夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

裁判所見学

2011年04月13日 | profession

担保物権法の授業の一環として、毎年京都地方裁判所を見学している。

昨年度は2月に実施した。授業期間中は、他の授業を休ませるわけにも行かず、結局この時期になってしまった。

主たる目的は、三点セット、つまり、裁判所が、競売の入札希望者のために用意した物件明細書、現況調査報告書、評価書の三点を、閲覧室で見てもらうことである。最近は、ネットでも見られるようになっているが、やはり現物のファイルを見てもらうのがいいと思っている。

一昨年度の感想文では、「夜逃げした後の散らかった部屋の写真とかがリアルだった」「下宿の側のマンションが競売の対象になっているとわかり、競売を身近に感じた」という声があった。


10時前に集合し、まず、裁判員裁判の開かれる大きな法廷で、裁判員制度についての説明と、裁判官席に実際に座らせてもらって、法服などを着させてもらった。20歳にして法服があまりにも似合う子もいた。



裁判長の席の下に赤いブザーがあって、非常時に押すことなども教えてもらった。


その次の民事裁判の傍聴は思いがけず非常に面白かった。

刑事裁判と違って、民事裁判は、書類のやりとりが中心なので、傍聴してもよくわからないことが多い。

前任校のあるソモラ市の裁判所に法科大学院生と行ったときは、ちょうど授業で取り上げたばかりの過払い金返還訴訟だったり、知り合いの弁護士が代理人だったので解説してもらったりした。

一昨年度は少し複雑な案件だったが、知り合いでもないのに代理人弁護士が少し別室で説明してくれた。

しかし、今回は、説明がなくても証人の社長の尋問だけでよくわかる案件だった。

京都市内の従業員一桁の小さな会社のトラブルで、入ったばかりの新入社員が3ヶ月で辞めてしまい、会社が、5月に実施したグアムの社員旅行の費用の返還と彼女が壊したプリンターの修繕費の支払いを求めた訴訟だった。

会社側にも被告側にも弁護士がつき、とくに被告側はベテランそうな弁護士が二人ついていて、訴訟物はせいぜい10万円程度、弁護士費用を考えればペイしないが、双方とも意地を張り合っているような感じがよくわかった。

争点になるのは、2月に改訂した就業規則「入社後1年以内に辞めた場合は旅行費用を返還する」という条項の有効性だ。

もっと驚いたのは、裁判終了後(結審は次回ということになったが)、大島裁判長が、事件の解説をしてくれたことだ。
私が、「海外留学の費用の返還義務については判例があって、金銭消費貸借という構成であれば、返還義務があるということだったと思いますが、こうしたケースは判例があるのですか?」と聞いたら「ないようですね」ということ、同席していた神戸大学法科大学院出身の司法修習生の女性も答えてくれた。
「こういうケースは和解になることが多いと思うのですが」
「当事者がどうしても判決がほしいというものですから」

裁判長が傍聴人にわざわざ説明してくれるというのは本当に異例だ。
ソモラ市の裁判長は、民事裁判の訴訟指揮で言葉の解説を入れてくれたりしたが、それでもかなり親切な方だった。
後で、大島裁判長が神戸大ローで教えていらして教科書も書いていることがわかったが、やはり、京都という土地は本当に学生を大切にしてくれる土地柄なのだとよくわかる。

物権法の授業で毎年見学に伺う京都地方法務局も、ものすごく周到に準備して(記念写真まで撮ってくれて)それはすばらしい見学会をやってくださるからだ。その上、3回生のインターンシップでもどこよりもたくさんの学生を受け入れてくださっている。
ソモラの法務局は、たまたまOBがいる間だけ協力してくれ、彼の転勤後は断られたからだ。尤も、法科大学院生がかなり失礼な態度だったということもあるが。(こんな所にくる暇があったら受験勉強したいのに、来てやってるんだよ、というそのままの発言を、登記官の前で、40代後半の社会人経験ある学生が叫んだのである)

ラウンドテーブル法廷というのを初めて見たのも新鮮だった(事案によっては、当事者と裁判官が円卓を囲む方式が望ましい、ということでもうけられている)。

私の授業は毎回小テストがある上に、個人指導と判例のまとめの発表まである。単位をもらうためのコストパフォーマンスがあまりよくないが、それでも最後までついてきてくれる学生はまじめで優秀な子が多く、教え甲斐がある。授業中私語や携帯が鳴ることは一切ない。素直だし、思いもしない発想を教えられることもある。

別の授業だが、一度だけ休んだ学生が「その回の授業を僕のためにもう一度やってもらえないでしょうか」とメールしてきたのにも、そのまじめさに感動した。私がここで教えた中で最も優秀でいつも小テストで期待以上の答案を書いてくれる学生だが。

ジェンダーの授業で「友達に同性愛者だと打ち明けられたらどうしますか」というアンケートに、「異性愛は、生殖など利害計算がつきまとう。同性愛者は損得抜きで純粋に人を愛せるから羨ましいと思う」というすごいコメントを書いた子には、「負うた子に教えられ」という気持ちになったものだ。

教師が学生に癒されるという職場環境は本当に恵まれているとつくづく思う。他にいやなことがあっても、文句をいったらきっと罰が当たるといつも思っている。


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地震後の東京

2011年04月13日 | Weblog
いわきで大きな余震があったので、いわきの恩師に久しぶりに電話したら、「昨日、5月号の原稿を書いていたら地震が起きて、1時間ほど停電しました。送っていただいたろうそくが役に立ちました。ありがとうございます。」といわれた。「危ないからお願いだから東京のご自宅に避難してください」と懇願しても、地震ごときでじたばたすること自体、抵抗がおありになるようだ。謹慎中の歌舞伎俳優は妊娠中の妻と福岡に避難し、ミネラルウォーターを買い占めては東京の自宅に送っているというのに。

話が夫の根津の新しく借りたマンションの話に及ぶと、「何階ですか?」「1階です」「エレベータのことが問題なくていいですね」「先生のお宅は12階ですけれどエレベーターが止まったりするんですよね」「止まるけどすぐ修理してくれるので助かっています」
もう何もいえない。


4月2日、コンサートで元気をもらってから、帰宅し、夫と高速バスで東京へ。引越の手伝いのため。

3日に着いて、多慶屋で買い物していたら、二人の携帯が突然防犯ブザーのようなすごい音を立て、見たら、「茨城で地震発生」という非常連絡だった。そういう設定をした覚えはないが、ドコモのサービスでやっているらしい。そのとき東京は揺れてはいなかったが。

意外な影響が、自転車が品薄で買えなかったこと。工場が東北に多いせいらしい。

スーパーで牛乳やヨーグルトがなく、逆に冷凍食品が半額になっていた(計画停電の可能性があるため買い控えているらしい)。

駅ではエスカレーターがほとんどすべて停止、銀座駅も終電後と見まがうばかりに暗い。

根津は、大学への通学で使っていた駅で、研究会や調べ物でよく母校の東大に行くので頼んで近くのマンションを選んでもらったのだった。

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カミングアウトします。

2011年04月13日 | Weblog

阪急梅田駅で宝塚宙組が募金活動をしていた。

この1年くらい、初めて若いアイドルのファンになり、初めての経験に自分でも戸惑っている。

今まで若い異性の芸能人を好きになったことがなかったからだ。

十代の頃は、私より7歳年上の新御三家、西城秀樹、郷ひろみらの全盛時代だったが、全く興味を持てなかった。
自分より20も年上の北大路欣也とか、近藤正臣とか、田村亮(芸人でなく田村さん兄弟の末っ子の方。二谷友里恵(私より2歳下。トライの現社長なので父親をCMに起用していると思われる)も十代のとき彼のファンだったと知ってちょっと驚いたが)とかが好きで、彼らの出るドラマを一生懸命見ていたのだった。とにかくおじさん好きだった。

唯一、『岸辺のアルバム』を見ていいと思った国広富之も、高校時代、彼に惹かれて『噂の刑事トミーとマツ』を見るうちに、係長役の林隆三(やはり私より19歳年長)の方がずっと好きになってしまった。(そういえば、このドラマの婦警役で人気の出た石井めぐみを久しぶりにTVで見た、と思ったら、椿鬼奴という女芸人だった。本当にそっくりだと思いません?年齢だいぶ違うけど。)

後は自分も20代後半、30代になってから、年齢の近い真田広之、堤真一、上川隆也、内野聖陽を好きになり、舞台や映画、ドラマは欠かさず見ているが、これは若いアイドルとはいえないだろう。藤原竜也を好きになったのも、『身毒丸』の舞台を見てその演技力に感心したからだった。

ところが、ここ1年くらい、あるアイドルにはまってしまった。
はじめは、出身地が近いとか、母子家庭で苦労した生い立ちとか、アイドルやりながらそこそこいい大学を卒業して偉いとかそういう感想しかなかったのが、いつの間にか、はまっていたのである。

夫には「目指せ、マルグリット・デュラス(それほど年齢差ないし才能も金もないけど)!」とかいって呆れられている。

彼の母親より自分の方が年上と知ってなおショックであり、また、学生に知られたらみっともないと思い(とくに男子学生が引くのではないか、研究室にポスター貼ったりしたらセクハラにならないか、とか)、はっきりいわなかったが、先日、同じ学部の女性教職員とちょっとしたパーティーをしたとき、「いいじゃないですか、別に」といわれ(とくに韓流にはまっている先生に)、ブログに書くことにした。

以下は、ファンにしかわからないしょーもないコメントなので、興味のない人はパスしてください。


彼のコンサートに、昨年の1月に続き、4月2日に行ってきた。ファンクラブに入っている学生がチケットを取ってくれたのだった。

大阪城ホールの周辺は独特の盛り上がりで、そういえば、数年前、後楽園の歩道橋の上で、やはりジャニーズの彼の属すグループのコンサートの直前でうちわをもってすずなりになっている若い女の子たちを見て、「よくやるわね」と思っていたのに、まさか自分がその集団の一部になるとは夢にも思わなかった。

やっぱり、人間は、年相応の時に年相応の経験をしておかないと、後で怖いとつくづく思う。

席は、楕円形の長い方の端、メインステージのちょうど真向かいの2階席の5列目だったが、そのためにサブステージがすぐ側にあり、そこに何回もきて歌ってくれたので、3メートル以内くらいで間近に見られて大興奮だった。間近で見ると、不規則な生活だろうに肌がきれいなのに驚き、そしてそう思う自分のおばさんさ加減に自分でちょっと引く。

私の席は通路の脇だったので、通路に出て思いっきり手を振ったら、目があった(ような気がした)。
中央の舞台もメインステージも肉眼でもかなりよく見えて、やっぱり大阪城ホールはすごくお得だと思った。
今までサザンやユーミンのコンサートに行った東京ドームや代々木体育館、横浜アリーナ等は、ものすごく広く、S席でアリーナでも後ろだと豆粒くらいにしか見えないからだ。

去年とは比べものにならないくらい、力が入っていた。
アンコールも「特別サービスですよ」といって2回もやってくれた。

以下、覚えている限りのことを書いてみる。

1.コンサートのセットやグッズのデザインは、ドラゴンを中心として赤と青で渋く統一、香港ぽいイメージで、このアジアツアーが1月29日に香港でスタートしたという特徴が際立っていた。

2.スタートは、中央ステージでスッポンから登場、いきなり「抱いてセニョリータ」、続いて「青春アミーゴ」と、大ヒット曲を前座のように先に持ってくることに、このコンサートにかける意気込みが感じられた。

3.去年よりはるかにたくさん観客の側に行き、手を出した観客のほとんどと握手してくれた。

4.「今日は、幅広い方にきていただいて、ちびっ子から (ここでしばらく言葉を選んでいたのか沈黙)熟女のお姉さんまで」というのがおかしかった。私と目があった(ような気がする)のは関係ないと思うけど。そう思ったおばさんは会場にたくさんいるのでは。

5.MCも面白かった。しゃべりは苦手らしく、「つたないMCの時間です。今日は質問を何でもうけることにします」かなり率直に答えていた。

Q「Super Good とSuper Bad、どちらが好きですか?」(40代くらいの人を選んでマイクを向けてあげていた)
A「Super Badですね。Super Goodは社長が選曲したので、少し古いですね。ずっと、『You、これやっちゃいなよ』といわれたことをいろいろやってきましたから、いいんですけどね。」

ちなみに私もSuper Badの方が好きだ。ユーロビート調の曲が楽曲としてできがいいと思う。
スローなバラードは彼の歌唱力と声量では少し無理がある。ただし、声量がない分、歌声が話す声に近いので、ファンにはたまらない、ともいえる。

Q「今回のアルバムの中で一番好きな曲は?」
A「そうですね、Party don't stopがノリがよくて好きですね」

Q「夕べ何をしてましたか?」
A「ミュージックステーションを見てました」(しかし、その番組は19時から生放送だから生では見られないはず。わざわざ録画していたのかな?ちなみに、この回は「元気が出る曲ベスト200」がテーマ。「青春アミーゴ」が69位あたりに入っていたと思う。それに、よく見ると、キンキやJ Friendsのバックでジュニア時代に踊っているのを発見)

「みなさん、ほかの歌手のパフォーマンスを見ているゲストの様子を画面の隅で丸の中で写すじゃないですか?僕、昨日それを見てたら、淳之介はノリノリでで頭を振りながら一緒に歌ってました。今度あいつが出たら注目してみてください」

Q「誰と仲がいいですか?」
A「そうですね。昨日亮ちゃんと飯食いましたね」

Q「もうすぐ結婚するんですけど、どんな結婚式がしたいですか?」
A「結婚のことはまだ考えられないですね。」わざわざカメラ目線で力強く「結婚はまだまだですからね」と念を押した。

Q「関西弁で好き、っていってください」
A「(大声で)めっちゃすきやねん!」(かなり目立つ赤いリボンとコスチュームの二人の女の子。「Love you 10 years」というカードをみて)「長い間ファンでいてくれてありがとう」(本人たち、感極まって泣き出す。すごく若い時代のうちわをとりあげて)「わー古いですね、このうちわ、完全に目が死んでますね」

Q(欠食児童とは正反対の体型の小学生の男の子)「どうしたらジャニーズに入れますか?」(会場、大爆笑、仕込んだんじゃないかと思うくらいはまった質問だった。)
A「そうですね、踊って踊って、踊り続ければなれますよ」

6.バックで踊っていたFIVE一人一人に質問。「趣味は何ですか?」釣りという子に、「シゲも最近釣りにはまってて、あいつ、暇だから釣りばっかり行ってるみたいなんですよ。今度テレ東でレギュラー始まるらしいのでみんな見てくださいね」(ちょっと残酷かなと思ったけど)

7.「昨日名古屋で始まって」というコメントにはちょっとブーイング(前の日から大阪でスタートしたから)

8.「後半で、80年代歌謡曲みたいな『罪と罰』という曲で、皆さんにグーパーしてもらいます。みんな、ここには僕と皆さんしかいないんだから恥ずかしがらないで」

9.外国でのツアーで日本らしさを出すために、後半のはじめは、鬼の面を被って登場して剣舞。

10。歌はともかく、踊りはやっぱりすごい。激しく踊りながらでも歌うときに息が切れないのも訓練の賜と思った。

11。通常のアンコールの後、「本日の公演はこれですべて終了しました」アナウンスが流れ、前日の代々木体育館での募金活動のビデオが流れた(朝イチで代々木に行ってから大阪に来て夜のコンサートをやった模様)が、あまりにも長く続く「山P」コールに答え、Tシャツ姿で登場、「本当に特別ですよ」といいながら、「ゴメンネジュリエット」を歌ってくれた。

12 去年は、ほとんど曲を知らなかったが、今回はアルバムを買って、移動中(電車の中は除く)ひたすら聴いて予習していたので、マイクを会場に向けられたとき、他の客と一緒に「最後のラブソング」を合唱できた。こういう一体感はすごいと思った。


彼は情熱大陸に出演したとき、「僕は男だからずっと仕事をしていきたい、小さい頃、お母さんが働いていて本当にかわいそうだった。女の人にそんな思いをさせたくない」といっていた。母親を助けるために自ら希望して小学校5年生で事務所に入り、今までひたすら努力してやってきたわけである。


「こんな時期だからこそ、今日は一日楽しく過ごしてください。皆さんあっての僕です」
ファンに触られまくってちょっと苦笑もしていて、「仕事と割り切ってアイドルしてるんだろうな。ホントは彼女以外には触れられたくないし、もっと遊びたいんだろうなあ。健気だなあ。いじらしいなあ」と思った。彼にとっては、有名になるとか、ちやほやされることは二の次で、とにかく11歳の時からアイドルは母親を助けるためにお金を稼ぐ手段、勤労青年なのである。
そして、どんなに明るくふるまっていても、そのたたずまいに哀しみや影がつきまとうのはなぜなのだろう。

手抜きのないパフォーマンスとサービス精神、プロ根性がすごいなと思った。

それに引き替え、私は、分野は180度違うけれど、彼ほどプロフェッショナルな仕事をしているだろうか、と考えさせられた。
私もいろいろ辛いことがあっても、もっと仕事を頑張らなければならないな、とものすごく勇気づけられた。

アイドルとは、元気づけ、鼓舞してくれる存在、それでいいのではないだろうか。

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天地明察 小さいおうち

2011年04月06日 | 読書
134回直木賞候補作および受賞作

天地明察 

天地明察
冲方 丁
角川書店(角川グループパブリッシング)


江戸時代に様々な苦労を経て大和暦を大成し、太陰暦から太陽暦への転換という大事業を成し遂げた渋川春海の生涯を,彼を取り巻く人々とともに描いた作品。

この作品を貫くのは、「知」や「真理」への純粋な探求心と憧憬である。

渋川春海という名前自体、本名である安井算哲という名が、元々代々江戸城で御前碁を打つ家に育ち、優秀な碁打ちでありながら、定石をはみ出すことのできない職務につくものであり、その非創造性に「飽いて」「自分だけの春の海辺がほしい」ということから名乗ったものである。

その「自分だけの春の海辺」を必死で捜し、渋谷の金王神社にある算術の設問と解答を記したたくさんの絵馬を見に行き、その絵馬が風でふれあう、「からん、ころん」という音が、彼の生涯の様々な重大場面で繰り返し出てくる。その音こそが、「知」への憧憬の象徴だからだ。

その絵馬から、和算の大家となる関孝和と出会い、算術の才能から酒井雅楽頭(ちなみに本木雅弘は彼から長男を「雅楽=うた」と名付けた。ちなみに長女は伽羅)とに抜擢され、22歳で北極星観測隊に参加してから、改暦事業に携わるようになり、3度の挫折を経て、ついに、45歳の時、改暦の大事を達成する。

主人公はもちろん、関孝和への出題が誤問と知ってその場で切腹しようとするなど、純粋でまっすぐな性格だが、他の登場人物も、権力にも利害にも関心がなく、学問への純粋な関心だけに突き動かされている愛すべき人たち、とくに、北極星観測隊の隊長建部と伊藤の、儒教社会にもかかわらず、孫のような年齢の春海の計算の正確さを子どものように喜ぶ、純粋さ、その稚気に、思わず本を閉じて落涙した。「学問は長く、人生は短い」という真実に改めて思い至り、それにひきかえ、一応学問を仕事とする自分のいいかげんさが恥ずかしくなった。

学問や真理、知という絶対的なものに仕える同志愛で結ばれている者同士という関係は、授時暦の誤りを検証する自分の研究を無償で提供する(しかも自分の貢献は隠そうとする)関孝和や、碁のライバル本因坊道策、会津藩士安藤との関係にも表れ、現実の世界で利害計算が第一になっている人間関係にまみれた者から見ると、そのすがすがしさはまぶしいくらいだ。

しかし、改暦は学問の純粋さとは対極をなすと思われる政治とはもちろん無縁ではなく、春海自身も、改暦事業に関わる中で、暦を相対化するということが、権威そのものを相対化する危険をはらむものだと看破する。「権威の所在-つまり人々は、徳川幕府というものを絶対的なものとして崇めているわけではないのではないか。帝のおわす京、神々の坐す神宮、仏を尊崇する寺院、五畿七道に配置された藩体制。人々が自由に権威を選ぶ余地はいたるところに残されており、しかもそうした余地は、決して誰にも埋めることのできないものなのではないだろうか。」
暦を幕府の力で正確なものに変えることは、幕府の権威を絶対的なものとするためにも必要だったのだ。

しかし、そうした政治的な思惑ですら、作者の手にかかると、やはり公平無私な企みになる。民の安寧のために武断政治から文治政治への転換が絶対必要、改暦はその第一歩と考える家光の異母弟保科正之の徹底した名君ぶり、数々の善政も、自分の手柄とあっては徳川宗家の恥と自分が関わった書類を焼き捨てる忠義と無私(その徳川家への忠誠という家訓のために、幕末会津藩は朝敵とされ白虎隊などの大きな悲劇に見舞われる)にも泣かされる。水戸光国も大きな役割を果たす。それがきれい事になっていない筆力がすばらしい。

元々暦が自然の脅威をコントロールするためのものだということを想起すると、現在の日本政治家にはぜひ見習ってほしいものだ。

全て、歴史の転換点にあって、個人の利益でなく、自らの果たすべき役割だけに集中しようとする人々の姿が、読者に清冽な印象を与えるのだ。

また、主人公のえんとの関係も、甘いばかりの恋愛でなく、えんの自律した女性ぶりも共感できる。

久しぶりに読書の楽しさをどっぷりと堪能させてくれた作品。

『小さいおうち』も悪くはなかったが、なぜ少なくともこの作品が直木賞を同時受賞しなかったのかが不思議でならない。

受賞作 小さいおうち

小さいおうち
中島 京子
文藝春秋


これは純愛の物語である。

ただし、それを板倉にとって生涯を捧げる純愛たらしめたのは、彼の悲惨な戦争体験である。
それが饒舌に語られることがないだけに、タキの描く「小さいおうち」でののどかな暮らしとの対比でいっそう戦争の恐ろしさが読者の心に迫る。

巧みな構成、筆力の秀作である。

表紙の装画はネタバレになっています。読後じっくり見るとわかりますよ。この装画も作品の重要な一部なので、文庫版になっても使ってほしいですね。

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