ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(ニュートン別冊<次元とは何か>:6)

2008年07月26日 00時05分08秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド


     時間が流れていることは、たとえば砂時計を使えば
     確認できる。
     だがかりに、この宇宙に砂時計だけが存在し、その
     砂がすべて落ち切ってしまったとしたら、
     そこに時間が流れているといえるだろうか?
     アリストテレスは著書「自然学」で時間を論じた。
     「時間とは『運動(変化を含む)の数』である。
      運動こそが実在(生きて存在するいのち)するのであり、
      時間は運動を記述する道具にすぎない」。


       (ニュートン別冊<次元とは何か>)


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 宇宙が創造されたと同時に「時間」というものが流れ始めた。そしてこれは止まらない砂時計だ。永遠に宇宙(いのち)は時間を刻み続ける。
 主イエス・キリストの創造の御手(みて)が時間を刻みつづける。永遠に。主イエス・キリストは永遠に死なない。創造主だから。神さまだから。永遠のいのちだから。
 この宇宙は主イエス・キリストの十字架でともに死んだ。そして主イエス・キリストの復活でともに復活した。復活のいのちである主イエス・キリストの御手で生かされている宇宙も永遠に死なない。滅ぶことはない。すべては永遠のいのちだ。
 主イエス・キリストの復活のいのちによって永遠に生かされているのだ。
 これがわたしの持つ主イエス・キリストへの信仰である。そのように信じ、そのように運動し、そのように実在するわたしは主イエス・キリストを証する道具である。時間もわたしも永遠に運動を続ける主イエス・キリストを記述する道具である。この道具は主イエス・キリストの愛によって永遠に、もっとも正しい仕方で生かされているのである。



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