬか判らないために特定の恋人を作らず、「世界中の女性を幸せにすることが目標」と称して、長い関係を結べないことを納得づくで、夫から捨てられたとか、町で恋人にすっぽかされたとか、かわいそうなたくさんの女性に一夜限りの夢を与える「天使」業を、自宅でカフェを営む傍ら営んでいる。

坂口がなぜそんな生き方をするのか、はじめはわからないのだが、4回目くらいで病気が原因と明かされ、そこで私は、「そうか、わかったぞ、これは『ランデブー』の高橋克典の演じたキャラなんだ!」と金田一耕助シリーズの加藤武のように手を打った。

こうしてみると、内田の演じる変人キャラは『ちゅらさん』の菅野美穂なんだーとか、いろいろ思い当たったりする。


なぜ、『おひさま』はくそつまらなく、『最後から』はこの上なく面白いのか、それは、岡田が「大人のファンタジー」を描くのがうまいからだからなんだ。

天使みたいな夭折予定のイケメンが10歳以上年上のキャリアウーマンの恋人になろうとする、しがない中年の課長が娘くらいの年齢の可愛い部下(佐津川愛美、彼女の舞台はいいね)とその母親(美保純)の両方から惚れられるとか、どう考えてもファンタジーなのだが、科白回しのリアリティとこじゃれたとことが救っている(中井が「お連れしようとしていたレストランに図らずも他の人(小泉)と先に行ってしまったので両方に申し訳なく別の店にした」と正直に言うと、美保が「誠実なんですね。でも結婚相手にはそれを求めても,デイトの相手だとそういう誠実さは却下です」とか、なかなか思いつかない科白だと感心する)

まあ、最終的にはラブコメの王道をいき、口げんかばかりしている中井と小泉はくっつくんだろうなと予想はつくんだが、それはそれで過程を楽しませてもらおうじゃないの、と思える。

また、岡田は、自らはっきり認めているように、「めぞん一刻」や「タッチ」といった漫画に影響を受けている。
まず、大勢の他人が同じ建物に住んで交流する、というパターンが多い。
「ランデブー」もそうだし、「ちゅらんさん」の一風館、そして、「ぼくだけのマドンナ」もそうだった。
「ちゅらさん」の、ヒロインの夫は文也、死んだその兄は和也、というのは「タッチ」へのオマージュだ。
今回の中井の一家も、その隣人の小泉も、何か合宿っぽいノリで、やはりこの路線をいっているといえるだろう。


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