さばきが神の家から始められる時がきました。
(ペテロの第一の手紙第4章17節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
ここで言われている「神の家」とは「教会」というよりまず「わたしたちの家庭」のことだとフツーのクリスチャンのわたしは思う。もしキリストを信じる者つまりクリスチャンが家庭にひとりでもいればその家はもはや「神の家」である。
さてこの聖句ではなんだかおそろしげなことが言われている。何が「さばき」なのだろう?
フツーのクリスチャンの見解ではそれは結局主イエス・キリストの愛がどれくらい「思いと言葉と行ない」にこもっていうかということである。ではどのようにしたら主のさばきを受けないで済むのであろうか?
それはやはり「主イエス・キリストの愛」がどのくらい自分(たち)に無いかを「自覚」させていただきいつもいかなる場所でも主へ祈りもとめることである。
わたしたちには「祈ること、愛を祈り求めること」しかできない。いや、それさえなかなかできないことの方が多いのである。悲しいことだがこれが「人間の現実」である。
しかしそのわたしたちのために、そんなわたしたちのためにこそ主は十字架にかかってくださったことをゆめゆめ忘れてはならない。こんなわたしたちでも主の復活のいのちが与えられるのであることを忘れないで欲しい。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★