ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

神からの逃走。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2020年12月22日 00時00分27秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    そこで人とその妻とは主なる神の顔を避けて
    園の木の間に身を隠した。

      (創世記第3章 8節 )


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 この聖句はすべての人間と生き物につきつけられた主イエス・キリストの警告であるとわたしは感じている。
 神から身も心も魂もすべて隠そうとする人間と生き物の、神にいのちを与えられているが故に犯してしてしまう罪を見るからだ。
 つまり、いのちある存在は例外なくバクダンを抱えているのだ。
 何かが起こると、たとえば人間は「自殺」をしてしまう。あるいは「殺人」の罪を犯してしまう。「盗み」の罪を犯してしまう。「姦淫」の罪を犯してしまう。そして自分の罪をひたすら隠して逃げる。
 何から逃げているのだろうか?
 何から隠れているというのだろうか?
 ここでは「主なる神の顔を避けて」と書かれている。つまり主イエス・キリストの愛を愛とわかっていて拒絶してしまうのと同じだ。
 ここにわたしは主イエス・キリストの悲しみを見る。十字架を見る。
 神の愛よりの逃走である。
 逃げても無駄だと思うのだが。
 だってすべては主イエス・キリストの御手のうちなのだ。
 すべては主イエス・キリストの体の一部分なのだから。
 わたしたちいのちある存在すべては主が創造され、主イエス・キリストの体として生き続けている。
 逃走は、妄想である。


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