四国の中、愛媛、香川、徳島に入ってことがあったのですが高知に行く機会がなかったので、思い切って10月3日から5日まで2泊3日で行ってきました。
前から台風中継のある室戸岬や桂浜、足摺岬などの場所を実際に見たいと思っていました。
1日目、朝5時過ぎに自宅を出発。
人吉IC から九州道を上り、約4時間弱で九州脱出。
中国道を使い、山口、広島と走り、山陽道で岡山へ。
そこからは瀬戸大橋を使い、四国坂出市へ、
四国に入ってから高知自動車道で南国ICまで走り、南国市に入りました。

まだ3時だったので、桂浜に行ってみることにしました。
桂浜の駐車場に着き、龍馬像と桂浜の方へ歩いていくと目の前に20段近い階段がありました。
段差のないう回路があるということでしたが、妻が登れるというので上ってみると、その先にも30段くらいの急な階段が続いていました。
踊り場的な広場につき、右に行けば桂浜、左に行けば龍馬像で、階段は無理だということでう回路を使い龍馬像まで歩きました。

実際に見る龍馬像は、はるかかなたの水平線、未来を見ているように感じました。
桂浜に下りることはちょっと無理ということで1日目のホテルに向かいました。
2日目。
はりまや橋の横のホテルを8時に出発し、室戸岬に向かいました。
最初は通勤ラッシュに巻き込まれましたが、南国市に入るころには順調に走れました。
ここから歩いているお遍路さんが目立ち始めます。
若い人や外国の人のカップル、高齢者のグループなど様々です。
約2時間で室戸岬に着きましたが、思ってたよりこじんまりとした岬でした。

1時間の滞在で次の目的地、足摺岬に向かいました。
高知市内から四万十市を通り、4時過ぎに足摺岬に到着しました。
ここも思っていたより寂しい感じで、四国霊場番札所があり、お遍路さんの姿もありました。
灯台までの遊歩道もあったのですが、車ではいけないので諦め、今宵の宿に向かいました。

山の上のリゾートホテルで、温泉もあり、部屋も広くベランダ付きで開放感が最高でした。
3日目
朝食を済ませ、屋上に出て周りを見ると、はるか彼方に水平線を望む絶景最高でした。
八幡浜~臼杵へのフェリーに乗るために8時に出発。
11時半前に八幡浜に到着し、11時45分のフェリーに乗船、2時10分に臼杵到着しました。
ここからは竹田市、阿蘇市を経由し、益城熊本空港ICから九州道に入り、自宅へ。
大分県内を通過中に水害の跡が至る所にありました。
阿蘇市では8月に開通した長陽大橋を渡りましたが、阿蘇大橋周辺の災害の傷跡はまだまだそのままに感じました。
今は何も手伝うことはできないけど、頑張ってほしいと思いました。
前から台風中継のある室戸岬や桂浜、足摺岬などの場所を実際に見たいと思っていました。
1日目、朝5時過ぎに自宅を出発。
人吉IC から九州道を上り、約4時間弱で九州脱出。
中国道を使い、山口、広島と走り、山陽道で岡山へ。
そこからは瀬戸大橋を使い、四国坂出市へ、
四国に入ってから高知自動車道で南国ICまで走り、南国市に入りました。

まだ3時だったので、桂浜に行ってみることにしました。
桂浜の駐車場に着き、龍馬像と桂浜の方へ歩いていくと目の前に20段近い階段がありました。
段差のないう回路があるということでしたが、妻が登れるというので上ってみると、その先にも30段くらいの急な階段が続いていました。
踊り場的な広場につき、右に行けば桂浜、左に行けば龍馬像で、階段は無理だということでう回路を使い龍馬像まで歩きました。

実際に見る龍馬像は、はるかかなたの水平線、未来を見ているように感じました。
桂浜に下りることはちょっと無理ということで1日目のホテルに向かいました。
2日目。

最初は通勤ラッシュに巻き込まれましたが、南国市に入るころには順調に走れました。
ここから歩いているお遍路さんが目立ち始めます。
若い人や外国の人のカップル、高齢者のグループなど様々です。
約2時間で室戸岬に着きましたが、思ってたよりこじんまりとした岬でした。

1時間の滞在で次の目的地、足摺岬に向かいました。
高知市内から四万十市を通り、4時過ぎに足摺岬に到着しました。

灯台までの遊歩道もあったのですが、車ではいけないので諦め、今宵の宿に向かいました。

山の上のリゾートホテルで、温泉もあり、部屋も広くベランダ付きで開放感が最高でした。
3日目
朝食を済ませ、屋上に出て周りを見ると、はるか彼方に水平線を望む絶景最高でした。
八幡浜~臼杵へのフェリーに乗るために8時に出発。
11時半前に八幡浜に到着し、11時45分のフェリーに乗船、2時10分に臼杵到着しました。
ここからは竹田市、阿蘇市を経由し、益城熊本空港ICから九州道に入り、自宅へ。
大分県内を通過中に水害の跡が至る所にありました。
阿蘇市では8月に開通した長陽大橋を渡りましたが、阿蘇大橋周辺の災害の傷跡はまだまだそのままに感じました。
今は何も手伝うことはできないけど、頑張ってほしいと思いました。