
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると
思って調べているが、この聖書は、わたしについて
あかしをするものである。
(ヨハネによる福音書第5章9節 )
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「聖書」は単なるいわゆる「教え」を説いたものではない。「聖書」は「人間となった神なる主イエス・キリスト」とはどのような御方かを、それぞれの文書の記者が主ご自身よりの啓示を受けて書きしるしたものである。
だから「旧約聖書」だけの「聖書」はありえないし、「新約聖書」だけの「聖書」もありえない。
「聖書」は旧新両方合わせて「聖書」足り得るものである。
フツーのクリスチャンのわたしたちが毎朝毎晩御祈りさせていただいている「ニケヤ信経」(ニカイヤ信条)にはわたしたちフツーのクリスチャンの神の御姿が簡潔に記されている。
「我は唯一の神・全能の父・天地とすべて見ゆるものと見えざる物の造り主を信ず。
我は唯一の主イエス・キリストを信ず。主はひとりの御子・神よりの神・光よりの光・
まことの神よりのまことの神・造られずして生まれ・父と一体なり。
よろずのもの主によりて造られたり。 」
このニケヤ信経(ニカイヤ信条)の言葉も「聖書」からとられたものだということが「聖書」を日ごろから良く御読みになっている方ならおわかりのことと思う。
「聖書」とは「神とはいったいどのような御方なのか」を主よりの啓示を受けながら、書き表したものである。
だから「聖書」のどの書を読む時も必ず主イエス・キリストの御姿をたずね求めながら読めば主ご自身が必ずあなたの「聖書」の読み方をあなたの個性に合わせて指導してくださるとフツーのクリスチャンのわたしは断言させていただく。
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