わたしに賜ったもろもろの恵みについて
どうして主に報いることができようか。
(詩篇第116篇 12節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
上記引用の聖句は「神にお返しをするなどできない」ということである。
人間同士なら気軽に「御世話になったあの人に何かお返しをしなくては」と考えるし、そのような習慣が日常生活の中でごく一般的である。
しかし詩篇作者はあの御方にお返しなど考えるだに畏れ多いいし、そもそも「お返しができる」などと考えることは主に対して冒涜行為なのであると見なしている。
主の十字架を前にして「犠牲しましょうね」などとおっしゃる教会の指導者と同じである。
このわたしは「犠牲」という思想も主イエス・キリストの十字架だけのことと認識させていただけるのが、正常なキリスト教信仰であると思っている。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:お返し
にほんブログ村
syuhawataitatinotameniinotiwooataekudasattawatasitatihasyunotameninaniwonasitdarousyuyosyuyo.