妻が右半身まひとなって分かったこと。
俺も仕事でいろいろな障がい者の人たちと向き合ってきたつもりでした。
そんな中、自分の家族が障がい者となると色々な社会的問題が見えてきました。
同じ障がい者でも身体障害で一番の問題はトイレではないかと思います。
一般のトイレは数は多いのですが、手すりのないことが多く、狭くて動きが制限されてしまいます。

現在、多くの施設や観光地には障がい者用トイレが整備されています。
いいことだと思いますが、その多くが妊婦や子育てママたちとの共有が多いです。
どちらも動きに制限があったり、おむつ交換などスペースが必要だということで仕方なくわかっています。
それには文句があるわけではありません。
観光地や商業施設などの障がい者用トイレはたいてい1か所に1つしかありませんので、トイレに行きたくても障がい者用トイレが少ないことでトイレを我慢することが多くなります。
こんなことは俺も妻が倒れるまで気が付きませんでした。
一般の人の考えも似たようなものでしょう。
先日もある観光地の催しに行ったとき、トイレに行くと使用中の表示があり待っていると普通のおばさんが出てきました。
障がい者トイレの隣には普通の女性用のトイレがあるのです。
高齢者で普通のトイレに入れない人もいるので仕方ないとは思いますが、障がい者にはそのトイレしか使用するトイレがないということをわかってほしいです。
また、ある寿司チェーンに行った時、障がい者トイレに行くと先客あり。
待っていても数分しても出てきません。
トイレを使っているような音もせず、中で倒れているのかなと心配していると20代の女性が化粧を直していたのか髪をなでながら出てきました。
女性用のトイレは隣にあるのにと思いましたが、そのトイレは女性も使用可となっているので仕方はありません。
でも待っている障がい者がいるかもということも考えてほしいのです。
これからも障がい者家族となって分かったことを調べて、訴えることをまとめて行政などに訴えていきたいと思っています。
俺も仕事でいろいろな障がい者の人たちと向き合ってきたつもりでした。
そんな中、自分の家族が障がい者となると色々な社会的問題が見えてきました。
同じ障がい者でも身体障害で一番の問題はトイレではないかと思います。
一般のトイレは数は多いのですが、手すりのないことが多く、狭くて動きが制限されてしまいます。

現在、多くの施設や観光地には障がい者用トイレが整備されています。
いいことだと思いますが、その多くが妊婦や子育てママたちとの共有が多いです。
どちらも動きに制限があったり、おむつ交換などスペースが必要だということで仕方なくわかっています。
それには文句があるわけではありません。
観光地や商業施設などの障がい者用トイレはたいてい1か所に1つしかありませんので、トイレに行きたくても障がい者用トイレが少ないことでトイレを我慢することが多くなります。
こんなことは俺も妻が倒れるまで気が付きませんでした。
一般の人の考えも似たようなものでしょう。
先日もある観光地の催しに行ったとき、トイレに行くと使用中の表示があり待っていると普通のおばさんが出てきました。
障がい者トイレの隣には普通の女性用のトイレがあるのです。
高齢者で普通のトイレに入れない人もいるので仕方ないとは思いますが、障がい者にはそのトイレしか使用するトイレがないということをわかってほしいです。
また、ある寿司チェーンに行った時、障がい者トイレに行くと先客あり。
待っていても数分しても出てきません。
トイレを使っているような音もせず、中で倒れているのかなと心配していると20代の女性が化粧を直していたのか髪をなでながら出てきました。
女性用のトイレは隣にあるのにと思いましたが、そのトイレは女性も使用可となっているので仕方はありません。
でも待っている障がい者がいるかもということも考えてほしいのです。
これからも障がい者家族となって分かったことを調べて、訴えることをまとめて行政などに訴えていきたいと思っています。
平成24年の今日は日曜日でした。
妻がパートのレジ打ち中に発症し脳出血で倒れてから本日でちょうど5年たちました。

俺は妻が倒れたとの連絡を受け、現場に着くと後輩の救命士たちが来ていて、Drヘリを要請したということでした。
でも別事案に対応中で出動できないということで、地元の病院へ。
地元の病院では当直が内科医で対処できないということで、CTを撮り、そのまま脳外科のある人吉総合HPのICUにQQ搬送されました。
搬送中のQQ車内で意識が混濁してきて、手足を押さえつけながらの搬送でした。
これまで俺も脳疾患の傷病者を鹿児島や人吉の脳外科に搬送していました。
地元に脳外科がなってから10数年。
搬送時間の延長を心配していましたが、Drヘリの運用で搬送時間の短縮ができるということでした。
でも、Drヘリが運用できない時間や天候時など、当時からの心配が俺的に現実となった瞬間でした。
その後、2週間で人吉から地元病院へ転院し、その後2また週間で霧島のリハビリ病院へ自家用車で転院しました。
霧島で5か月をリハビリをし、平成25年5月15日に退院となりました。
平成25年は入院の連続、症候性のてんかんで6月、8月、10月と3回も入院しました。
6月の発作時はパンを詰まらせ、窒息状態でのQQ要請でした。
この時もDrヘリを要請してくれましたが、悪天候で出動できませんでした。
8月は風呂上りに意識消失。
日没でDrヘリ出動不可。
10月の発作時は本人もわかっていたようで、俺を呼びながら意識消失。
3度目の正直で、Drヘリが来ました。
Jターンということで地元病院への搬送となりました。
その後、俺の退職の日まで、俺の勤務日には一人で頑張ってくれました。
5年間、それまで知らなかった色々なことがわかりました。
身体障碍者手帳の申請や自己負担額の減額申請、C型肝炎の自己負担額申請など各種手続きを勉強しました。
まだ右半身麻痺は回復していませんが、C型肝炎は新しい薬で現在は消えているようです。
今日から6年目、一緒に歩いて行こうと思う1日でした。
妻がパートのレジ打ち中に発症し脳出血で倒れてから本日でちょうど5年たちました。

俺は妻が倒れたとの連絡を受け、現場に着くと後輩の救命士たちが来ていて、Drヘリを要請したということでした。
でも別事案に対応中で出動できないということで、地元の病院へ。
地元の病院では当直が内科医で対処できないということで、CTを撮り、そのまま脳外科のある人吉総合HPのICUにQQ搬送されました。
搬送中のQQ車内で意識が混濁してきて、手足を押さえつけながらの搬送でした。
これまで俺も脳疾患の傷病者を鹿児島や人吉の脳外科に搬送していました。
地元に脳外科がなってから10数年。
搬送時間の延長を心配していましたが、Drヘリの運用で搬送時間の短縮ができるということでした。
でも、Drヘリが運用できない時間や天候時など、当時からの心配が俺的に現実となった瞬間でした。
その後、2週間で人吉から地元病院へ転院し、その後2また週間で霧島のリハビリ病院へ自家用車で転院しました。
霧島で5か月をリハビリをし、平成25年5月15日に退院となりました。
平成25年は入院の連続、症候性のてんかんで6月、8月、10月と3回も入院しました。
6月の発作時はパンを詰まらせ、窒息状態でのQQ要請でした。
この時もDrヘリを要請してくれましたが、悪天候で出動できませんでした。
8月は風呂上りに意識消失。
日没でDrヘリ出動不可。
10月の発作時は本人もわかっていたようで、俺を呼びながら意識消失。
3度目の正直で、Drヘリが来ました。
Jターンということで地元病院への搬送となりました。
その後、俺の退職の日まで、俺の勤務日には一人で頑張ってくれました。
5年間、それまで知らなかった色々なことがわかりました。
身体障碍者手帳の申請や自己負担額の減額申請、C型肝炎の自己負担額申請など各種手続きを勉強しました。
まだ右半身麻痺は回復していませんが、C型肝炎は新しい薬で現在は消えているようです。
今日から6年目、一緒に歩いて行こうと思う1日でした。