連休は毎年この時期恒例だが、一日目は金融法学会、二、三日目は私法学会に出席した。私法学会ではある研究グループの民法改正私案についてのシンポジウムがあり、現行民法の問題点を総ざらいする内容で非常に勉強になった。
会場となった名古屋大学では、地下鉄の駅に「ノーベル賞受賞者4名のうち3名が名古屋大学関係者です」という、益川、小林、下村博士の写真入の看板があった。
理系音痴(といっても数学だけは高校卒業までずっと5<もちろん5段階評価>だった。クラス42人中12名が東大に現役合格<うち理系は7人>したクラスでだったのだから理系一般というより化学物理がだめだったのだ)の私にはよくわからないが、報道をみるかぎり、30年も40年も前に発見した原理や法則が後に証明されたり、長い間に多くの場面で応用され、極めて有用だと認識されるようになったため
らしい。二人が80代であることから見ても、長生きすることもノーベル賞をもらえるための要素だと思う。
川端康成がノーベル賞を受賞したとき、理由として本人が「サイデンステッカー氏などの優れた翻訳があったこと、そして三島くんが若すぎたこと」を挙げている。
三島ももう少し長生きすれば受賞できたと思う。
村上龍がアメリカ人を描写するとき、判で押したように「ミシマのペーパーバックを読んでいた」とあるが、アメリカの大きな書店にはfictionのコーナーにアルファベット順でマーガレット・ミッチェルの直前に三島の作品が並んでいる。
香港で中国語のクラスメートだった香港フィルでチェリストをしているアメリカ人に「三島が好きだ」といったら、「僕はGOlden PavillionとCOnfession of Maskしか読んでいないけど」といわれた(この「しか」に三島作品の海外での著名さが表れていると思う)し、イスラエル旅行で知り合ったユーディットの住むオランダの小さな町のカフェに[Lady Aoi]の上演のポスターがあった。
ロサンゼルスに移送されて17時間後に自殺した三浦容疑者であるが、このような結末になったのは残念だ。拘留機関として最も注意しなければならない容疑者を自殺させるという失態を演じたロス警察は責任を問われるだろう。
不謹慎かもしれないが、司法手続が進めば、conspiracyについて本当に二重の危険違反がないのか、日本で裁かれた共謀共同正犯の共謀の部分の構成要件が重複しているのでやはり二重の危険違反であるという反論が予想され、憲法上も刑法上もきわめて面白い法律論争が行われる可能性が高かったので、注目していただけに残念である。
ところで、conspiracyは複数犯を前提としているのだから、三浦容疑者と共謀したとされる実行犯の方をconspiracyで訴追すればいいではないか、という疑問があるかもしれないが、多分実行犯については司法取引で訴追しないことになっているのではないかと思う。
司法取引は日本の刑事手続には原則的にないのであるが、一定の合理性をもった制度だと思う。
人権尊重・適正手続が徹底している国家では、刑事訴訟には膨大なコストがかかる。たとえば、サリン事件等で起訴された麻原彰晃の裁判は、一審判決が出るまでだけで10年近くを要している(私は一度東京地裁に傍聴に行ったことがあるが、麻原は目をつぶって微動だにせず、まったく無反応なのに驚いた)。もちろん、裁判費用等に税金が何億と使われており、その一方で、被害者は十分な補償を受けていない。
犯罪を犯された上に、国民の税金を費消するのでは、泥棒に追い銭である。
そこで、アメリカでは、刑事被告人が有罪を認め、進んで捜査に協力すれば、略式の手続で罪一等減じる司法取引制度を活用し、刑事事件の9割が司法取引で解決されているという。だから陪審のいるtrialまで進むケースは少ないのである。(そうではない日本で、同じリソースで裁判員制度を円滑に進めるために、ここの裁判の拙速は避けられないと思う)
私が2004年に大学のあった県の弁護士会の依頼で通訳としてハワイ州の司法制度視察にいったとき、連邦地裁でまさにこの司法取引に立ち会った。
被告人はシアトルからホノルル行きの飛行機内で、酔って前の席の背もたれを強く蹴り上げ、連邦刑法上の暴行罪で起訴されていた。
アメリカの刑法は州法と連邦法があり、ほとんどの犯罪は州刑法上のものだが、飛行機や列車などの交通手段内での犯罪は、それ自体州をまたぐことが多いので連邦刑法犯にもなっている。
そこでは、まさに裁判官を立会人とする、検察官と被告人の「契約書」が取り交わされる手続が展開されており、裁判官の質問は、「あなたは司法取引をしなければどんな法定刑に処されるかを知っていますか」「あならは取引の内容を十分理解していますか」「精神病歴はないですか」という、まさに契約書締結能力を問う質問ばかりしていた。司法取引のために被告人は保護観察処分だけですみ、調印の直前に検事の要望で断酒プログラムへの参加義務も付け加えられていた。
1985年の日航機墜落事件も、司法取引のためにボーイング社の徹底訴追ができなかったそうだ。
会場となった名古屋大学では、地下鉄の駅に「ノーベル賞受賞者4名のうち3名が名古屋大学関係者です」という、益川、小林、下村博士の写真入の看板があった。
理系音痴(といっても数学だけは高校卒業までずっと5<もちろん5段階評価>だった。クラス42人中12名が東大に現役合格<うち理系は7人>したクラスでだったのだから理系一般というより化学物理がだめだったのだ)の私にはよくわからないが、報道をみるかぎり、30年も40年も前に発見した原理や法則が後に証明されたり、長い間に多くの場面で応用され、極めて有用だと認識されるようになったため
らしい。二人が80代であることから見ても、長生きすることもノーベル賞をもらえるための要素だと思う。
川端康成がノーベル賞を受賞したとき、理由として本人が「サイデンステッカー氏などの優れた翻訳があったこと、そして三島くんが若すぎたこと」を挙げている。
三島ももう少し長生きすれば受賞できたと思う。
村上龍がアメリカ人を描写するとき、判で押したように「ミシマのペーパーバックを読んでいた」とあるが、アメリカの大きな書店にはfictionのコーナーにアルファベット順でマーガレット・ミッチェルの直前に三島の作品が並んでいる。
香港で中国語のクラスメートだった香港フィルでチェリストをしているアメリカ人に「三島が好きだ」といったら、「僕はGOlden PavillionとCOnfession of Maskしか読んでいないけど」といわれた(この「しか」に三島作品の海外での著名さが表れていると思う)し、イスラエル旅行で知り合ったユーディットの住むオランダの小さな町のカフェに[Lady Aoi]の上演のポスターがあった。
ロサンゼルスに移送されて17時間後に自殺した三浦容疑者であるが、このような結末になったのは残念だ。拘留機関として最も注意しなければならない容疑者を自殺させるという失態を演じたロス警察は責任を問われるだろう。
不謹慎かもしれないが、司法手続が進めば、conspiracyについて本当に二重の危険違反がないのか、日本で裁かれた共謀共同正犯の共謀の部分の構成要件が重複しているのでやはり二重の危険違反であるという反論が予想され、憲法上も刑法上もきわめて面白い法律論争が行われる可能性が高かったので、注目していただけに残念である。
ところで、conspiracyは複数犯を前提としているのだから、三浦容疑者と共謀したとされる実行犯の方をconspiracyで訴追すればいいではないか、という疑問があるかもしれないが、多分実行犯については司法取引で訴追しないことになっているのではないかと思う。
司法取引は日本の刑事手続には原則的にないのであるが、一定の合理性をもった制度だと思う。
人権尊重・適正手続が徹底している国家では、刑事訴訟には膨大なコストがかかる。たとえば、サリン事件等で起訴された麻原彰晃の裁判は、一審判決が出るまでだけで10年近くを要している(私は一度東京地裁に傍聴に行ったことがあるが、麻原は目をつぶって微動だにせず、まったく無反応なのに驚いた)。もちろん、裁判費用等に税金が何億と使われており、その一方で、被害者は十分な補償を受けていない。
犯罪を犯された上に、国民の税金を費消するのでは、泥棒に追い銭である。
そこで、アメリカでは、刑事被告人が有罪を認め、進んで捜査に協力すれば、略式の手続で罪一等減じる司法取引制度を活用し、刑事事件の9割が司法取引で解決されているという。だから陪審のいるtrialまで進むケースは少ないのである。(そうではない日本で、同じリソースで裁判員制度を円滑に進めるために、ここの裁判の拙速は避けられないと思う)
私が2004年に大学のあった県の弁護士会の依頼で通訳としてハワイ州の司法制度視察にいったとき、連邦地裁でまさにこの司法取引に立ち会った。
被告人はシアトルからホノルル行きの飛行機内で、酔って前の席の背もたれを強く蹴り上げ、連邦刑法上の暴行罪で起訴されていた。
アメリカの刑法は州法と連邦法があり、ほとんどの犯罪は州刑法上のものだが、飛行機や列車などの交通手段内での犯罪は、それ自体州をまたぐことが多いので連邦刑法犯にもなっている。
そこでは、まさに裁判官を立会人とする、検察官と被告人の「契約書」が取り交わされる手続が展開されており、裁判官の質問は、「あなたは司法取引をしなければどんな法定刑に処されるかを知っていますか」「あならは取引の内容を十分理解していますか」「精神病歴はないですか」という、まさに契約書締結能力を問う質問ばかりしていた。司法取引のために被告人は保護観察処分だけですみ、調印の直前に検事の要望で断酒プログラムへの参加義務も付け加えられていた。
1985年の日航機墜落事件も、司法取引のためにボーイング社の徹底訴追ができなかったそうだ。