隅田川七福神巡り

2011-01-05 | 日記
昨年のお正月は新宿山の手七福神と日本橋七福神巡りをしましたので、
今年は隅田川七福神を歩きたいと思っていました。
今日もよい天気、家事をささっと片付けて9時に出発し、10時に業平橋駅到着。
業平橋駅はあのスカイツリーがあるところです。
スカイツリーを背に隅田川方向へ歩き三囲神社から始め、弘福寺、長命寺、白髭神社、
百花園、多聞寺の順に回りました。

☆三囲(みめぐり)神社(大国神・恵比寿神)
三井寺の僧源慶(げんけい)が弘法(こうぼう)大師創建の由緒ある祠である再建したとき、地面を掘ったところ、白狐に跨った神像が納められた一つの壷が出て来ました。そのとき、どこからともなく白狐が現われ、神像のまわりを三度めぐって、またいづこともなく消え去りました。この故事から「みめぐり」の名が起ったと伝えられているそうです。




温和な表情の稲荷狐


☆弘福寺(布袋尊)
インゲン豆を日本に伝えた高僧隠元が京都黄檗(おうばく)に開いた黄檗山満福寺の末寺。




境内には咳(せき)の爺婆尊(じじばばそん)の石像を祀ってあり、父母に孝養を尽せぬことをいたんで刻んだものと伝えられ、風外の両親の像だから風邪にも強かろうと、爺像は喉頭の病に、婆像は咳止めにご利益あるそうです。



☆長命寺(弁財天)
三代将軍家光が鷹狩の途中、不意の腹痛のためこの寺に休憩した際、境内の井戸水を汲み、薬を服用したところ、たちどころに痛みが消え快癒。喜んだ家光がその井戸に長命水の名を与えたところから、以後寺号を長命寺と改めたそうです。




☆向島百花園(福禄寿)
昨年12月に吟行を行ったところです。
隅田川七福神の発祥の地百花園は、文化元年(1804)に仙台の人、佐原鞠塢(きくう)が開いたものです。
四季の植物をあしらった庭のあちこちに、亀田鵬斉の「墨沱梅荘記(すみだばいそうき)」の碑文をはじめ、数多くの歌碑や句碑を見ることができます。




☆白髭神社(寿老人)
向島では最も古い由緒ある神社の一つです。社伝によると、天暦5年(951)に、慈恵(じえ)大師が関東に下った際、近江国志賀郡打颪(うちおろし)(現滋賀県高島市)の白鬚大明神の分霊を、ここに祭ったそうです。




☆多聞寺(毘沙門天)
隅田堤の外の隅田川神社に近い、多聞寺屋敷という所にありましたが、天正年間(1573~92)に現在地に移されました。この寺は慶長11年(1606)に建立され、本尊の毘沙門天像は、弘法大師の作と伝えられているそうです。




境内には狸塚という伝説の石があります。
その伝説とは・・
このあたりが草深い里だった頃、本堂のすぐ前の大きな老松の根本に古狸の夫婦が棲んでおり、村人をあどかしたり、いたずらをしたりすることが度々ありました。そこで村人達は住持と話し合い、この老松を切りはらってしまったのですが、狸の悪さは一層ひどくなるばかり。因った住持は、一心に本尊毘沙門天に祈ったところ、ある夜毘沙門天門下の禅尼師(ぜんにし)童子が現われ、宝棒で狸を打ちすえる夢を見ました。翌朝、庭に二匹の大狸が死んでおり、この狸を葬った場所に石を立て、狸塚にしたといいます。


地図上の緑色の線が歩いたところです。


17548歩。
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