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主はわれらの命の源、根源である。
この御方がわれらを創造し、生命を与えて下さった。だからこそ主は創造主である。
しかしわれらと主ご自身とは、というよりわれらは創造主なる神、生命の源、根源であるこの御方から自らの意志で離れてしまった。この御方を求め、この御方を愛そうとしなくなってしまったのである。そのくらいこの御方を忘れ去ってしまっているのが、われらの偽らざる姿である。
だからこそわれらの主はわれらと和解したいとお望みである。そのために主イエス・キリストをマリアから生まれさせ、われらの一人のようにしてわれらの間に住まわせてくださった。しかしわれらはこの「人となった神」主ご自身を十字架に追いやって殺害してしまった。神よりのたった一つの和解のみわざをいのちの君を殺すということをやってのけて和解を拒絶した。しかし神のおろかさは人のかしこさよりもかしこいと書いたパウロの言うとおり、この主の十字架は「人となった神」の勝利のしるしになった。
神はこの十字架の死を「自分の罪のため」という信仰をもつものを神の子として義認してくださったのである。
そして主が十字架の死より復活してくださったのと同じようにこの御方のいのちを与えてくださる。
主の十字架と復活を「自分のため」だったと信じる者すべてに。
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