ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(ニーチェ):女性からうまれた。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2020年07月09日 00時06分00秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    男性の幸福は「われは欲する」である。
    女性の幸福は「かれが欲する」である。

         『ツァラツストラはこう言った』


  ☆★★★   ★★★★   ★★★★   ★★★★


 上記のニーチェの言葉を読んでみなさんはどう思うだろうか?
 女性のみなさんは「怒る」だろうか?
 どうして男性だけが「われ」なのだろうか?
 どうして男性だけ「自分」なのだろうか?
 どうして男性のほうが優っているという風な見方をし、女性が奉仕する側のように考えるのだろうか。
 わたしはフツーのクリスチャンで、聖書を読んだり、主イエス・キリストにお祈りしたりするが、男性のほうが女性よりも優れていると感じたことはない。
 
 欧米では女性も牧師や司祭になって当たり前だ。少なくともプロテスタントではそのようになっている。
 でも、女性が主イエス・キリストの教会の管理者になるなんて許せないという人もいる。そういう人は聖書の記述のパウロの言葉を引き合いに出してくることになっている。イエスが死に渡される直前に油を注いだのが女であり、復活の直後に姿を現し話しかけたのがやはり女であったということなど、こういうときには都合よく忘れるのである。
 わたしは自分が行っていた教会で「女性の司祭に管理され、ミサに預かるなんて生理的にイヤだ」という女性信者が言った言葉を思い出す。
 どうして女性は差別の対象なのだろうか?
 どうして男女が平等になれないのだろうか?
 わたしの疑問が間違っているのだろうか?

 主イエス・キリストは男性だったが、女性から生まれたことは事実だ。
 雲に乗って来たのではない。それも可能だったろうが、そうはされなかった。
 竹の中から生まれたのでも、桃から生まれたのでもない。

 イエスも、あなたも、わたしも、ローマにいる教皇も、女から生まれた。
 差別をしたいのなら、「これはお前の母」と言ったイエスの言葉を聖書から削除してから成せばいい。人類の歴史は終焉をむかえることとなるだろう。


   ★★★★   ★★★★   ★★★★   ★★★★


   




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