
神は信心深い人々がなすところなく虐げられるのを
黙って見ていらっしゃるかのようです。
かれらは誰の目にも力つきはてたと見えます。
しかし、まさにその瞬間に、神は人知れずかれらに
したしく臨みたもうのです。
人の力がくじけついえたときに、神の御力の時が
始まるのです。ただ信仰があるならば、信仰によって
待ち望むならば。
ひとたび圧制がおわりを告げるとき、この弱さの下に
どんなにおどろくべき力がひそんでいるか、人ははじめて
悟るでしょう。
十字架上のキリストもまた、まさにそのように無力で
ありたまいました。
(「クリスマス・ブック」マルティン・ルター著 R.ベイントン編
中村妙子訳 新教出版社 )
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人間に限って言えば人間が自らの弱さを極限まで悟りきったとき(主イエス・キリストのように十字架にかかった時)、主なる神がどのようなお恵みをくださるか、はかりしれない。
主イエス・キリストの場合、その死より復活なさるというまさに驚天動地の出来事、彼の信仰の最大限のものが与えられた。
主イエス・キリストの御降誕は即、十字架上の死であり、十字架上の死よりの復活のいのちとなることであった。
わたしたちは降誕祭つまりクリスマスとは即キリストの十字架を意味するものでありわたしたちのどうしようもない罪深さを意味するものであること、そしてそこまで主によって悟らせていただいていたとき、まさに主の復活のいのちに生かされる者となることをはっきり明確にしておかなければならない。そのことを全く抜きにして何がクリスマスプレゼントであろう。
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【言の葉(マルティン・ルター):クリスマスプレゼント】12・12・24
↓:マ・ル・ター

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