夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

祝!オバマ大統領誕生!!!

2008年11月06日 | profession
ハローウィンでもある誕生日が過ぎ(確かケルトの古代信仰で、翌日神々が登場するから、その日に悪魔や妖怪が一斉に出てくるという日なので、ちょっと複雑である。蒋介石も同じ誕生日である。なお、アメリカに留学した年の誕生日をメキシコで過ごしたのだが、メキシコではこの日は故人の好物などで祭壇を飾りつけ、髑髏のオブジェをおくというまるでお盆みたいな祝い方をしていた)、三島由紀夫が亡くなった年齢を超えてしまった。

改めて、短い人生の間に残した作品の質・量のすごさがわかる。それにひきかえ、私は研究者としてまだまだ半人前なのが恥ずかしい。

アナウンス効果とか、ブラッドリー効果とかが心配されていたが、オバマが勝利して本当にうれしい。

アメリカは自由と多様性=Diversityに絶対の価値を置く国だが、本音と建前の違いも激しくて、人種差別主義者も多いのに、アフリカ系を選挙で選んだのだ。(惜しむらくは、彼が、大多数のアフリカ系アメリカ人のような奴隷の子孫ではないことだが)アメリカの民主主義は死んでいなかった。

ただし、イラク戦争は泥沼化し、未曾有の金融危機にさらされ、アメリカ型の政治・経済政策の失敗と限界がかつてないほど深刻に認識され、いわばアメリカ人全員が自信を喪失し、大きな変革を望む風潮がなければ、どうなっていたかわからない。

こういうところが、アメリカには批判すべき点が多いといいつつ、アメリカを憎みきれない理由である。(「そんなにアメリカが嫌いならなぜアメリカの弁護士資格を取ったのか」などと検討違いな放言をする輩もいるが、批判するためには、国の基本になる法律を十分知っておくべきだ、と思い、40を過ぎて過酷な受験勉強をしてニューヨーク州の弁護士資格をとったのは、きちんと批判する資格を得るためでもある。もちろん、資格をとった主な理由は、前任校の法科大学院で英米法を担当することに決まったからだが)

確かにアメリカは度し難い部分のある国である。しかし、たとえば、911で家族を失いながらも、憎しみの連鎖を断ち切るための平和運動に従事する人々がいて、ひどい迫害(何回引っ越しても家の庭に汚物を投げ込まれるなどの嫌がらせをされたり、子供が学校でいじめられたりする)を受けても尚、ひるまないという事実を知ったりすると、この国の底力をつくづく感じるのだ。


もともと私はもちろん、民主党支持派だが、オバマはHarvard Law Schoolの先輩でもある。Harvard大学全体では、ケネディをはじめ8人の大統領を輩出しているが、Law Schoolは、初めてではないだろうか。

新聞の経歴欄にあった、「アフリカ系で初めてHarvard Law Reviewの編集長になった」という件について、なぜそれがわざわざ経歴に出ているか疑問の人がいるだろうから、説明する。

日本の大学の紀要は、査読がある方が珍しい(なお、前任校の法科大学院は、業績の虚偽申告の不祥事のあと、査読制を取り入れた。私は就職してから辞めるまでに発行された全ての紀要に論文を掲載した)のだが、アメリカのロースクールの紀要には全て査読がある。Harvard Law Schoolには、Harvard Law REview 以外にも、Harvard International Law Reviewなどたくさんの紀要があるが、全世界から論文が投稿され、とくにHarvard Law Reviewに掲載されることは、ものすごいstatusである。

なお、4月1日はそのパロディ版"Harvard Law Revue"が別の学生グループによって出版されるのだが、私が在学していた1992年のそれは、Harvard大学の近くで惨殺された、New England Law Schoolのフェミニズム法学を専攻する女性教授でもあり、HLS教授の妻が書いた未完の論文"A Psostmodern Feminisit Legal Manifesto"(法廷で以下に白人男性のみが優遇され、女性が差別されたものを力説したもの)を"He- Manifesto of Post-Modern Legal FEminism"という題で、「私は男狂いだ」といういような内容に書き換え、揶揄する非常識なものだったので、関係した学生が処分を受けた.

なお、このパロディ版には、47名の教授によるものをはじめ、学生や様々な市民団体からも正式な抗議文がだされたのだが、このことは、大学に於ける言論の自由についての論争に発展した。ダショーウィッツ教授がロスアンゼルス・タイムズに「リベラリスト、フェミニストの多いキャンパスではそうでない者の言論の自由は抑圧される」という記事を発表したのに対し、トライブ教授が反駁し、二人の間に論争が展開された。

また、この学生の処分が、教授採用におけるマイノリティ差別に抗議して座り込みをした学生の処分よりも軽かったことも、大きな問題になった。

HLSでは、客員教授がテニュアをとるというコースが多かったのだが、候補者がいる間に投票するのは不適切だというので、彼女/彼が母校に戻ってから投票をするルールが樹立されていたところ、HLSでテニュアが承認されたときには既に母校でテニュアをとってしまっていた、という例が多く人材流失を招くので、このルールを「投票を延期できない特別な事情がある場合は」適用しないことになったのだが、この例外の適用の仕方が、マイノリティや女性については原則通りにし、Caucasianの男性については例外として早期に投票をするというように恣意的に運用されており、そのために現にたくさんのマイノリティや女性教員がHLSでのテニュアをとり損ねているということで、学生運動が、当時かつてないほど盛り上がっており、抗議のため座り込みをする学生がいたのだった。

この機運を受け、HLSでアフリカ系として初めてテニュアをとったデレク・ベル教授が、「HLSが有色人種の女性にテニュアを与えるまで、戻ってこない」と宣言して自主的にHLSを休職してNYUで教えていたところ、HLSに来て講演を行ったりした。その休職期間の満了が迫っていたので、ベル教授がHLSの職を永遠に失いそうになっている折も折、教授会が4人ものCaucasian男性の教授にテニュアを与えたので、学生の怒りは爆発し、連日のように抗議集会が開かれたり、「Deanの回答期限まであと○日」という宇宙戦艦ヤマトのようなポスターが貼られたりしたのである。

だから、パロディ事件が起きたとき、グループ15と称する学内有志が「この事件は、個人の中傷にととどまらず、HLS全体に巣食うsexismと racismという病気の一症状ととらえるべきで、教授の採用上の差別も同根である」という声明を発表した。

また、パロディ事件の犯人の処分が、先の差別に抗議して座り込みをした学生の処分よりも明らかに軽かったのに抗議して、9人の学生がDean室で、Deanの退陣を迫って、4月6-7日に徹夜で24時間の座り込みをする事件がおき、マスコミもかけつけるほどの騒ぎになった。彼らは、その部屋のある建物の名前をとってGriswold(HLSの建物の名前は過去の偉大な学者にちなむ)9と呼ばれ、英雄視され、そのうちの1人の女子学生は、その直後の選挙で次年度のHLSの学生代表に選ばれたほどだ。

そのGriswold9の処分のための公聴会にもたくさんの学生がつめかけ、大学側と学生側にそれぞれ教授等(大学側は私も会社法を習ったVagts教授、学生側は、財産法のフィッシャー准教授と学生人権連合代表の3Lの学生)が弁護人としてつくという手続が行われた。

5月に発表された処分はWaitingという処分の中で最も軽いものだったので、9人の中に、Asian Women Student Associationで仲良くしていた中国系のルーシーが入っていたので私もほっとした。
とはいえ、こうしたことで学生が処分されるのは、1970年代以来のことだった。

こうした学生の執行部への不信は卒業式まで続き、抗議のためにガウンの袖に白いリボンを巻く(私も巻いた)学生が多く、また、本来ならひとりひとりDeanから卒業証書を手渡されるところ、それを拒否して、Deanの前を素通りして事務員から証書を手渡される手続を選んだ(そういう手続を学生の要求に応じて用意するHLSもすごい)学生もたくさんいた。私は熟考した末、恥ずかしいが、企業派遣ということもあり、個人の判断だけでそうすることが躊躇われ、Deanから受け取ったが。

「予備校のような授業をしろ」などと要求し、教科書も買わずに予備校本を授業中読んでいる日本の法科大学院の学生との、何たる違いであろうか。

Law Reviewに話をもどそう、愕くべきことは、日本なら、教員が編集委員になって編集するのを、アメリカでは、学生が編集委員になって編集・査読を行うのである。編集委員には、よほど成績が良くないとなれない。law Schoolの学生時代に「Law Reviewのeditorだった」というのは、すごい経歴ということで、必ず履歴書に書かれるので、学生はみななりたいが、成績による厳しい選抜がある。編集長であったということは、事実上、オバマは首席の学生だったということだ。本当に頭の良い人なのだなと思う。

(なお、Harvard Law Schoolでは、1階でボランティアの学生が貧しい人に無料で法律相談に応じている建物の2階が、このHarvard Law Reviewの編集室だった。同じ建物の1階に弁護士報酬の払えない人々がいれば、2階には将来を既に約束された全米トップエリート中のエリートがいるという実にアメリカ的な構図だなと感じた)

アメリカのロースクールはこのように全てが成績で決まるシビアな世界だ。1年生と2年生の夏休みに学生が参加するSummer Internshipでどの法律事務所で働けるかが卒業後の進路を事実上決定するのだが、それも成績次第。この時期になると、友達のJD学生は、リクルートスーツで必死の形相で歩いていた。

オバマは、このInternshipで行ったシカゴの法律事務所で同じHLS出身の弁護士・ミシェルさんと知り合って結婚するが、首席のオバマが行くような法律事務所で弁護士をしていたミシェルさんもまちがいなく超優秀な弁護士だったのだろう。彼女(こちらは奴隷の祖先をもつアフリカ系)の両親は貧しく、奨学金を受けてHLSに行ったという苦労人でもある。演説も上手で、First Ladyとして、すばらしい仕事をするだろう。

とにかくめでたい。ついうかれて添付した写真は、9月に訪れた、若狭は小浜市のケーキ屋さん。(大統領候補者が市の名前と同じ発音だからといって、その政策なども知らずに応援するのは、いかにも植民地根性で嫌なんだが、町おこしの涙ぐましい努力に免じて。アフリカの多くの国のNativeの苗字は母音が多いものが多く、私が仕事上使っている旧姓のローマ字表記は結構同名の人がアフリカにある国にいる。また、スペイン語圏にも同じ名前があるらしく(イタリア系のスコセッシ監督の名前にも入っているが)、メキシコ旅行の際、メキシコシティの空港で、待ち合わせたガイドが、名前から私をヒスパニックだと思い込んでいてなかなか見つけてくれなかった)でも、小浜市は近来にない大名作朝ドラの「ちりとてちん」(虎様素敵!)の舞台になって十分知名度は上がったと思うのだが)

また、私を応援してくれているブログを今更見つけ、うれしかったのでリンクを貼っておく。
http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20080428#
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