ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

わたしが祈る理由、主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年12月05日 00時12分05秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    また祈る時には、偽善者たちのようにするな。
    彼らは人に見せようとして、会堂や大通りの辻に
    立って祈ることを好む。
    よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまって
    いる。あなたは祈る時、自分の部屋にはいり、戸を閉じて、
    隠れた処においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、
    隠れたことを見ておられるあなたの父は報いてくださるであろう。

      (マタイによる福音書第6章5~6節 )


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 「神に祈る」という一見偽善ではないように見える行為でも、人間にとってはつまずきのもとになることがある。
 わたしは祈るときに「あっ、わたしはとても良いことをしているんだ。わたしってなんて素晴らしいんだ。きっと主もわたしのこの祈りを喜んでくださっているにちがいない」などとついつい思っていまう。だからフツーのクリスチャンのわたしは「主よ、わたしのこの全宇宙一の傲慢の罪をどうか憐れみ赦してください。主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン」とお祈りすることにしている。
 主はこんな全宇宙一の偽善者のわたしのような者にも「悔い改めの祈り」を与えてくださる。そして赦してくださる。
 「信仰そのもの」が「お祈りそのもの」が偽善であってもそれでもフツーのクリスチャンのわたしはわたしの全宇宙一の偽善が癒されるように今日も主に向かって祈る。永遠に祈り続けざるをえない。祈らずにはおれない。救われるために。わたしとすべての人が。命が。
 「主はわたしの拙い祈りが偽善そのものであっても聞いてくださるからだ」。
 そしてこのあわれな偽善者といっしょにお祈りしてくださるからだ。だからわたしは祈る。主はわたしのような偽善者の立場にまで立ってくださるからだ。「主は偽善者以外になりえないいのちある者たちの真の神だからだ」。
 わたしたちは絶望せず「主に創造されたもの」として「主の愛」を信じよう。
 だからフツーのクリスチャンのわたしは祈る。永遠に。ただお一人偽善者ではないお方、主に向かって祈る。永遠に。



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      ↓:♥。👍。。禱。
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