夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

NANA 花より男子

2008年09月27日 | 読書
話題のマンガ2作品について

NANA

矢沢あいのマンガ「NANA」のすばらしいところは、全く違う生き方をする女性同士が深い友情で結ばれるというテーマだ。

大崎ナナは自立した女性。

母に捨てられたため、祖母に育てられ、援助交際の噂をたてられて高校を中退したという暗い生い立ちを持つ彼女は、地元北海道でのバンド活動とメンバーの蓮との恋(そのため腕に蓮の花の刺青を入れるほど)に生きがいを見出し、メジャーデビューを目指していた。

しかし、蓮だけがギターの腕を買われて違うバンドのメンバーとして東京でメジャーデビューすることになり、二人は泣く泣く別れる。

恋人の成功に伴い、共に上京するという手段も十分ありだと思うし、現実の芸能界を見てもそうするケースが殆どだと思うのだが、ナナは、「ただ蓮についていくことなどできない。自分も音楽で成功して蓮と対等のミュージシャンになる以外に蓮と添うことは考えられない。」といって、訣別するのである。その潔さには感動する。

そして蓮のバンド・トラネスは大スターになる。

それに対して、小松奈々は、自分というもののない女性である。

東京の美大で学ぶ恋人を頼って、就職や住むところの目途も全くない状態で北関東の実家から、東京に出てくる。

その車中で、バンド・ブラストの拠点を東京に移そうとするナナと知り合うのである。
偶然は重なり、二人は部屋探しの途中で再会、ともに同じ物件を気に入ったことから、ルームメイトになることになる。

奈々は美大の彼に振られ、バイトをやっても長続きしない(コピー取りすら満足にできない)、その場その場で流される生き方で、読者もいらいらさせられるし、親友の順子にも「あの子の相手は疲れるよね」といわれるくらいだ。

その挙句、かねてからファンであったトラネスのメンバー巧とただのグルーピーのように関係をもち、その直後に、ブラストのメンバー・ノブに告白され交際するこ
とにし、なんとどちらの子かわからないような妊娠をする。

むろん、美点もあって、「蓮には二度と会わない」と意地を張り通していたナナが蓮と再会するお膳立てをしてあげたりもする。

しかし、普通ならこれだけ生き方を異にする女性同士が親友になることなどないと思うのだが、男との愛情よりも強い絆を二人は結び合うのである。どちらかというとナナの方が奈々に依存しているようにすらみえる。

生き方が全然違う女性がわかりあうというテーマは昔からいいと思っていた。

いわゆるトレンディ・ドラマといわれるものの中で、私が一番名作だと思うのは、1992年、水橋文美江脚本の「さよならをもう一度」である。(私はアメリカ留学中だったが、日本食品店でビデオを借りてみていたのだ。)

ニュースキャスター・秋吉久美子がかつての恋人の医師・石田純一と再会するというドラマだが、その婚約者で上司の娘・石田ゆり子が秋吉に「私みたいに、男性に頼る生き方をあなたは軽蔑するでしょう?」というと、秋吉が「いいえ。男が全てって生き方、私はとっても潔いと思うわ。」という場面が忘れられない。

矢沢あいがデビューした1985年当時、私はりぼんを毎号買っていたので(小学生の一時期毎月買っていたのだが、その後は全くご無沙汰だったが、法学部に進学した頃無性に読みたくなって再開したのである。)、見ていたが、こんな名作を描ける作家と思わなかった。
(矢沢はファンである矢沢永吉からとっているそうだ)

「マリン・ブルーの風に抱かれて」も大甘の凡庸な恋愛ドラマでちっともいいと思わなかったのだが。

ちなみに、同時期にデビューしたさくらももこの「ちびまる子ちゃん」もはじめから読んでいた。連載2年目に入るとき、「まる子の年齢は変わりません。サザエさん方式を採用しました」と書いてあったのには笑った。

NANA―ナナ― 1-21巻 セット (りぼんマスコットコミックス―クッキー)
矢沢 あい
集英社
NANA -ナナ- スタンダード・エディション [DVD]
中島美嘉,宮崎あおい,成宮寛貴,松山ケンイチ,平岡祐太
東宝


NANA 2 Special Edition [DVD]
大谷健太郎,矢沢あい
東宝




映画も「ナナ」「ナナ2」両方見たが、なかなか原作に忠実だった。

しかし、ブラストの成功に伴ってマスコミがナナの実母をつきとめたりするというような暗雲が原作には漂っていて未完結なのに、2の方を「完結編」などといってしまってよいのか。

ナナ役の中島美嘉はまるであて書きしたみたいにぴったりだ(余談だが彼女ってメーテルに似てると思いません?)。
奈々の恋人(平岡祐太)をとってしまうバイト仲間の役はサエコだったが、遅番のバイトの後、終電に乗ろうとして駅の階段を駆け上がるとき、サエコが厚底ブーツでつまずいて転んでしまい、終電を逃してしまう。平岡が「こんな靴履いてこなくても」というと、「わざとよ」といい、その夜二人は結ばれてしまうのだ。(原作通り)
サエコがダルビッシュと婚約した際、交際していた小出恵介から乗り換えたとか、計算高いとか悪口をかかれていたが、その片鱗を覗かせる名演技であった。

「花より男子」

はじめは、つくしは花沢類に魅かれ、類の魅力がかなり丁寧に描かれているのだが、後に天敵だった道明寺司と結ばれる。

原作を読んで、はじめ、「作者は途中で構想を変更したのかな」と思うのだが、よく考えると、道明寺と結ばれるのは最初からの既定路線だな、と思い至る。

というのも、「花より団子」とは、「花」沢類より道明寺(桜餅の別名ですね)の方がいいというテーマを暗示しているからだ。
また、主人公が和菓子屋さんでアルバイトしていること、道明寺の司という名も、和菓子屋がよく「和菓子司」を店名にしていることも関係あるのでは?

でも、やっぱり花沢類の方が人間的に魅力的だと思う。

映画版は内田有紀主演で、道明寺が谷原章介、類が藤木直人(谷原と藤木はこれでデビュー)。

花より男子 [DVD]
神尾葉子
キングレコード



ドラマは井上真央、道明寺が松本潤、類が小栗旬(小栗はこれで大ブレーク。「GTO」にも気の弱い高校生役で出ていたが、同作品で窪塚洋介や池内博之がメジャーになったのに比べて、殆ど注目されなかった。なお、やはりブレーク前の藤木直人も鬼塚の友達の警察官役で出演していた)。

花より男子DVD-BOX
神尾葉子
TCエンタテインメント


しかし、道明寺財閥だけでなく、一条ゆかりの「有閑倶楽部」の剣菱財閥なんかもそうなんだが、マンガでは「○○財閥」っていうのが桁外れの金持ちの記号としてよく出てくるけど、戦後解体されて以来、「財閥」というものは少なくとも表向きはないのだということを編集者は指摘しないのだろうか。

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三浦事件と二重の危険(一事不再理)その2

2008年09月27日 | profession
三浦事件と二重の危険について、本ブログの9月23日のエントリーで、「conspiracyについては二重の危険原則違反にならず、訴追が有効となる可能性がある」と書いたが、

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/6c36f6cce2d950220402433d1c5e3330


ロスの裁判所はやはり、「conspiracyについては日本の刑法にはない概念なので、二重の危険の対象とはならず逮捕状は有効」と判断したと報道された。


アメリカ金融危機についてだが、Harvard 大学全体のパネルディスカッションについてはご紹介したが、Harvard Law Schoolの専門家たちの意見をまとめたニュースレターがあるので、リンクを貼っておく。

http://www.law.harvard.edu/news/spotlight/business-law/25_economic.html

留学時代に授業を受けたHal Scott教授も出ていて懐かしい。

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お知らせ:Harvardにおける金融危機に関するパネルディスカッション

2008年09月25日 | profession
Harvard Law Schoolの同窓会からメールが来て、現在の金融危機について専門家をよんで、パネルディスカッションを現地時間25日16時から行うということだ。

インターネットでも配信するそうなので、関心のある方はぜひ。

以下のメールに詳細があります。

Dear Harvard Law School Alumni,



President Drew Faust has assembled a special panel discussion for the Harvard community this Thursday, September 25, at 4:00 P.M. entitled "Understanding the Crisis in the Markets: A Panel of Harvard Experts." In her invitation to the campus she said, "we are fortunate to have on campus some of the nation's leading scholars and practitioners in finance, policy, law, and other fields relevant to the current situation, and several of them have generously agreed to participate in a special session for the Harvard community to help us understand and interpret recent developments in the U.S. and world markets."



The panel will begin at 4:00 P.M. and will be webcast live at: http://video2.harvard.edu:8080/ramgen/broadcast/FinMktsPanel.rm



The panel will feature the following faculty members:



Robert Kaplan, Professor of Management Practice



Jay Light, Dwight P. Robinson, Jr. Professor of Business Administration and Dean of the Faculty of Business Administration



Gregory Mankiw, Robert M. Beren Professor of Economics



Robert Merton, John and Natty McArthur University Professor



Kenneth Rogoff, Thomas D. Cabot Professor of Public Policy



Elizabeth Warren, Leo Gottlieb Professor of Law





If you would like to hear from some of Harvard's leading experts on the current turmoil in the financial markets, please join us on the web tomorrow at 4:00 P.M.




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人形の家

2008年09月23日 | 演劇
東京に半年振りに帰って(ちょうどセミナーの講師を頼まれていた日にチケットを買っていた)、シアターコクーンでデイヴィッド・ルボー演出の「人形の家」を見てきた。

舞台はリングを想定したらしく、真四角で、360度客席に囲まれている。
その一番前のリングサイドみたいな席で、すぐ近くで堤さんの演技を見られて幸せだった。

夫に愛玩される対象でしかなかったときには人形を座らせている子供用の小さな椅子に腰掛けて話していたノラが、家を出る決意をしたときには、大人用の椅子に座り、夫と面と向かって話し合う、という演出がよくできていた。

「人形の家」は既に一般名詞化している。
1992年に父ブッシュが再選をかけてクリントンと大統領選を争ったとき、注目されたのはバーバラ対ヒラリーという夫人同士の対比だった。というのも、二人ともボストン郊外の名門女子大学ウェルズリーカレッジを母校とするが、バーバラは結婚のために中退している。1990年の同校の卒業式で当時のFirst Ladyであるバーバラがゲストとしてスピーチすることになっていたのに、「結婚のために中退した人の話なんか聞きたくない」という反対運動が起こり、中止になった。
これに対して、ヒラリーは、生徒会長を務め、在学中ベトナム反戦運動の組織を設立する等活動をしながら首席で卒業し、答辞を読み、その内容がLIFE誌に取り上げられ、そのご、Yale Law Schoolに進学してビルと出会い、全米トップ100ローヤーに選ばれるような弁護士になった。
クリントンが勝利したとき、欧米のマスコミは、バーバラは最後の[WHIte Housewife]になり、ヒラリーはWHite Houseという「人形の家」を出る最初のノラになるだろうと書いたのである。

ヒラリーには民主党の候補になってほしかった。オバマもHarvard Law Schoolの先輩なので(ハーヴァード大学全体は今までJFKをはじめ6名の大統領を輩出しているがロースクールは初めてではないだろうか)もちろん応援しているが。

共和党の副大統領候補は、ヒラリーとは全く逆のタイプで、同じ女性として全く共感できない。マケインが当選して任期中に万一のことがあったらこの人が大統領になるかと思うとぞっとする(そうであることは嘆かわしいことなのだが、自民党が政権をとっている限り、誰が首相になるかよりも、米国大統領が誰になるかの方が日本にとっての影響は大きいのではないか).

ペイリンのように、マイノリティなのに思想は保守的というのが、権力者にとって最も都合がいいのだ。表向きは「マイノリティを尊重しています」というポーズが取れるのに、実害はないから。1991年に連邦最高裁判事に指名されたときEEOC時代の元同僚のアニタ・ヒル オクラホマ大学ロースクール教授(やはりアフリカ系)からセクハラを告発され、議会でヒアリングを行うなど大きな騒動になったアフリカ系のクラレンス・トーマスも、予想通り保守的な判決をばんばん出している。(ヒル教授はその後Harvard Law Schoolに講演に来て私も聞きにいったが、美しいし言葉の一つ一つから知性がにじみ出ていて素敵だった)
前任校にもマイノリティなのに腐った権力者にへつらう奴がいて本当にがっかりしたなあ。

女性の自立というテーマを、19世紀の後半に既に描いていたイプセンはすごいと思う。

ノラの夫役の堤さんは男の身勝手さをよく表していてもちろん好演だった(パンフレットによると、「嘘のある家庭はこんな風に欠けている」、と小さな黒板に家の絵を描くアイディアは、堤さん自身が提案したそうだ)が、宮沢りえの演技が特にすばらしかった。NODA MAPの「透明人間の蒸気」「ロープ」ではそれほどいいと思わなかったのだが。

それと、ランク役の千葉哲也もとてもよかった。
同じルボー演出の「令嬢ジュリー」(ジュリー役は若村麻由美)をtptの本拠地ベニサンピット(今度閉鎖されるそうで大変残念である)で見たときや、同じ劇場で「黒蜥蜴」(主人公は麻実れい)の明智役をやったときにはそれほどうまいと思わなかったのだが。
(どうも「黒蜥蜴」は女優がやるとぴんと来ない。三島が自分の中の女性的な部分を主人公に投影しているから、男が演じるとちょうどいいのだと思う)

堤真一は、舞台俳優として開眼したのはルボーのおかげといっている。
実際、1990年「双頭の鷲」で出会い、「テレーズ・ラカン」「葵上・班女」「チェンジリング」「マクベス」「燈台」と続けざまに主演している。

私が劇場に通うようになったのは1997年なので、これらは見逃している。悔しくて、その後tptの会員になって随分通った。堤さん主演・ルボー演出作品は「ルル」「Naked]などを見ている。それ以外のtpt・堤出演作品は、娘に祈りを(ロバート・アラン・アッカーマン演出、1998年)
橋からの眺め(ロバート・アラン・アッカーマン演出、1999年)
ロベルト・ズッコ(佐藤信演出、2000年)
を見ている。

もっとも、1997年以前は、三島由紀夫の作品なら見に行っていた。
当時の銀座セゾン劇場でやった杉浦直樹主演の「朱雀家の滅亡」とか、1990年に国立劇場で、1969年父親による上演後初めて幸四郎が主演した「椿説弓張月」とか。

1990年は三島の没後20年で演劇のプロジェクトが多く、イングマール・ベルイマン演出による「サド侯爵夫人」を見たし、近代能楽集をいくつも上演するプログラムも見た。

実は堤真一、幻の三島作品初出演はこのときで、「卒塔婆小町」の詩人役を予定していたのだが、主演女優が直前に主催者とトラブったために、キャストの総入れ替えがされ、結局出演しなかった。

堤さんが出演者として出ているこの公演の当初のポスターは山中湖三島由紀夫文学館に展示されている。


話をルボーに戻すと、一度、劇場の最寄り駅の森下でルボーを見かけ、「英国人のあなたが三島作品を上演してくれるのが嬉しい。とくに、『燈台』など、初演以来ほとんど上演されていない作品を選んでくれることに感謝している」と話した。

「燈台」といえば、継母と息子の恋愛という、ラシーヌ「フョードル」を本歌取りした作品で、歌舞伎の「芙蓉露大内実記」も同じ題材で描いている。

継母と息子の恋愛というのも普遍的なテーマで、源氏物語の主軸にもなっている(源氏物語1千年紀ということで、現在橋本治「窯変源氏物語」全14巻の9巻目を読んでいるところ。

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木皿泉

2008年09月23日 | 演劇
ビストロ・スマップのゲストに浅丘ルリ子が出演し、中居君に「これまで出演した百本以上の映画の中でとくに印象に残っている作品は?」と尋ねられ、三本くらいあげた中に三島由紀夫原作の「愛の渇き」が入っていたので嬉しかった。

愛の渇き(新潮文庫連動DVD)
三島由紀夫
日活



また、スマップの誰かとのドラマの共演はいかがですか、という問いに対しては、「2時間ドラマなら喜んで。でも、連続ドラマは疲れちゃうからだめなの」といっていた。

例外的に浅丘ルリ子が出演した連続ドラマに木皿泉脚本の「すいか」がある。
浅丘ルリ子は、主人公の銀行OL(小林聡美)と同じ賄い付きのアパートに住む大学教授で、レポートを盗作した女子学生(加藤夏希)の「単位を下さい」という懇願を拒否したところ、その学生が研究室の窓から飛び降りて大怪我をし、その件で責めた理事長を殴って退職する、という役であった。

木皿泉の脚本には、人間同士の思いやりとかささやかな幸せとかをくさくなくあざとくなく描けるという美点がある。

「すいか」にも、心に残る台詞がいくつかあった。

主人公の同僚で大金を横領して逃亡中の小泉今日子を追っている刑事(片桐はいり)対して、単調な仕事、若くないといづらくなる職場で不遇をかこっている主人公が、「私なんか大した仕事もしていないし、結婚もしていないし」卑下すると、刑事が「そんな考え方はおかしいです。あれですか?電車の運転士よりも飛行機のパイロットの方が偉いというような。仕事はね、どれだけ面白い人と出会えるかですよ。私はその点で刑事という仕事を気に入っています。」

また、浅丘教授の友達でゲイである篠山英介の台詞、「私が嫌われるのはゲイだったからだと思っていたけれど、それは自分へのごまかしだったのね。私自身に欠点があるからなのよ。」

すいか DVD-BOX (4枚組)
木皿泉
バップ



木皿泉は、他にも「野ブタ。をプロデュース」や「セクシーボイスアンドロボ」を手がけているが、やはり人生にとって何が本当に重要なのかを訴える内容になっていた。

前者は主人公を原作の男子から女子(堀北真希)に変え、山下智久と亀梨和也(二人で歌った主題歌「青春アミーゴ」がヒット)と3人の美しい友情の話になっていた。白岩玄の原作とは全く違う作品になっていた。

とくに、3人が教頭(夏木マリ)から「2個持っていると幸せになるという人形よ」といって人形を一個ずつもらった後、3人でクリスマスプレゼントを交換したら、全部その人形だった(つまり3人とも自分よりも他の二人のどちらかに幸せになってほしかった)という場面には泣けた。

野ブタ。をプロデュース DVD-BOX
白岩玄,木皿泉
バップ



「セクシーボイスアンドロボ」(これにも浅丘ルリ子は出演していた)では、松山ケンイチがさえないロボットオタクのサラリーマンを演じていて、映画「NANA]の美少年役とも「デスノート」のLとも全く違う役をこなしていて役者としての才能を感じさせた。

ただ、放送予定のある回の設定(篭城犯)と類似の事件が放送の直前に実際に起こってしまったため、その回がお蔵入りになったのがものすごく残念である。

セクシーボイスアンドロボBOX [DVD]
松山ケンイチ;大後寿々花;村川絵梨;塚本晋也;片桐はいり;岡田義徳;浅丘ルリ子
VAP,INC(VAP)(D)

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ミランダルール

2008年09月23日 | profession
オックスフォード大学から、「Mrs. ○○」と私の名前の入った招待状が来た。

アシュモレアン博物館所蔵のピサロ展を大丸東京で行うに際し、大学総長と美術館長が出席するレセプションへの招待状である。

いきたいのは山々だが、その日は大学で卒論中間報告会があるので東京にいくのは無理である。

今の大学は学生の面倒見がとてもよくて、卒論は4年生全員が中間報告を行い、修論、博士論文は、構想報告会、中間報告会、最終報告会まで行うのである。


前のエントリーで米国刑事訴訟法について書いていて、最近(遅ればせながら)見たトム・クルーズ主演「マイノリティ・レポート」を思い出した。

3人の超能力者がかなり高い精度で犯罪を予知するので、未然に犯人を逮捕することができるという未来社会を描いているのだが、そのシステムを用いて犯人を突き止め逮捕する警察官である主人公は、上司の秘密を知ったために、罠にかけられ、自分自身が殺人をする予知を見てしまう。警察から逃亡し、殺人予告の被害者をつきとめたら、息子を誘拐した犯人であることがわかり、本当に殺しかける(実際は上司に雇われた男がそのふりをしていただけだった)。しかし、男にピストルを向けながら、「あなたには黙秘権がある、あなたの発言は裁判で不利に用いられることがある、あなたには弁護士を代理人に雇う権利があり、金銭的に無理な場合は公選弁護人をつけることができる」と話しかけるのである。

この4つを逮捕の際告げなければならないのはミランダ・ルールという米国刑事訴訟法上の一大原則である。

一度は犯意を抱いても、良心に妨げられそれを翻すことができるのが人間である、という重要な真理を主人公が体現する本編最大の見せ場だが、ミランダ・ルールが一般人に広く知られていなければ、主人公が「あなたには」と言い出したその瞬間に何が起こっているのか(殺すのを思いとどまり逮捕することにしたこと)が観客にわからない。

つまり、それくらい重要な法律の内容が周知されているということで、さすが長年陪審制度をやってきた国らしい。

私が日本の裁判員制度に反対する理由は多々ある

「裁判員制度への懸念」http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/2c281cde9768e584ea315a5ff12b3efd

が、こうした背景の違いも不安材料の一つである。

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三浦事件と二重の危険(一事不再理)

2008年09月23日 | profession
元妻殺害に関してサイパンで逮捕され、先日カリフォルニアへの移送が決定した三浦事件であるが、弁護人は「一事不再理に反する」と主張している。

刑法は私の専門ではないのだが、私見では、一事不再理(二重の危険)違反にならない可能性もあると考えている。

今回は、殺人そのものでなく、Conspiracyで逮捕されているからだ。

Conspiracyを日本のマスコミは「共謀罪」と訳しているようだが、正確ではない。

Conspiracyは、日本の刑法にはない概念であり、原則的には
①二人以上の合意
②合意を成立させる意図
③合意した内容を実現する意図

があれば成立する。

なお、④overt act (外的行為)も要件とする州が多いが、[overt」の定義はかなり、緩やかなものである。

何をする合意かというと、従来は公序良俗に反することなら何でも、と解されていたが、最近は犯罪に限定される傾向がある。

①の合意だが、Model Penal Codeの考え方を採用する州では、一方の意図が本心ではないfeigning agreement(他方が覆面捜査している刑事などの場合)でも成立するくらいだ。

ちなみに、前に、このブログでも、「米国法では親子・兄弟の特別扱いはなく、夫婦のみ特別扱いする」と書いたとおり、夫婦は一心同体なので、かつては夫婦間にはConspiracyは成立しないと解されていた、というのが面白い。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/402294ebd5145f24f8097edbef6e3da1

日本の刑法に置き換えると、予備罪(殺人、放火、強盗、身代金目的略取罪にある)に近いが、殺人などの本罪を犯した場合は、予備罪込みで包括一罪になるのと違い、Conspiracyは、その意図通りの犯罪を遂行した場合も、包括されることはない。別の罪として独立に罰せられる。場合によっては、本罪よりも重い罰が科されることもある。

というのも、殺人などの本罪の保護法益が人の生命等であるのに対し、COnspiracyは公序を保護法益とする犯罪と考えられているからだ(もちろん、公序違反を広く解釈しすぎるのは憲法違反とされている、という留保つきだが)。

なお、「本罪で訴追されたことがあるという理由だけで、Conspiracyで訴追することが二重の危険に反し禁止されるということはない」という判例もある(United States v. Felix, 503 U.S. 378(1992))。

ただ、日本で訴追された内容に米国刑法にいうConspiracyの部分も入っている、という反論は可能だろう。

裁判の行方が注目される。

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米国の金融危機

2008年09月23日 | profession
サブ・プライム・ローン問題で始まった米国の金融危機は、リーマンブラザーズの破綻に見るように、抜き差しならぬ状況になっている。

あらゆる債権を証券化し、格付して販売するレバレッジ金融、際限なく高度化する金融工学に基づくデリバティブ商品の開発など、米国の金融市場が実経済からかけ離れたものになっていったことが原因であろう。

そもそも、1999年のGramm-Leach-Bliley Actで業際問題を実質的にクリアした後も、Commercial BankはFRBの厳しい監督に服し、Investment Bankは比較的自由度の高い(といってもサーバンス・オックスリーアクトで多少の厳格化はされたが)SECの監督を受ける、という区別をしてきた金融監督行政モデルが、こうした米国型金融には合わなくなってしまったのである。

前者が厳しい監督に服すのは、預金者保護の必要があることに加え、Systemic Risk (銀行一行が潰れると、いわゆるBank Run現象が起きるため、銀行業界全体が、ひいては経済活動全体がcollapseすること)はCommercial Bankにしか発生しないとされてきたからである。

しかし、証券化商品、デリバティブ商品、とくにCDS(Credit Default Swap)によって、数え切れない金融機関が業態や国境を越えて、互いに相互依存関係にあり、Investment Bankだからsystemic riskはないということはもはや通用しないようになってしまった。

米国当局もこうした事態に手を拱いていたわけではない。

数年前から、SECは、Bear Stearns, Goldman Sachs, Lehman Brothers, Merril Lynch, MOrgan Stanleyの5つのInvestment Bankグループを、consolidated sypervised entities(SCEs)として、SCE Programと呼ばれる監督の強化を進めてきた。

そのプログラムでは、本来commercial Bankに課されるBIS規制(自己資本比率規制)で要求される10%以上の自己資本比率をクリアすることをCSEに課し、毎月自己資本比率をSECに報告する義務を課した。

また、流動性リスクについても、EUのFinancial Conglomerates DIrectiveと軌を一にするほど厳格にコントロールするようになっていたのである。

しかし、今年3月のBear Stearnsの危機においては、SECのChairmanであるCoxも予想していなかったといっているのだが、自己資本比率にも流動性リスクについても基準をクリアしている同社が資金調達できなくなり(もっとも従来優良担保とされていた米国債の価値が急落していることもあるが)、本来Investment Bank救済は行わないFRBが救済措置を講じた上でJPMorgan Chaseが合併することになった。

http://banking.senate.gov/public/_files/CoxOpeningStatement.pdf

また、こうした垣根を越えたFRBによるInvestment Bankの監督は、今年の7月にSECとの間で覚書を交わして継続することになったが、既に米国の金融危機は末期的症状で、今回の事態に至ったというわけだ。

しかし、米国政府はリーマンは救済せず、前述のCDSで大打撃を受けたAIGは巨額の公的資金を投入して救済した。保険契約者の保護の必要が理由として説明されている。

このCDSは、債権を保有したまま信用リスクだけをヘッジできる商品で、ペースになる債権がハイリスクでも、証券化の際CDSをつければ高い格付を獲得できるので、不良債権化しそうな債権でもこれによって資本市場に出すことができるなど(CDSの40%以上がジャンクボンドにつけられている)のメリットから、隆盛を見た金融商品で、2007年末の残高は62.2兆ドルにも達する。しかし、所詮はババ抜きのようなもので、AIGのようなCDSの発行者が大きな損害を被ることになるのである。CDSは保険類似の商品といっても、保険のように大数の法則による適正なプレミアムの算定ができないし、そのリスクには信用リスク・市場リスク・流動性リスクなどが複雑に絡み合っているのである。

日本では、①リレーションシップ・バンキングの文化や、②債権のセカンダリーマーケットが欧米ほど発達していない(たとえば、バブル絶頂期の邦銀は、1986年、ユーロトンネルプロジェクトに当事者である英仏の銀行団よりも高額の融資を行ったが、不良債権化し、殆どの邦銀が欧米のセカンダリーマーケットで売却した)、③債権の簿価が取得原価なのに、CDSになると時価会計になり、齟齬ができる、等の理由から、欧米ほどにはCDSは利用されていない、というのが不幸中の幸いである。


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ホルモー六景

2008年09月15日 | 読書
本ブログでも私の血中京都大好き濃度を高めた作品と紹介した、京大法学部出身・万城目学の「鴨川ホルモー」の外伝となる6篇を集めた作品で、非常に面白かった。前作だけでなく、後で触れる「鹿男あをによし」との関連や、プロローグがうまい伏線になっているのも、梶井基次郎やクラーク博士まで登場する縦横無尽さも作品に無理なく生かされていることも、ポイントが高い。また、ホルモーはどうやら京都だけのものではないとわかるのも、さらなる続編への期待を高める。


ホルモー六景 (角川文庫)
万城目 学
角川書店(角川グループパブリッシング)



同じ作家の「鹿男あをによし」は去年ドラマ化されたが、主筋とは全く別に、明らかな「坊ちゃん」へのオマージュ作品になっている。

鹿男あをによし (幻冬舎文庫)
万城目 学
幻冬舎
ホルモー六景 (角川文庫)
万城目 学
角川書店(角川グループパブリッシング)


東京から奈良の女子高に赴任する教師が主人公、悪役の教頭は赤シャツ(だからドラマで児玉清はいつもピンクのワイシャツをスーツの下に来ていた)で、協力する同志は堀田という女子生徒、同系列の京都校にはマドンナ(ドラマでは柴本幸)がおり、主人公は奈良公園で鹿せんべいを齧ってみた翌日黒板に「鹿せんべい、そんなにうまいか」と落書きされたりする。

マドンナは「坊ちゃん」では野太鼓であった美術教師(佐々木蔵之助)と結ばれるというのがちょっと違うが。

また、京都校の先生が長岡先生、大阪校の先生が南場先生というのも面白い。

小林信彦の「うらなり」もそうだが、このように、本歌取りができるのは、本歌の内容がよほど人口に膾炙しているからである。若い人の読書離れでそういう作品が減っていくのが淋しい。

中村吉右衛門も、小さいときに祖父の養子(先代吉右衛門の娘である母親がが先代幸四郎との結婚を「家が絶える」と父に反対されたところ、「私は必ず男の子を二人生んでひとりをこちらの後継ぎにします」と約束してその通りになったそうだ)になり、ぐれかけていたのを「坊ちゃんの清のようなばあやが献身的に可愛がってくれたおかげで、今日の自分がある」といっている。


ドラマ化の際、原作では男だった「かりんとう」こと藤原先生を女にして綾瀬はるかに演じさせたのはちょっと違和感があったけれど、1クールもたせるには主人公の恋愛も描くという工夫も必要だったのか、と終わってみれば納得。


鹿男あをによし DVD-BOX ディレクターズカット完全版
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小説やマンガを原作にしてドラマ化する際、登場人物の性別を変えるということは、割とよくあることで、その嚆矢が「カバチタレ」。両方男だった主人公を二人の女性に変え、女性としての生き方まで考えさせるという大森美香の脚本はすばらしい。法律ドラマとしてもよくできているので、とくに心裡留保の説明のために、大学の講義でも学生に見せたりしている。常盤貴子の弟役の当時10代前半だった山下智久も初々しい(ジャニーズの中で顔が美しいと思うのは彼だけである。)

大森美香は「君はペット」もすばらしかったが、何かで脚本賞をもらった「不機嫌なジーン」はオリジナル作品。ともに理系の研究者である主人公の竹内結子が恋人の内野聖陽と再会を約して別れるとき、「絶対戻ってきてね。材木が倒れてきて死んじゃうとかいうのはなしにしてよ」というのに笑った。

堤真一が初めて民放連続ドラマに出た1996年の「ピュア」(最近太郎次郎の太郎と結婚した栗原美和子プロデュース、龍居由佳里脚本)で、イデオサヴァン症候群の和久井映見と一匹狼の孤独なフリー記者の堤真一が心を通わすというドラマだが、視聴者としては、「結ばれたとしても障害を乗り越えられるのか」と不安になったところ、和久井のもとに急ぎ向かおうとする堤が走っていて倒れてきた材木の下敷きになって死ぬというあまりにも安易なオチだったことを、大森は皮肉っているわけである。

「弁護士のくず」でも、主人公に振り回される新人弁護士をドラマ化の際女性から男性(伊藤英明)に変えていたが、これも成功例だろう。

「ガリレオ」については、原作では湯川学(福山雅治)に相談する同窓の刑事は男性だが、ドラマではその草薙刑事(北村一輝)は湯川のおかげで本庁に栄転するので、彼が所轄の女性刑事・内海薫(柴崎コウ・原作にはないキャラクター)に湯川を紹介し、男女のコンビができるという変更が行われていた。これは、はじめは反発していた内海がだんだん湯川に惹かれていくという展開を可能にするため。

しかし、原作では湯川はこんな変人ではない。それはそれで面白かったのだが、ドラマで最も気になったのは、准教授が研究室のトップになっているということだ。理系は多くの大学で講座制を採用し、教授の名を冠した研究室になっており、ナンバー2たる准教授がひとりいて、あとは講師、助教、助手、ポスドク研究生、院生、学部生と、厳しい序列・徒弟制度の世界だ。准教授が研究室を主宰しているということはないと思うのだが。(ドラマのように助手が准教授より年上ということは稀にはある。しかし、ポスドク研究生が助教のみならず准教授より年上というのはかなり悲惨なケースであろう)

直木賞作品「容疑者Xの献身」(私は「白夜行」で受賞すべきだったと思う)の映画化ではキーマンを堤真一が演じるとのこと、「続三丁目の夕陽」「クライマーズハイ」、クサナギ君が主演してた映画に続き、舞台の合間にどんだけ映画に出るのかと感心するが、その登場人物はおよそ女性にもてない男性という設定なので少し複雑である。

しかし、数学者という役柄は堤真一大ブレークのきっかけとなった「やまとなでしこ」(2000年)と同じだ。「愛は、年収」というキャッチフレーズのこのドラマは財力のみで男を選ぶCA・松嶋菜々子が貧しい魚屋(後に米国の大学講師)・堤真一と結ばれるという筋書きだが、ヒロインの計算高さと相手役の数学者という役柄が符牒になっている。当時も不思議だったが、一度は研究者になるのを諦めて魚屋になった者に教授(柴俊夫)が米国の講師の口を世話するかという点が、大学教員になった今いっそう疑問である。いくらでも研究室に就職を世話しなければならない院生やポスドクがいるだろうに。

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附属高校120周年

2008年09月15日 | 読書
私の母校、筑波大附属高校から、行事などの知らせが来た。

出身大学よりこちらの方に思い入れがあるので、東京のマンションもそのすぐ近くに買った。東京の下町・葛飾区の中学を卒業して附属に入ったときのカルチャーショックは、附属の大先輩の小林信彦の「日本橋バビロン」の以下の一節に深く共感するほどの、いや、それ以上のものであった。

「春日町めがけて都電がぐっと下ってゆく時、私は軽いうつ状態になった。うつ状態などという言葉は知らなかったが、自分が落ちてゆく気分はいやなものであった。
 はっきりいえば、自分が山の手の<文化的環境>から、下町という<非文化的な環境>に吸い込まれてゆくことへの抵抗感である。
 私の学校名は東京高師付属高校から新教育大学附属高校にかわっており、焼け跡に建てた二階建ての校舎で授業を受けていたが、生徒たちの交す会話はユーモラスで、シニカルで、二、三代かけなければ涌いてこないものだった。-自分の不幸を生な形で語らないこの気風が私に合っていた。下町はそうではない。生な不幸が続いていた」

小林信彦は下町といっても現在の中央区東日本橋出身である。その小林でさえこうだったのだから、隅田川も荒川も越えた外つ国に住んでいた私には同級生たちはまぶしいばかりで、そのコンプレックスは今も続いているのである。

日本橋バビロン
小林 信彦
文藝春秋



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引越のこと、大阪のことなど

2008年09月15日 | Weblog
今回の引越は初めてする3月末の引越だったが、本当に大変だった。

まず、2月に予約しようとしても3月末は殆ど空いていなかったので、東京からの引越は業者も日程も限られていた。ちょっと甘く見たようである。次回来年の3月に夫がまた転勤になり、私が大学の近くに引越する可能性があるので、今度は早め早めに動こう。

とはいえ、前任校のある町(仮にソモラ市とする)からの引越はまだましだったので、そちらは前の引越で対応が良かったY社を使い(A社とS社も見積もりしてもらったが、S社は結局見に来た後見積もりをださなかった。問題外である)

東京からの引越は他の選択肢がなくA社になった。
なお、海外引越には17年前の留学のときから一番強いとされるN社を使っていたのだが、6年前香港から東京へのの引越の際、見積もりより値段が高くなったり、台所の引き出し丸まる1個分を梱包し忘れられ、嫌な思いをしたので、使う気はなかった。

また、超ピークなので料金が高く、二人合わせて200万円くらいかかってしまった。といっても、荷物はかなり多かったし、東京から大阪へ、ソモラの研究室から今度の任地の研究室へ、ソモラの官舎から大阪へ、さらに官舎から研究室へと運ぶ荷物があり、複雑だったから仕方がないかもしれない。

研究室の引越の際は、学部図書館の職員の方が引越の作業員全員に飲み物を差し入れてくださったり、ありがたかった。
研究費で購入したものの中で、備品扱いのものは置いていかなければならないが、書籍は備品扱いで購入したものと消耗品扱いで購入したもの(これは持っていける)があるので、その分別も大変だった。

まず研究室を引き払い、次に官舎を引き払ったのだが、搬出が完了してから管理人さんに確認してもらうまで1時間くらいあったので、ソモラ市の中で唯一まだ見ていない観光名所(転職が正式に決まった去年の6月から、今年で最後なので県内の名所を精力的に廻った。まだ来ていない父も呼んだ)の古い小学校を見に行ってきた。予約本がすぐ来る(ベストセラーは文京区図書館では半年かかるがここでは1-2週間で回ってくる)のでものすごくお世話になっていた市の中央図書館(今回ソモラを、そして前任校を離れる際の未練は読書環境が劣化することだけだった。案の定、大阪市内の図書館ではかなり時間がかかる。ああ、もう一つ、上川隆也の出ているローカルCMを見られなくなることもあるか)の隣にある。

二度とソモラ市(県内の他の所にはいくかもしれないが)には戻ってこないつもりなので、再現された昔の教室の机にあった石版ノートに「さようなら、ソモラ」と書き(ご自由にお書きくださいとあったので)、少し考えてから「ありがとう」と付け足した。

なぜさほどの恨みと絶望があるかは本ブログの以下の項を参照。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/0b6a262a747af132f0e6bbfa36f331fb

築50年近く、点検に来た地元のガス会社の人に「どうして大学の先生なのにこんなところに住んでいるんですか?」といわれた(ソモラの人間にはこういうずけずけしたところがある)ようなぼろい官舎だった。

管理人さんが点検して「とてもきれいに使っているので原状回復費用は最低価格ですみます」といわれたが、それでも8万円以上かかった。でも、家賃は5000円あまりだったので、原状回復費用を住んでいた4年10ヶ月で割ればgood dealであることに違いはない。

東京の家は、借り手がなかなかつかなかったのだが、結局高名な脚本家が借りてくれることになった。

搬出よりも大変だったのは搬入。

研究室は、学部長が気を利かせて院生を手伝いによこしてくれたのでだいぶ助かった。院生の人たちも優秀で、膨大な書籍や資料ををちゃんと分類して書架に納めてくれた。X学部長は、学問の業績も、こうやって気使いしてくれることも、激務の中で本当にすごい人だ。学部長/研究科長を尊敬でき、全幅の信頼が置けるのは、初めての経験で涙が出る。やっぱり前任校が異常だったのだろうと思う。

問題は自宅だが、はじめは「この荷物は絶対に片付かない」と途方にくれた。
東京の家が180平米、官舎が40平米、足して220平米分の荷物300箱以上を96平米のマンションに詰め込むのだから、無理もない。2週間ほどは、寝る場所を確保するのがやっとだった。

夫はものを持たない主義(スーツは全部で10着もない。靴は普段用と通勤用と運動靴の3足しかない。下着も一週間分しかないので長い旅行だと途中で洗濯する)の人なのでその固有の荷物は全体の10%くらいだ。共有のものが20%、私の物は70%。大半は本と服である。仕事関係の本は研究室にあるのにである(引越屋さんにも「家庭の引越でこんなに本が多いのは初めてです」といわれた)本はだいぶ東京のトランクルームに入れてきたのだが。だから、仕事に使う本以外は図書館で借りるのである。

今回ほど、自分の物欲という煩悩の強さに嫌気がさしたことはない。
お金をかけて自分を苦しめるものを贖うなんて、自分は世界一の愚か者だとさえ思った。あれもこれも買わなければどれだけ貯金ができてたんだろうとか。電車に乗って向かいの人を見れば「この人は困るほど荷物をもっていないんだろうな」と思ったり、完全に引越ノイローゼ状態だった。
それで、今回は、これまでの人生で初めて物を盛大に捨てた。
全くエコに反する人間である。

用事があって(引越の作業でアンクレットが切れてしまいスタージュエリーに修理を頼みに行った)近所の高島屋に行っても、以前は「素敵だな、ほしいな」と思ったような商品が、「買えば自分の快適な人生を邪魔するもの」という憎い敵に思えてくるから不思議だ。それ以来、本当にものを買わなくなった。

ダンボールの空き箱は、A社が一回しか取りに来ないというので置き場所に困ったが、西の秋葉原、日本橋(にっぽんばしと読む)という場所柄、隣の隣が古紙回収会社なので、そこに持っていくと、買い取ってくれるので助かった。

その古紙回収会社には大きなリヤカーにたくさん段ボール箱を積んで運んでくる人がたくさんいるのだが、ペットをリヤカーにつないで行動を共にしている人もいる。

大きな犬2頭をつないでいる人はよく見たのだが、先日7匹の子猫をリヤカーにつないで移動している人を発見。かわいいので思わず抱き上げたら、一人ひとりに「麻子」とか名札が付いていた。みな同じ大きさなので「兄弟ですか」と飼主にきくと、そうだとのこと。写真を撮らせてもらってアップしておいた。

リヤカーといえば、この界隈をリヤカーに自著を載せて売り歩いているおじさんもよく見かける。「宇宙人のツッコミ」という本で、世界のいろいろな現象や出来事は宇宙人のせいだそうだ。TVの大阪ローカル散歩番組で日本橋をとりあげたときにも登場したが、レポーターの月亭八光が金木というおじさんの名前を金本と読み間違えたら即座に「なんでかねきがあにきになるねん」と突っ込みをいれていた。

同じ散歩番組でも、東京でやっていた「ちい散歩」という地井武男が一つの町を散歩して住人と触れ合うという番組(全国ネットで放映している「33分探偵」というゆるーいドラマで堂本剛が「散歩で30分もたせられるのは地井武男くらいだ」といっても「ちい散歩」を放映していない関西をはじめとする地域では意味がわからないと思う。また、ソフトバンクのCMで谷原章介と優香が出てきても、「王様のブランチ」が見られない地域では(関西では見られなくて淋しい。ソモラでは前半だけ放映していた。)意味がわからないだろう。広告代理店はなぜ気づかないのだろう)と違うのは、こんなふうに素人がいきなりTVカメラを向けられても必ず面白いことをいうことだ。

別の町の回では、普通のおばさんが八光を拉致して自宅に引きずり込み、家族のアルバムを見せてひとりで喋り捲っていた。素人が自分から地井武男に絶対話しかけることのない「ちい散歩」ではありえない光景だ。

大阪ミナミはディープな町である。

2月に不動産物件を見て廻ったとき、不動産屋さんに「他にはない光景ですので、車で通ってみましょうか」といわれ、飛田新地を通ったときの衝撃は忘れられない。間口一間くらいの店のひとつひとつに、着飾った若い女性が座り、その前におばさん(多分やり手婆)が一人立っている。若い女性はきれいに化粧しているが、目がどこか泳いでいる。こういう場所がまだ日本に残っていたのかと驚き、売春防止法との関係ではどう説明しているのか知りたいと思った。

が、ダンボールを運んでいる人たちの境遇のことも、飛田新地のことも、住み始めたばかりのよそ者がコメントを軽々にいえることではないと思う。

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伊藤和也さんを悼む

2008年09月11日 | Weblog
アフガニスタンでタリバン系の武装集団とされるグループに拉致され、殺害されたペシャワール会の伊藤和也さんの死に衝撃を受けた。

アヘンの原料になるケシ栽培をやめた土地で米・野菜などの耕作を指導する、文字通り地に足のついた援助を行っていた無私・善意の人が命を絶たれたことが無念でならない。

ご両親がまた冷静で恨み言も口にせず、非常に立派だった。

ペシャワール会代表の中村哲医師とは、数年前、前任校の医学部が主催した講演会で、質問させていただき直接話させていただいたが、地位も名誉も金もいらず、ただ困っている異国の普通の人々ために働きたいという純粋さが伝わってきた。

今度の事件で、ペシャワール会は日本人スタッフ全員をアフガンから撤退させることを決定したとのこと、中村代表もさぞ悔しいであろう。

9・11の後、アメリカのアフガン攻撃があり、一時はタリバンを弱体化させることができたが、戦後処理がうまくいかず、またタリバンが復活しつつある。

アメリカのアフガン攻撃前は全く身の危険を感じることはなかった、という中村医師の言葉が皮肉にも思い出される。アメリカは他国に介入するなら無辜の民が命を落とすことがないよう最後まで責任をもつべきではないか。

1972年のミュンヘンオリンピックでパレスチナゲリラが選手村を襲い、イスラエル選手11名を惨殺し、その後、イスラエルが報復に動いたという、血で血で洗う抗争を描いた『ミュンヘンーオリンピック・テロ事件の黒幕を追え』を読み、私が英国留学中の1993年にツアーでイスラエルを訪問した際(そこで2002年に再会した経緯をこのブログでも書いたユダヤ系オランダ人のユーディットと出会ったのである)、女性一人参加ということで、空港で私だけが別室に行かされ、何人もの係員にしつこく何度も「誰かから何かを預らなかったか」と聞かれたのがなぜかよくわかった。

英国の二枚舌戦略に翻弄されるユダヤとパレスチナの問題、互いのテロ行為はエスカレートしてゆき、とくにイスラム世界と他の「文明の衝突」は深刻さを増し、21世紀当初にはついにイスラムテロリストはNYやペンタゴンをターゲットにしたジハードに走る。

そしてそれを契機としてアフガン戦争、ついでイラク戦争という世紀の愚考に走るアメリカ。

私たちはこのような世界に生きているのである。

どこかの政党の国民の税金を使って行う総裁選という茶番劇が注目される国、伊藤和也さんのような善意の人の死の意味を深く考えない国、アフガン問題に責任をとらないアメリカに追従ばかりする国、その一員であることを心から恥じる。

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