goo blog サービス終了のお知らせ 

ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

復活のいのちが与えられている。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2020年10月11日 00時08分12秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
     神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
     神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。

        (詩篇 第51篇 第17節 )



   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★


 これをお読み下さっている人たちの中には、神さまに何か「お供え」つまり聖書で言う「いけにえ」を献げたことのある人もおられると思う。
 フツーのクリスチャンのわたしは、この「いけにえ」はもう必要のないものだと思っている。
 何故か?
 主イエス・キリストの十字架上の死とそこからの復活を信じ、主イエス・キリストの復活のいのちに生かされていると確信しているからである。つまりフツーのクリスチャンは子なる神・主イエス・キリストの十字架上の死を天の父なる神さまへの「いけにえ」と考えるからである。
 しかしこのいけにえなる主イエス・キリストは十字架上の死からわたしたちを生かすために復活してくださった。天の父なる神さまが主イエス・キリストを復活させてくださったことを信じている。
 上記の聖書の「砕けた魂」とは、ただ単に「悔いた心」「悔いの魂」を指すだけではない。
 主イエス・キリストの十字架上の死の意味をまっすぐ指し示す。
 このようなひとりの小さなクリスチャンがこんなに簡単に言ってしまって全くオコガマシイのだが、主イエス・キリストの十字架とは全宇宙のすべての人間(すべての生き物を含む)のための天の父なる神さまへの「いけにえ」なのである。つまり、すべてのいのちが主イエス・キリストの復活のいのちに生かされることを主イエス・キリストが全身全霊で天の父なる神さまに願って祈った結果である。だからフツーのクリスチャンのわたしはとても強い希望が与えられている。
 永遠のいのちが与えられているのだから。
 主イエス・キリストの十字架上の死とそこからの復活の出来事を確信するがゆえに。主イエス・キリストの復活のいのちが与えられていることを全身全霊で感じているから。

 「砕けた魂」とは、確固たる神への信頼、信仰のことである。



   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★


     





     ↓;復活。
     にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村










最新の画像もっと見る