
聖書の神は悲惨と罪の中に下降してくる神であり、
それがキリストなのです。
(「わたしのキリスト教入門―使徒信条による 隅谷三喜男著 )
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上記引用の一節がキリスト教のすべてを言い得ていると言わせていただく。
クリスマスはわたしたちのためにキリストが人間のひとりとしてお生まれになったことをお祝いする日である。
人間の悲惨と罪の中に下降してお生まれになるということは即「主の十字架」を意味していた。
主イエス・キリストの十字架はわたしたちの罪の罰を一身に御身に引き受けてくださるものとしてくださったのである。
「おまえたちはわたしを罪人として十字架につけるのか、よし、それならわたしはおまえたちのすべての罪に対する罰として十字架につけられ呪いそのものとなろう。なぜならおまえたちは主であるわたしが創造した者たちなのだから」。
浅学非才のわたしが十字架を引きうけてくださるご決心をなさった主のお気持ちはそのようであったと推察させていただく。
主に感謝。主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:十字架に

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