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酎天おやじの人間風景

他人に合わせることが苦手な酎天おやじ。
酎天おやじがこれまで見た人間や風景、これから会うであろう人間や見る風景。

64歳は大変

2020-01-06 13:47:54 | ひとりごと
昨年は64歳になったとたんに病院通いが始まりました。

5月の中旬に水稲の種まきをした翌日に右脇に吹き出物(毛嚢炎?粉瘤?)ができました。

最初違和感がある程度だったのが、2日くらいでピンポン玉くらいになり、その先端が真っ赤になっていました。

痛くて眠れないので病院に行くと受付で整形外科に回され、整形外科では『帯状疱疹でしょう』といわれ内科に回されました。

内科では『帯状疱疹じゃないよね。』といわれ、外来処置室で吹き出物の先端を切開し、ドレーンを入れられました。

出血があるということで大きなガーゼを強力な接着力のあるテープで止められました。

次の朝、布団が出血で汚れ、痛かったので病院へ行くとテープ負けをし、テープの痕から出血していました。

抗生物質での対応でしたがで最初の吹き出物が治ったと思ったら次の吹き出物が・・・と3回繰り返し、刺激の少ないテープ探しをしながら完治まで約2か月かかりました。

田植えの準備も田植えの時も脇に出血を抑えるガーゼを挟みながらの作業でした。


原因不明ということでCTやX線の検査を受け、血液検査で血糖値が300を超えているということがわかりました。

これが原因の可能性があるということで投薬を受けました。

1か月後の診察では血糖値は正常値に近くなりました。

2~3か月薬を続けていると9月中旬に今度は左足がパンパンに腫れあがりました。

診察を受けるとまた『帯状疱疹かな?』といわれました。

俺は今年はいらがなどの毛虫が多く、虫刺されの痕のようなものが左膝の下に8個くらいあり、『蜂窩織炎』の症状に近いのかなと思っていました。

しばらくは抗生物質の治療でしたが、途中で抗菌薬に代わり、腫れが引きました。


その後も通院や歯科など週に1~2回の病院通いが続いています。

本当につらい1年でしたが、高齢者を前に気をつけなさいというサインかなと感じました。




蘇生中止

2019-03-17 17:00:55 | ひとりごと
全国各地の救急隊員たちが現場での家族からの『蘇生中止』の要請への対処に苦労しているという報道を見ました。

俺が現役のころもこの問題はありましたが、大きな問題にはなっていなかったように感じます。

俺も救命士になり、AHAのACLSなど蘇生の講習などに出かけたり、毎年県内や県外の臨床救急医学会に参加したりする中で意識させられました。


でも俺が実際にDNAR(蘇生を試みるな)に接したのは数回しかありません。

QQ車内で家族からDNARのことを聞いたとき、『蘇生中止の意思表示というのが田舎でも本当にあるんだ』と思いました。

でもその時の俺は、家族が書面などを持っていなかったので、蘇生処置を続けながら病院へ向かいました。

病院到着時に担当医が『カルテに蘇生拒否の書類がありました。』ということで、蘇生中止の意思表示というのが本当にあるんだと思いながら、心臓マッ

サージなどの救命処置を中止しました。

俺もその時は(俺は人を助けるためにQQ隊をやっている)と思っていました。

QQ件数が増加している現在、救命をしようとしているQQ隊員たちが蘇生中止にストレスを感じることはわかります。


も付き添っている家族と話をするとQQで搬送中の傷病者の気持ちを教えてくれます。

『今まで頑張った、これ以上苦しみたくない。』と言っていたと聞いたこともあります。

その傷病者を無理やり意識を取り戻させることがいいことなのか。

俺も当時迷ったし、ストレスに感じていたことは事実です。


でもQQ隊をやってことのない消防隊員には蘇生拒否の意味が分からないのもいたし、興味のない隊員がいることも事実でしょう。


この問題はQQ隊と傷病者家族だけの問題ではなく、DrやNs、消防や行政が共に知識を共有し、対策を立てるしかないと思っています。

俺が20年前に感じていたことがいまだに解決されていないこと、不思議に感じるニュースです。

東北大震災から8年

2019-03-11 21:02:31 | ひとりごと
今日で東北大震災から8年です。


8年前のあの日、庁舎の外で訓練中の俺に知らされたのは東北地方で大きな地震があったということでした。

待機室の戻り、TVの画面に映し出されていたのは漁港の堤防を乗り越える大きな津波の映像でした。

その後、家や車を押し流しながら進む津波や内陸の田畑などを押しつぶしながら進む巨大津波の映像から目が離せなかったのが忘れられません。


8年目の今日も東北の色々な場所で、それぞれの形で追悼する人々の映像がありました。

今日は低気圧で雨に加え、強風も吹いていたようです。

それでも被災場所を離れることなく、鎮魂の祈りをささげていたようです。


その後も新潟や熊本、北海道でも大きな地震が起きています。


今もTVから流れる映像では、各地の復興が途中であることはわかりますが、地元住民の望む居住環境になっているとは思えません。


政治が悪いのか?地元が悪いのか?


そんなことを言っている時期は過ぎているかもしれません。


でもこれからもっと大きな災害が起こるかもしれない・・・だからこそこれからどうするか考える必要があるでしょう。

少しでも災害死を少なくできるか、本気で考える必要があると考えさせられた1日でした。

公園に除草剤

2018-11-01 14:31:00 | ひとりごと
沖縄で公園で芝と草が枯れる・・・というニュースがありました。

住民からの問い合わせが新聞社にいき、所有者の市に確認を行ったということのようです。

市は公園の管理業者に聞き取りを行い、業者は毒性の低い成長調整剤を使用したと答え、市は安全性に問題はなかったと回答していたようです。

その後、農薬の専門家などからの指摘に管理業者が農薬を使用したことを認めたようです。

作業効率や作業員の安全(?)を考えたという理由のようです。

業者側の勝手な理由のようで、農薬散布当時作業員はマスクもしていなかったということです。

また、農薬散布した場所に縄張りや立て看板のような住人の立ち入りを禁止するなどの処置もしていなかったということです。




俺がいつも散歩に行く公園でもベンチの周りの草が枯れたことがこれまでも数回ありました。

作業員が何かを散布しているのを見たこともありました。

1日から数日でベンチ周りだけ草が枯れていました。

俺は除草剤を家で使うことがありませんが、家の周りでは道路脇や田んぼの畔などの除草に使う人がいます。

その時と同じでした。

でも立ち入り禁止などの処置は沖縄と同じでしてありませんでした。

ここでも草刈りや公園管理の確認する人を見たことがありません。

この公園は平日は散歩などする人は少ないのですが、休みの日には家族連れがベンチに座ったり草の上に座り、弁当を広げている光景もありました。

草が枯れた場所への農薬の残留の心配はないのか、小さな子供が土や草に手をついたりして心配ないのでしょうか。


と思っていたら、公園の散歩道やベンチ周りがコンクリートで固められました。


これはこれで小さな子供たちが走り回って転んだり、ベンチから落下したらと思うと危険性は同じかと思います。

管理業者の作業効率と考えたらそうかもしれませんが・・・・・・。










熊本地震から2年

2018-04-16 15:44:31 | ひとりごと
熊本地震から今日で2年。

今の俺にできること、それを考えています。

熊本は事あるごとに行っていたところなので、何かできないかといつも考えています。

ボランティアとか妻の介護をしている今の俺にはできません。

宿泊するか、買い物するか、それしかないかなと思いました。

だから一昨年は南阿蘇に宿泊に行きました。


去年は四国高知旅行からの帰りに四国から大分臼杵にフェリーで渡り、阿蘇を通るルートを選択しました。

大分は至る所に昨年の水害の跡が残り、阿蘇に入り阿蘇神社に行くとまだ2年前と大きな変わりはありませんでした。

その後、南阿蘇方向へ回りましたが、活断層の後もそのままのところも多く、つぶれた住宅やアパートも1年半前のままのところが多かった気がします。

阿蘇大橋は地震当時と同じ崩落したままの状態でしたが、当時は通れなかった長陽大橋は通行可となっていました。

少し復旧しているのかと思っていましたが、益城町に向かうとまだまだつぶれたままの家屋やブルーシートのかかった家屋も目立ちました。


昨日から今日のニュースでもまだまだ復興はまだだと言っています。

東北大震災もまだまだ、熊本もまだまだ、でも俺は忘れないようにしようと思った1日でした。