5月11日の「折々のことば」に田尻久子氏の「葬式とは慌ただしくあるべきものかもしれない」という言葉が取り上げられていました。
父が軍人で、8人兄弟姉妹のうち5人が男児であるにしてはまことに幸せなことに誰一人として戦死しなかったのです。戦後暮らしは貧しいものでしたが、家族10人無事暮らしました。父母も90近くまで生きてくれて、兄弟も遅い早いはあっても、まあ天寿とあきらめられる年まで生きました。
今、8人の子供が上4人が鬼籍に入っており、下4人が残っています。これも順を追ったものと思えるのです。
まことに不謹慎な言い方ではありますが、どうしようもない、理不尽なと、泣き叫ぶ死ではありませんでした。8人の子供は逆縁の悲しみを両親に味わわせることなく、孫の顔も見せて喜ばせたのでした。
父の葬儀ではお寺の本堂を駆け回る小さな孫の声がし、焼香をする子ども孫、親戚一同の人数が多く、焼香の間流れるはずの読経が足りなかったほどでした。家族一同を呼び集めることの好きだった父。葬儀にもかかわらず、雰囲気はいつの間にか宴会じみてくるのでした。
舅姑も二人とも90半ばまで、最晩年は認知症も出ておりましたが、生きてくれました。悲しみは勿論ありますが、正直なところ両親のためにも、ほっと安心を感じる気持ちも混じったものでした。何か余裕がある別れというのでしょうか。悲しみの合間合間に、楽しさや、懐かしい思い出や、暖かい親の愛情や、どうしてもかみ合わなかった反抗の気持ちや、いろいろなことが交じり合うのです。じんわりとした記憶として残され、激しい痛みではないものが長く心に刻まれています。
厳粛であるべき葬儀中も、滑稽な事件も起こります。
正座になれない孫が、焼香の順番に立ち上がった時、痺れで盛大にひっくり返ったこともありました。修行中の小坊主さんが、教本を見損ない、お経が続かなくなったこともありました。和尚さんが、「ちょっと失礼、ここだここだ、しっかり見て読みなさい」と、励まされたこともありました。
葬儀にしても、法事にしても、もう仏になった故人のためというより、残されたもののためというのが真実ではないでしょうか。日頃あまり会うこともない一族が会う、絆を改めて結ぶ、そんなこんなでわっさわっさ泣いたり笑ったりしていてこそ、永の別れの悲しみが乗り越えられるのかもしれないと思うのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます